孤思庵の仏像ブログ

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「第50回仏教美術彫刻展」鑑賞

先の日記にて書きました「第50回仏教美術彫刻展」に28日に友人と3人で行って来ました。
 

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日頃は博物館、美術館で 古仏像を観ていますので、新作の仏像はあまり見てなくこの展示会は新鮮な感じでした。

日頃の鑑賞では時代的特徴、保存状態と後補が気になるのですが、今回ははそうした事なしです。そんな中で仏像の見所はお顔に衣文表現かと思いました。

日頃の古仏像の鑑賞で好きなのは、それぞれの時代にも在る写実表現です。ところがここでの、初っ端展示の薬師如来、それには写実は在りませんでした。

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勿論狙いがあっての事でしょうが。木像でありながら、飛鳥の小金銅仏を思い起こさせた硬い感じなのです。
通肩の衣襞は観念的な造型で単調の繰り返し、また抑揚の無い直立の体躯がそう思わせるのでしょう。 その狙いは能楽の様式にも似て、写実などの余計を一切排した観念的な像と思うのでした。

それとは逆で、地蔵菩薩は安心を感じました。しつこい写実は無いものの
安心感を与える像でした、お顔は先述の薬師の完全シンメトリーに対し、微かのズレに、肉筆感を感じます。

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衣文襞も整理されて居るものの、左手に掛かる大衣の袖部分の二重に写実狙いが在るように思いました。また素地で木目が良く読めますので、肩から割り剥ぐ事なしと解りました。の袖の彫技に苦労がしのばれます。
展示の作品は小像が殆どでしたので、そのほとんどが木寄せの無い一木造りと
見受けました。
この地蔵像も蓮華座までの一木の丸彫りかと見受けました。自信が無いので
会場におられた他の作家の方にお訪ねしましたら、蓮肉とは縁を切って足臍ではとのご返事でした。その様に聞きましても、私はまだ蓮肉蓮弁ともの蓮華座と一材仕上げかもしれないと思います。だとしたら像底部分の仕事のご苦労は如何ばかりかと・・・。

 地蔵像の衲衣大腿部から脛の部分の衣襞は快慶の安阿弥様の笹形衣襞に近いと思いました。ここで気付いたのですが、阿弥陀像と地蔵像では共に衲衣姿ですのに、快慶の阿弥陀像と地蔵像では、その腿とひざ上の衣襞の様子が全く違うのですね!
阿弥陀は笹形の立て襞ですのに、地蔵の方の襞は孤を描いて横に流れます。この使い分けは如何なる意味を持つのでしょう?今まで全く築いて居ませんでした。他でのキャプションで地蔵像に対しても安阿弥様と書いてあるを見ましたが、ここにきて、安阿弥様は三尺阿弥陀に限られるのではと思いました。安阿弥様の定義を知らずに来ていたに気付きました!それを知りたくて、ブログ検索しましたが明確にそれを説明して居るものにヒットできませんでした。

此の地蔵像の笹形衣襞が思わぬ勉強の糸口発見と成りました。

ここでの仏像達は、その殆どが素地仕上げですので、木目を読んで季寄せを探る見方をしましたが。蓮華座までは一材弟子て、 その下の返り花は用材の大きさの関係も有ってで、一材仕上げは無理と開削しました。

今回の展示キャプションには用材の明記が在り勉強に成りました。中でもヒューオンパインと云う材には主にタスマニア西部に自生し、成長が極めて遅いため、年輪はつまっていて固い良い材となる・・・。との説明も在りで、木目の見えないその材に感心しました。

また見慣れない和白檀と云う用材表記も在り、帰宅後に調べましたら、それは杜松の事で、材は緻密でかたく、和白檀(わびゃくだん)として白檀の模擬材で装飾、彫刻に用いると在りました。

また別には唐白檀とも記されるものもありまして、インドでなしに中国でも白壇が自生するのか???とでしたが、これも調べましたら、想像が当たっており、接頭の「唐」の意味は外国から輸入された品物の意で唐白檀はインド産の白檀そのものでした。

以上は、宿題でした事柄の同行二人への解答です。

展示の中には仏像でなく自由彫刻も展示されて居ました。、明治以来の先達もそうでしたが同時に彫刻家として仏像以外の彫刻作品も創作されるようです。仏教美術彫刻展との展の括りが在りますので、彫刻作品も皆が仏教に由来する彫刻では在りました。

しかしそれらは儀軌に縛られないで自由彫刻、これおもしたいとの思いなのでしょう、数点彫刻作品も在りました。 そしてそれの仏像と彫刻の違いに、仕上げ方の相違を見つけました。彫刻作品では鑿目が残る仕上げで、仏像は鑿目を消す仕上げをしています。彫刻と仏像の違い、その意識を感じます。

そんな彫刻作品の中に「滂沱」と題する作品が在り、同行の友は、仏弟子の中に滂沱と云う名の人が居るのかと早合点をしかけましたが、持参の電子辞書で、1) 雨の降りしきるさま。 2) 涙がとめどもなく流れ出るさま。 と調べが付き題名を理解しました。

仏弟子釈尊涅槃の際に、手で顔を覆い滂沱する者と、後ろからその肩に手を置き、自らも堪えるように天を仰ぐ者との二人の仏弟子の像です。

今度は同行友人は深読みし過ぎで、その二人を釈迦涅槃図の悲しみの衝撃で気を失うのアーナンダ(阿難)と、気付けと呼び起こす兄弟子のアヌルッダ阿那律)と思ったのですが、折よく、会場にその作者が居まして聞きますと、釈迦の臨終に悲しむ二人の羅漢の鏡中の差を描いたとの事でありまして、アーナンダとアヌルッダとの思い込みは、知っているだけにの深読み誤解なのでした。

もう一方の韋駄天像の作者にも、いろいろお聞きでしかして、この像はある寺からの依頼注文で作仏していたのですが、途中その寺側の希望ニーズが定まらずで物別れキャンセルと成ってしまった像との裏話まで聞きました。
 
また彼の父君は塗り仏師で、それを継ぐには彫仏師が出来てからでないと良くないの事で彫仏師を始めたとの事でした。
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そう言えば、素地の像が多い中で、この像は 金泥と火焔に彩色の加飾がされて居ました。加飾も自分で手掛けられたそうです。その時の話の中で、関東では
光が強い截金は好まれない傾向が強いため、もっぱら関西が中心だと聞きました。又技法面でも、仏像肉身部の金仕上げに、まず箔を押して、その上に金粉を蒔いて、光沢を抑える技法なども教わりました。

またこの方は修理もされて居るとの事で、修理の仕方もいろいろ聞きました処、東京藝大での修理方法とは相違がいくつもありまして、文化財指定(藝大は地方指定品修理が中心)のそれと、無指定の仏像の修理とでは、考え方を異にする処のあるを知りました。

話があちこちしますが、先ほどの彫刻「滂沱」の作者の仏像の方の作品も、目を引きました。それ
は古式の観世音菩薩でして、そっくりではないのですが法隆寺百済観音を思い起こさすものでした。 どうも似せて作る事はしないも、イメージの基は著名遺作に在るのもの様です。

話が行ったり来たりで恐縮ですが、最後に心に残りましたのは、韋駄天像の作者の言葉の中に、「自分は粘土試作はしません」と言われてました。一般に立体からの写し彫刻する方が楽ですので、多く作者が事前に粘土像を先行製作するのは知ってましたが、彼は「写すと弱くなるからと・・・」云いました。私は木から仏を彫りだすお気持ちなのですねと付け加えました。 そして粘土で作った像は塑造で、モデリング的な特徴に成ります。片や木彫はカッティングでその表出の形は相違の物です。ですので塑像を写す木彫には問題ありなのだと後からから意味が深まって理解できました。

また地蔵像の作者のSNSの文章には一刀三礼的な事を云われてまして、入魂の作像の思いを言われてたを覚えています。 現在も真の仏師在りでしてすね!
 
鑑賞ばかりでなしに、何時か自分も彫りたい夢を持ちます。
折角いろいろ、仏像 能書き鑑賞を続けていますので、最後にはそれを生かした自分の仏像を造りたいです。

★尚、同展は日本橋三越本店 6F で9月2日まで開催です。
三越仏教美術彫刻協会のHP ご参照ください。