孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

安阿弥様て どんな様式?

 
 
前の日記でも触れているのですが、ある地蔵菩薩立像を鑑賞していて下半身の衣襞に安阿弥様式の笹葉が重なっているような形状の衣襞に通じるを観て、思い付きました。

日頃、イメージは持つていて 安易に安阿弥様式と口にしていながら、改めて安阿弥様とはどのような様式なのでしょう?と改めて思い、ネット検索等でいろいろ調べました。

『快慶 - Wikipedia』の内には、 理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれる。と 

『安阿弥様 とは - コトバンク』の内に世界大百科事典内の安阿弥様の言及.【快慶】より  …文献上,彼の最後の作は高山寺十三重塔の中尊像である。彼の後継者には行快,栄快,長快などがあり,その作風は〈安阿弥様〉といわれて,後世まで影響をあたえた。

他のブログにCiNii 論文 - 安阿弥様阿弥陀如来立像の展開--着衣形式を中心にci.nii.ac.jp/naid/40003339122/ -には、ぴったりの題名の山本 勉の論文を見つけたのですが、残念ながら紹介文だけで内容は見れませんでした。

自分の蔵書からも調べてみますと

「カラー版日本仏像史」には、平安後期の平明な様式を前提として、そこに新たな現実感を加味した独特の様式を完成させたそれを快慶の法号にちなんで「安阿弥様」といい、以後の三尺阿弥陀の一基本形と成った。と書いてありました。

「別冊太陽で運慶 時空を超えるかたち」では、平安後期の平明なかたちを基調として、そこに現実的な感覚を付与することでつくり出した親しみやすい姿の阿弥陀如来像は、後世「安阿弥様」と称され、来迎阿弥陀の一典型として・・・(山口隆介)と在りました。

ブログの地蔵菩薩立像 | MOA美術館www.moaart.or.jp/collection/sculpture228/ -  では同館の地蔵立像のキャプションに「衣文の流麗な彫法と合わせて、快慶様(安阿弥様)を受け継いだものである。」としているので、阿弥陀に限らずなのかと迷ったが・・・快慶様=安阿弥様では無くて、快慶様>安阿弥様 の形で、安阿弥様は快慶様の一様式と認識すべきようです。

「安阿弥様」の定義は 快慶の来迎引接の意識で、臨終の間に置かれることを目的とした三尺阿弥陀が中心の様式で、平安後期の平明なかたちを基調として、そこに現実的な感覚を付与することでつくり出した親しみやすい姿の形状の特徴を持つ阿弥陀如来像の様式。 としてみたのですが如何でしょうか?

浄土寺阿弥陀三尊の中尊は宋様式で作られてますので安阿弥様でないです。

「安阿弥様」は阿弥陀如来の像ですので厳密に言えば、高名な東大寺公慶堂の地蔵像は、MOA美術館のキャプションの様に、安阿弥様と云ってはいけないのではないでしょうか?

今回気付いたのですが、東大寺公慶堂と大阪藤田美術館地蔵菩薩立像、これらの像下半身には、共に衲衣姿なのに、此の筆頭に書きました安阿弥様式の「笹葉が重なっているような形状の衣襞」が無いのです。

(宋の仏画を踏襲した浄土寺像は良いとして、) 阿弥陀と地蔵の法衣の下半身の襞を違えた快慶の思いは何なのでしょう?

阿弥陀の法衣と地蔵の法衣の、もう一つの相違に気付いてます
。その内の 地蔵の法衣は田相衣の、形式です。仏像の田相衣は本来本来の田相衣から形骸化・形式化しており、それは美しく描かれていますが、本来の田相衣の意味は「ぼろ布の継ぎ合わせ」、それを考えますと。浄土の教主であります(阿弥陀如来の衣裳には「ぼろ布の継ぎ合わせ」では抵抗を感じます。

阿弥陀には、絹のイメージの様な薄手の衲衣、地蔵は比丘(僧)形の意識で、比丘に相応しい田相衣と区別したのだと思い当たりました。

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次いで、田相衣はパッチワークですので厚手、片や如来の法衣は薄くしなやかな絹のイメージ

快慶はそれで、それぞれの膝前のドレープを違えたのでしょう。

きっとそうなんだと思います!思い当たれば納得で、至極当たり前の事でした。

仏像趣味 こんな考察が私は好きです。



安阿弥様の様式定義の事など、何方かもっとお教えください。


【おまけ】

糞掃衣は汚物を拭う(=糞掃)くらいしか用の無くなった端布を拾い集め綴り合せて身を覆う衣を作った。布は在家者(白い布をまとっていた)と区別するために草木や金属の錆を使って染め直され(染壊)、壊色(えじき)の黄土色や青黒色をしていた。
 
物の所有を禁じられた、僧尼ですが、三衣一鉢〈さんねいっぱつ〉は所持を許されました。鉢は乞食用の食器、三衣とは,下衣の安陀会(あんだえ))(中衣・五条衣)と、その上に着る大衣の鬱多羅僧(うつたらそう)(七条衣)そして時にさらにその上に着る儀式・訪問着の重衣。正装衣で、9条から25条の布片を縫い合わせた1枚の布からなる袈裟の僧伽梨(そうぎやり)だそうです
 
糞掃衣は南伝仏教の僧侶の衣の黄色や赤茶色のルーツ。また、田相衣は九条・七条の袈裟のルーツと思います。