【最終・3報】6月の「仏像愛好の集in東博」は定例の第一土曜の7日(土)
「仏像愛好の集in東博」定例
2014/5/28(水) 午前 0:53[ buo**iorn*1206 ]
Mです。
東博11号室の展示のうち、静岡県裾野市願生寺の阿弥陀如来坐像は運慶に極めて近い慶派仏師の作として注目される像です。 像底が上げ底式であること、現在は後補の玉眼であるが当初は彫眼であったと思われることなどから願成就院阿弥陀よりも浄楽寺阿弥陀に近い(浄楽寺阿弥陀以降と推定)と考えられています。満願寺の2菩薩や曹源寺十二神将と同一工房、それも浄楽寺の諸像を作った運慶工房の小仏師ではないかと思われます。 この願生寺阿弥陀に関する論文(MUSEUM No.601 2006.4月号)のコピーがありますので、6月定例会当日は現地で浄楽寺阿弥陀や満願寺菩薩像の写真と比べながら議論したいと思います。 2014/5/28(水) 午前 1:15[ buo**iorn*1206 ]
★ Ⅿさん、11室のコメント、有難うございます。関連画像添付します。
「阿弥陀如来座像」木造、漆箔、玉眼
鎌倉時代・12~13世紀 静岡・願生寺
静岡県裾野市の時宗願生寺に伝来した、来迎印を結ぶ阿弥陀如来像。たっぷりした肉付き、上げ底状に像底を刳り残す肉刳りの技法などが運慶の作品に通ずる。鎌倉時代初頭に東国で活躍した運慶周辺の仏師の作とみられ、有力な武士の発願にかかるものだろう。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110831/10/tonton3/f1/22/j/t02200293_0400053311453162978.jpg http://pds2.exblog.jp/pds/1/200805/10/02/f0120102_18422767.jpg
願生寺 浄楽寺
「十二神将立像」木造、彩色、玉眼
鎌倉時代・12~13世紀 神奈川・曹源寺
神奈川県 横須賀市の曹源寺に伝来した像。鎌倉初期の運慶派の清新な作風をしめす。一具中の戌神像内にある鎌倉末の 修理銘中に「けんきうのころのほとけなり(建久の頃の仏なり)」の文言があって、一具が建久年(1190~99)に製作されたことを暗示する。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110831/10/tonton3/02/77/j/t02200293_0400053311453162942.jpg http://stat.ameba.jp/user_images/20110831/10/tonton3/b7/37/j/t02200293_0400053311453162943.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/20110831/10/tonton3/72/ca/j/t02200293_0400053311453161522.jpg http://stat.ameba.jp/user_images/20110831/10/tonton3/a2/4c/j/t02200293_0400053311453161521.jpg
Aさんよりお便り頂きました。掲載します。 ご無沙汰しています。 久しぶりに、東博に参加します。 午前中は、東御苑で撮影があるので、昼から参加します。 のぶちゃんさんと京都へ行かれる様ですね。京博の浄瑠璃寺の薬師様は素朴でした。 他にも良いものありました。結構楽しめますよ。 先日の仏像の勉強で、東大寺様と言う定義があり、慶派(運慶)の東大寺の旧四天王を 言う様です。 密教系の四天王と東大寺の四天王との区別らしいです。 仏像鑑賞も形姿的な見方から、文化が形になったソフト的な見方も面白くなって、 先般京都を一人歩き回って来ました。 又、人が少なくなった頃、行ってみようと思います。 それでは、7日午後よろしくお願いします。 孤思庵よりAさんへ 返信
お便り有難うございます。 7日午後の東博でを楽しみにしてます。月曜から2日間京都、3日目は奈良に行きます。 募集に呼応頂けたがのぶちゃんさんだけで少し寂しいです。 四天王の東大寺様は仰せの通りと認識しています。頼朝が御家人に再興を割り当てた四天王は、後の焼亡で、ながらく様態が解らなかったを、醍醐寺蔵の東大寺大仏殿図(先に金沢文庫に展示された)の研究で、海住山寺の小像や笠置 寺四天王像などが写し取っているが認識されましたね。両寺の小像四天王像ともに見てます。 私達は京博で浄瑠璃寺の薬師像はタッチの差で見られません(涙)その薬師像の観想や「文化が形になったソフト的な見方での先般京都を一人歩き」のお話、7日にご披露ください。 Mです。
この週末急きょ京都へ行くことになり、ただ今東京へ帰ってきました。 浄瑠璃寺大日如来のことを議論するにしても実物を見ていないことには始まらないと思った次第です。 大阪市立美術館「山の神仏」が本日最終日、また、京博の南山城展の浄瑠璃寺薬師如来も今日が展示の最終日なので、この2つの展覧会を見に京都と大阪へ行ってきました。 行く前にあわてて図書館で岩波の大和古寺大観浄瑠璃寺岩船寺海住山寺編から出品作のページをコピーするなど直前までじたばたしていました。 一応目的は達成できたので、次回の東博の集いでは浄瑠璃寺大日や加茂現光寺十一面観音の製作年代について議論したいと思います。 2014/6/2(月) 午前 0:01[ buo**iorn*1206 ]
現光寺十一面観音というのは製作年代を考えるのにちょっと難しい作品です。鎌倉初期といっても10年単位で年代を設定しろと言われるとちょっと考え込んでしまいます。
また、浄瑠璃寺の薬師如来は昔お寺で拝観しましたが、今回は資料持参でじっくり見ることができました。浄瑠璃寺が創建された時にこれが収められていた建物はどのような物だったのか、それがどのように今の九体阿弥陀堂になったのかなどいろいろ考えさせられました。 見て良かったのは海住山寺の四天王。特に白の広目天です。あんなに小さな像なのに迫力、大きさを感じるというのはそれだけできがいいということ。図録の解説に運慶の光明院大威特明王との作風的な関連のことが書かれていましたが、それも納得できます。これから行かれる方は拡大鏡の視野一杯に白の広目天を入れて、その迫力を感じてください。(同じ大仏殿様四天王でも快慶一派作の高野山の像よりこちらの方がいいかとも思ってしまいました。) では、詳しいことは6月の東博の集いで。 2014/6/2(月) 午前 0:09[ buo**iorn*1206 ] 孤思庵さんへ
下の記事のコメントですが、私には研究・鑑賞の目的は「年代判定、作者の推定、製作の背景の解明」の3つであり、年代判定は手段ではなく解明すべき第一の目的です。まず第一に年代が見えてこないことには作者のことも製作の背景も議論が始まりません。 また、慶派なら10年単位で分かるなどとおそれ多いことは言ってません。年代の判明している作品を並べて、対象としている作品をこの中のこの辺に入れてもいいかなと勝手に思うだけです。 2014/6/2(月) 午前 0:25[ buo**iorn*1206 ]
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東博11号室の展示のうち、薬師寺の地蔵菩薩立像の納入願文に「延応2年(1240) 善円 生年四十四」とあり、一方、奈良西大寺の本尊清凉寺式釈迦の台座框上面の墨書に「建長元年(1249)大仏師善慶 歳五十三」とあります。逆算するとともに建久8年(1197)の生まれであり、これにより善円と善慶は同一人であり、改名したものだろうと考えられています。(薬師寺地蔵の納入願文が発見されるまでは善慶は善円の弟子と推定されていました。)