孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

後輩の仏友さんに…私の仏像趣味

昔からのなじみの仏像趣味の会に参加しました。 その会は、旧態依然とPCに取り込んだ尊像別の仏像写真の披露と簡単な説明、所蔵寺院名だけは分りますが、時代も斟酌されません。

各尊像の一絡げの簡単な解説のみで、その尊の時代的変遷などは少しも斟酌していません。 

例えに阿弥陀を取っても、その経典の浄土三部経に関心は全くなしです。 観無量寿経を斟酌なしのただ九品の印相のみが注目されるのです。

浄土観想中心からの阿弥陀如来像(この奈良時代以前に阿弥陀印の定着なし)が、平安期から密教阿弥陀の捉え方の影響で坐像・阿弥陀定印(禅定印・上品上品印)が定着、鎌倉期の融通念仏や浄土教の来迎思想に変わり立像や来迎印・下生印に成ると云う、日本仏教思想の変遷は九品の印相の知識からは辿れないと思います。

実は面白いのですよ! 吉祥坐と降魔坐とだけの名前の知識では「悟った如来と修行中の違い」としか説明できません。それも釈尊の坐法の意味としては間違いではないのですが・・・

平安時代の仏像坐法の観点としては説明に成りません。日本の仏教の変遷を知れば、顕教の坐法はいわゆる吉祥坐で、純粋密教が入ってきてからは五智如来阿弥陀が スタンダード化して密教の坐法、いわゆる降魔坐が定着するのです。

あの平等院鳳凰堂阿弥陀像は 阿弥陀の定印・降魔坐は阿弥陀密教化なのです(曼荼羅の仏たちは 皆坐像でいわゆる降魔坐の足を組んでいます)。

これらは仏教美術史の文章を読めば出ています。出来れば、同志にはその観点で仏像を鑑賞して頂きたいです。

そして次に阿弥陀の信仰は貴顕丈六仏から全国への普及化を辿り小型化して上層階級の信仰の中心と成りやがて来迎引接に主眼を置き、立像や三尺阿弥陀を生み、鎌倉期には、中級武士への波及で武蔵型板碑信仰などを生み、やがて専修念仏として、阿弥陀は大衆のものになってゆく 、斯様に阿弥陀信仰は
変遷し来ており、その時代時代の世相を映しています。
 
 
 
仏像を評して曰く「綺麗だの癒される」だの 耽美的観賞が大勢は否定しませんが、それは個人の域を超えません、仏像を鑑賞する時には、せめて 時代は認識してほしいです。

そして基本的な日本仏教史・思想史を頭に入れておきたいです。 そこから見えてくる各時代の信仰や思想をくみ取りたいです。
 
 法隆寺 伝橘夫人念持仏   平等院鳳凰堂 阿弥陀坐像         東大寺俊乗堂快慶作阿弥陀立像
         (白鳳時代)                  (藤原時代)                (鎌倉時代
                                                                                                               

 
藤原仏と鎌倉仏の区別もままならないのに、勉強会で披露された快慶の年代的変遷の斟酌はどれほどの重さの意味を持つのでしょうか?まずは仏像の時代的を知ろうとする姿勢を演者なら持っていてほしいです。唯乙女チックだの、おばさん的だのの評で良いのでしょうか? 容認する聴衆は、同レベルなのか?はたまた容認する寛大な大人なのでしょうか? 誤謬を訂正が為されないのです。きっと仏像の名と主催尾者の名を冠したサロンなのでしょう・・・
 

高言を吐いてしまいましたが、ここからは、自身の反省です。当方もまだまだ浅学で、最近まで時代区分を飛鳥・白鳳・天平弘仁貞観・藤原・鎌倉・南北朝・・・・との枠で認識してきました。

碩学の仏像友達(以下仏友と省略します)を得る様になり、奈良様・承和様などのキーワードを教わり、それらについて勉強してみますと、その括りでは不十分を痛感してきてます。もっと各時代の中での遺作の順番、其のクループ分けが必要で、其のクループには先述の日本思想史の時代背景などが内在しているのです。 感化され、もっと琢磨され、研鑚して、認識を深めて行きたいです。

日本仏像史の全般を学べる一般向け書籍として、我がテクスト「カラー版 日本仏像史」美術出版社 監修 水野慶三郎 を永らく愛読し、仏友にも推奨し続けてまいりましたが、もう出版から10年を超えているのですね! 
 
仏友から薦められ、この度久々に テクスト的な名著に出合いました。『別冊太陽 仏像 日本仏像史講義』 平凡社 山本学 です。昨年夏に出版されまして、久々の名著と思いました。
 

我が「仏像愛好の集」グループのテクスト的としたく思います。

碩学のメンバーも得ましたので、何れは両書をテクストとした日本仏像史の系統立てた連続勉強会をする事を夢見ています。

我等は趣味人、専門的には及びませんが、仏像を観る以上 系統づけた知識を得たいものです。

両書の他にも我らテクストに適当な秀書が在りましたならご紹介ください。 

それぞれテーマを絞った名著は散見しましたが、系統立てた手頃な本は、存外に少ないですね、 (中公新書)長岡龍作の『日本の仏像ー飛鳥・白鳳・天平の祈り美ー』も読み始めましたが難しくて読破はまだしていません、途中で放棄してしまいました。着目は面白いので、いづれまた挑戦してみたく思ってます。
 
http://ecx.images-amazon.com/images/I/41CBjLeAoSL._SL500_AA300_.jpg

在る方の仏像書の読書は、絵本的な仏像写真眺めと思います。是非に長文を、苦労して読書してみるも一興と存じます、一人では投げ出すを仏友と共でチャレンジしてみませんか?一人では辛い登山、何人かでの一緒なら 登れるかもです、一緒に少し高い山も登ってみませんか?

是非に 両書を読み易い処から少し読んでみてください。

仏像 眺めるから脱し、意味も観てみましょう!

昔 ある仏友に諌められましたを思い出しました「水辺に馬を引いて来られても、馬に飲む気が無ければ、飲ませられない」と・・・

それは お節介だとのアドバイス、真理・事実でしょう。そして、もう御節介はすまいと思った私でしたが・・・でも、仏像の魅力を仏友達に ご紹介して、水を飲もうかと思い始めた あなたを是非に水辺にお連れしたいものです。
【 『仏像愛好の集in 東博』】に御参集ください!(前の日記に 詳細が在ります) 】
 
また、高みからご覧になら、彼と我は50歩100歩と存じます、どうぞ ご批判、ご要望を頂きたく思っております。自身としては先達の仏友から学び研鑚をしてゆきたく思ってます。宜しく御指導お願いましす。
 
仏像は如何にふれあい、感じるも自由のはずです、今回は我田引水で我論が過ぎたと反省です。仏友のみなさにはもっと気楽に仏像を楽しむ道をご紹介頂きたく思います。多くの方に仏像の日記の投稿をお願いします。

6月7日の「仏像愛好の集」で集い、大いに語り合いましましょう。