孤思庵の仏像ブログ

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「玄奘の将来した仏像」の講義受講の内、鍮石の仏像

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先週の10月23日の興福寺文化講座で 玄奘の経典と共に将来した仏像の講義「玄奘三蔵の請来した仏像 上」を受けました。

それは現存せずですが、『大唐西域記』(玄奘が記した当時の見聞録・地誌である。玄奘は持ち帰った経巻の訳業を皇帝の太宗に願い出た。許可に当たって西域の詳細な報告書を提出するよう命じられ、編纂された報告書である。
646年(貞観20年)の成立。全12巻。玄奘が詔を奉じて撰述し、一緒に経典翻訳事業に携わっていた長安・会昌寺の僧、弁機が編集している。)の巻末の讃の中に列挙されています。
 

7世紀にインドに存在し、玄奘が選び持ち帰った仏像は、清凉寺式釈迦像「三国伝来の釈迦」の基と成った原始経典に登場する「三道宝階伝説」の中で、「優填(うてん)王造仏像伝説」のくだりであるこの伝説上の最初の仏像っは、牛頭栴檀(赤栴檀)の釈迦如来像であり、そのコピーの一つであろう、奝然が摸刻請来した原像の基と関係ものであろう。
 
クリックすると新しいウィンドウで開きますこの様な馴染深いものもある一方で、
 
 
初めて聞く仏像も沢山ありました。ご紹介をと思うのですが『大唐西域記』の讃の部分ですので、難しい漢字ばかり、到底 ワード昨日で転記は出来ません。とてスキャナーを持ち合わせない自分です。写真を撮り、取り込むこともできません(涙)

苦肉の策で、あるネット検索で見つけました興福寺文化講座『玄奘の経典と共に将来した仏像』の講義資料を見つけましたので、画像添付します
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その資料中で、関心はウダヤナ王を音写では「優填」もしくは「于闐」(ともに、うでんと読む)、また「優陀延(うだえん)」とするのは知ってましたが、漢訳(意訳)では愛王と成るのですね!
「愛王」でウェブ検索してみましたが無理でした。

もう一つ解らなかったが、②の鹿野苑での初転法輪像の解説文中に金仏の説明に「鍮石仏像、量は如来の身に等しく、転法輪尾の勢を作す」【大唐西域記・7巻】と大唐西域記の本文を持って説明してくれましたがその冒頭の鍮石仏像の鍮石が解りませんでした。

 調べますに真鍮(しんちゆう)の異名。【大辞林】と在ります。ここで私は刀装の知識で金色絵と云うのを習ってまして・・・ 真鍮(黄銅)は銅 と亜鉛 の合金で、約350年ほど前から広く利用されるようになった。青銅に比べて歴史が短いのは亜鉛の沸点が約900℃と低く、開放式の還元法では単体が得られなかったからで、拙にの整わない 昔は真鍮が簡単には合金として作れませんでした、ために今の真鍮の感覚よりもとても高価なものだったと聞きます。

ここでの表現に想像しました。人口合金に依らないで自然界でもその真鍮は作られるようです。 今の真鍮生産の条件に近い視線環境も在るものと想像します。で自薦が造った真鍮を鍮石と呼び、またそれから製錬した金属黄銅を鍮石と呼んだ事もあった様でして納得しました。

因みにその鍮石は黄銅鉱に当たるのではと思い黄銅鉱を調べましたら、それは銅の硫化鉱物の一つで、「黄銅」鉱という名前だが、これを精錬して黄銅(真鍮)をとる訳ではない。と有りました。

黄銅鉱は比較的にある鉱物と聞きますので?でしたが、これで昔は近ほどではないでしょうが、真鍮がかなり高価なものだったことに合点がいきます。

鍮石仏像を真鍮の仏像と考えますと大したことの内容に感じてしまうでしょうが、前述の事を知りますと、釈迦の体重と同じ貴金属の仏像がとても高価に思えて来ます。

歴史・宗教の分科系の考察ですが、鉱物・化学の科学の分野も理解しなければならないようですねッ!


関連で、これまであまり関心を持たない出来てしまいました。金銅仏の金属成分について勉強してみました。


金銅仏の定義には、「銅と錫の合金である青銅(ブロンズ)の鋳造像の表面に鍍金を施したものである。」と在ります。

 錫は、金属の中でも融点が低く232度、合金の融点を下げると同時に、溶融状態での流動性を高め、鋳造性を向上させるために、金銅仏には、通常2~10%程度含まれているそうです。銅の融点1083度で青銅は錫の含有率にて幅が在り954~1049度だそうです。

青銅は、融解温度の利点の他に硬度を増す事が挙げられます。硬度は錫の添加量が多いほど上がるが、それにともなってもろくもなる、また色は錫の割合が増すと赤銅色から金色 さらには銀色に変わるそうです。ので用途に合った割合を選んだそうです。金銅仏(銅不足の鎌倉時代70%弱を除く)は銅鐸青銅器のなどと同じ含有率で2~10% 硬度の求められた銅剣・銅鉾は後の梵鐘などと同じで15~20% 白色を求められる銅鏡では30% 程だそうです。

一寸専門的なのですが、古代のものは、錫や鉛が少なく、砒素が多く含まれているが、古くは、鉛が貴重品であったため、鉛の代わりに砒素が用いられたものと考えられる。

 鉛や砒素は、溶融湯の流動性を増し型へのなじみをよくする働きを持つ。しかし、鉛は、錫とは合金をつくるが、銅には溶解せず、合金を造らないため、余り多く加えると、凝固する際に均一な合金とならず鉛が単体で析出する、いわゆる偏析と呼ばれる現象を生じ、表面に鍍金を施す場合は、斑になり美しく仕上がらないといわれている。金銅仏の鍍金が美しいのはこのためであるのかもしれない。と在りました。

確かに見ていて、古代の古代の金銅仏の鍍金が美く残る形容に反して若い鎌倉時代金銅仏は表面が粗です。

勉強の機会を頂きましてありがとうございました。特にウェブの「銅造 - FC2」には教えられました。