孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

【第2報】6月の「仏像愛好の集in東博」は定例の第一土曜の7日(土)

【第2報】

 
 
6月の「仏像愛好の集in東博」は定例の第一土曜の7日(土)です。
仏像がお好きな方はお気軽に参集ください!
クリックすると新しいウィンドウで開きます  クリックすると新しいウィンドウで開きます

                                                              http://img6a.smcb.dena.ne.jp/cvt/pst/1/701/rd6j9kala5ipcmrd63hocmb52h84210.jpg/500x500-49152.jpg
 
前回、5月3日の「仏像愛好の集in東博」は、連休中にもかかわらず、(途中参加と早退を含めますが)、述べ12名の参加を頂きました。

午後の勉強会会場として、台東区生涯学習 学習館-ループ学習室を始めて使用しました。
概ね好評でした。

前回の集では、6月7日のAMの予定を藝大美術館「法隆寺―祈りとかたち」展団体鑑賞と致しましたが、「法隆寺―祈りとかたち」は既に別途観覧済みの方が多いと聞きましたので、急遽変更させて頂きます。

6月7日の集は 異例の【午前中は各自の自由選択行動と致します。】

腹案として以下などを考えました。

①藝大美術館 「法隆寺―祈りとかたち」展
東博 11室
東博 東洋館
東博 法隆寺
東博 平常展(総合文化展) (11室前に集合)



各場所とも10時に入り口に参集で 、そこで逢ったメンバーとご一緒鑑賞では如何でしょう?
」(勿論、午後からの勉強会のみの参加も宜しいです。)



尚、東博11号室の展示は前回の重文新指定仏像などの陳列から、前々回の展示に戻っています。


11号室展示作品

① 重文 地蔵菩薩立像 善円作 鎌倉時代・延応2年(1240) 奈良・薬師寺
像内納入願文に延応2年に善円が造った像とわかる。帆の巌門委は善円の生年が書いてありそれが善慶と一致で、両社が同一人物と考えられるようになったそうです。
 

阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 C-19

左足を前に踏み出し往生者に来るを表現の立像です。
この像は襟際、衲衣と裙の境を割り矧いでいて、着衣相互、肉身と着衣の境を明瞭にしています。
平安末から始まり、鎌倉時代に流行した技法です。
 
阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 個人蔵

この像は生身の阿弥陀を表現しようとした技法で作られてます。玉眼は勿論、螺髪には一粒ごとに導線を巻き付けています、後頭部のそれに導線がほつれてその事が良く解るがあります。押し裏まで仏足紋を描き、それの障りにならないように通常の角の材の枘では無しに 細めの鉄の心棒で立てられてます。
 
 
 
6月の「仏像愛好の集in東博」は定例の第一土曜の7日(土)です。
仏像がお好きな方はお気軽に参集ください!
クリックすると新しいウィンドウで開きます  クリックすると新しいウィンドウで開きます

                                                              http://img6a.smcb.dena.ne.jp/cvt/pst/1/701/rd6j9kala5ipcmrd63hocmb52h84210.jpg/500x500-49152.jpg
 
前回、5月3日の「仏像愛好の集in東博」は、連休中にもかかわらず、(途中参加と早退を含めますが)、述べ12名の参加を頂きました。

午後の勉強会会場として、台東区生涯学習 学習館-ループ学習室を始めて使用しました。
概ね好評でした。

前回の集では、6月7日のAMの予定を藝大美術館「法隆寺―祈りとかたち」展団体鑑賞と致しましたが、「法隆寺―祈りとかたち」は既に別途観覧済みの方が多いと聞きましたので、急遽変更させて頂きます。

6月7日の集は 異例の【午前中は各自の自由選択行動と致します。】

腹案として以下などを考えました。

①藝大美術館 「法隆寺―祈りとかたち」展
東博 11室
東博 東洋館
東博 法隆寺
東博 平常展(総合文化展) (11室前に集合)



各場所とも10時に入り口に参集で 、そこで逢ったメンバーとご一緒鑑賞では如何でしょう?
」(勿論、午後からの勉強会のみの参加も宜しいです。)



尚、東博11号室の展示は前回の重文新指定仏像などの陳列から、前々回の展示に戻っています。


11号室展示作品

① 重文 地蔵菩薩立像 善円作 鎌倉時代・延応2年(1240) 奈良・薬師寺
像内納入願文に延応2年に善円が造った像とわかる。帆の巌門委は善円の生年が書いてありそれが善慶と一致で、両社が同一人物と考えられるようになったそうです。
 

阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 C-19

左足を前に踏み出し往生者に来るを表現の立像です。
この像は襟際、衲衣と裙の境を割り矧いでいて、着衣相互、肉身と着衣の境を明瞭にしています。
平安末から始まり、鎌倉時代に流行した技法です。
 
阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 個人蔵

この像は生身の阿弥陀を表現しようとした技法で作られてます。玉眼は勿論、螺髪には一粒ごとに導線を巻き付けています、後頭部のそれに導線がほつれてその事が良く解るがあります。押し裏まで仏足紋を描き、それの障りにならないように通常の角の材の枘では無しに 細めの鉄の心棒で立てられてます。
 http://homepage3.nifty.com/shunju-bunko/images/gokurakuji04.jpg 展示の像の底部ではありません、鉄の心棒を理解の為の資料
 
 
④ 動明王立像 平安時代・11世紀 寄贈 C-18 以下はキャプションを参考に良くご覧ください。





           ★【午後の勉強会は場所が変更


 予告してました場所(×台東区生涯学習センター) から
【◎東博 平成館 ラウンジ 飲食コーナー】に場所変更に成ります!


●弁当持参の方は、12時に集合で、お弁当と雑談をお願います。
(昼食 別途お済ませの方は13時までに御参集願います。)



              【勉強会】 


 
[場所]    東博 平成館 ラウンジ 飲食コーナー

 [日時]    6月7日 13:00開始 (途中参加・退席自由)
弁当持参者は同所で懇談しながら、13:00までに昼食をお摂りください。 
 
 [携帯品]  ご自分の発表の配布資料が在る方は持参と配布をお願いします。




 『仏像関係の発表-(希望・準備者)& ディスカッション』


                                 【発表】
 
① 暗夜軒さんが 『中野玄三説のf復習を兼ねて、横蔵寺と小浜の話』中心は安藤由佳説で中野説を補う話しをされます。

② Mさんには 「運慶様式の母体としての奈良仏師~康助、康慶から運慶へ」前回の平安末期の奈良仏師の話が不十分だったと思いますので、続きをされます。今回は作品相互の関係など、もう少し深く掘り下げたいと思います。との事です。


③ 「最近知った釈尊関係のビックリ!」(孤思庵)

・過去7仏、釈迦は7番目出現の如来に非ず」!
弥勒だけに非ず、釈迦も56億7千万年間、兜率天で思惟!
・右脇から生まれるは釈迦のみに非ず!
・生誕時に七歩歩いた釈迦、その後ずっと歩けて居たのか? 
天上天下唯我為尊は釈迦が言ったのでは無い!
・生母は長女、叔母 摩訶・波闍波提は八女 若すぎる養母・・・
・母方の叔母は二人づつ父方の叔父に嫁ぐ!
etc


★その他 発表して頂ける方はお願いします。
 
話をしてくださる方にはもちろんですが、それが成り立つのは聴衆の方が居てくださってです。聴衆の方にも感謝しております。
 
 
             【ディスカッション】
 
①一木造り・壇像・代用壇像・壇色像・彩色像・漆箔像の定義
 
②仏像の用材(樹種)
出来れば
予習して発にディスカッションに参加して下さい!

勉強会は16時ごろに終了したく思います。



【予告】
★また再来月7月の「仏像愛好の集in東博は第一土曜日で5日なのですが、その日 午後の勉強会会場(台東区生涯学習センター)の手配が付かない為、特別に翌日の6日(日曜)にさせて頂きます、宜しく日程調整をお願いします。
追ってまた、詳細報告します。
④ 動明王立像 平安時代・11世紀 寄贈 C-18 以下はキャプションを参考に良くご覧ください。





           ★【午後の勉強会は場所が変更


 予告してました場所(×台東区生涯学習センター) から
【◎東博 平成館 ラウンジ 飲食コーナー】に場所変更に成ります!


●弁当持参の方は、12時に集合で、お弁当と雑談をお願います。
(昼食 別途お済ませの方は13時までに御参集願います。)



              【勉強会】 


 
[場所]    東博 平成館 ラウンジ 飲食コーナー

 [日時]    6月7日 13:00開始 (途中参加・退席自由)
弁当持参者は同所で懇談しながら、13:00までに昼食をお摂りください。 
 
 [携帯品]  ご自分の発表の配布資料が在る方は持参と配布をお願いします。




 『仏像関係の発表-(希望・準備者)& ディスカッション』


                                 【発表】
 
① 暗夜軒さんが 『中野玄三説のf復習を兼ねて、横蔵寺と小浜の話』中心は安藤由佳説で中野説を補う話しをされます。

② Mさんには 「運慶様式の母体としての奈良仏師~康助、康慶から運慶へ」前回の平安末期の奈良仏師の話が不十分だったと思いますので、続きをされます。今回は作品相互の関係など、もう少し深く掘り下げたいと思います。との事です。


③ 「最近知った釈尊関係のビックリ!」(孤思庵)

・過去7仏、釈迦は7番目出現の如来に非ず」!
弥勒だけに非ず、釈迦も56億7千万年間、兜率天で思惟!
・右脇から生まれるは釈迦のみに非ず!
・生誕時に七歩歩いた釈迦、その後ずっと歩けて居たのか? 
天上天下唯我為尊は釈迦が言ったのでは無い!
・生母は長女、叔母 摩訶・波闍波提は八女 若すぎる養母・・・
・母方の叔母は二人づつ父方の叔父に嫁ぐ!
etc


★その他 発表して頂ける方はお願いします。
 
話をしてくださる方にはもちろんですが、それが成り立つのは聴衆の方が居てくださってです。聴衆の方にも感謝しております。
 
 
             【ディスカッション】
 
①一木造り・壇像・代用壇像・壇色像・彩色像・漆箔像の定義
 
②仏像の用材(樹種)
出来れば
予習して発にディスカッションに参加して下さい!

勉強会は16時ごろに終了したく思います。



【予告】
★また再来月7月の「仏像愛好の集in東博は第一土曜日で5日なのですが、その日 午後の勉強会会場(台東区生涯学習センター)の手配が付かない為、特別に翌日の6日(日曜)にさせて頂きます、宜しく日程調整をお願いします。
追ってまた、詳細報告します。
★以下のコメントを頂いて居ます。
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Mです。

東博11号室の展示のうち、薬師寺地蔵菩薩立像の納入願文に「延応2年(1240) 善円 生年四十四」とあり、一方、奈良西大寺の本尊清凉寺式釈迦の台座框上面の墨書に「建長元年(1249)大仏師善慶 歳五十三」とあります。逆算するとともに建久8年(1197)の生まれであり、これにより善円と善慶は同一人であり、改名したものだろうと考えられています。(薬師寺地蔵の納入願文が発見されるまでは善慶は善円の弟子と推定されていました。)削除
2014/5/28(水) 午前 0:53[ buo**iorn*1206 ]
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Mです。

東博11号室の展示のうち、静岡県裾野市願生寺の阿弥陀如来坐像は運慶に極めて近い慶派仏師の作として注目される像です。
像底が上げ底式であること、現在は後補の玉眼であるが当初は彫眼であったと思われることなどから願成就院阿弥陀よりも浄楽寺阿弥陀に近い(浄楽寺阿弥陀以降と推定)と考えられています。満願寺の2菩薩や曹源寺十二神将と同一工房、それも浄楽寺の諸像を作った運慶工房の小仏師ではないかと思われます。

この願生寺阿弥陀に関する論文(MUSEUM No.601 2006.4月号)のコピーがありますので、6月定例会当日は現地で浄楽寺阿弥陀満願寺菩薩像の写真と比べながら議論したいと思います。削除
2014/5/28(水) 午前 1:15[ buo**iorn*1206 ]
 
 
★ Ⅿさん、11室のコメント、有難うございます。関連画像添付します。
 
 
 
阿弥陀如来座像」木造、漆箔、玉眼
鎌倉時代・12~13世紀 静岡・願生寺
静岡県裾野市時宗願生寺に伝来した、来迎印を結ぶ阿弥陀如来像。たっぷりした肉付き、上げ底状に像底を刳り残す肉刳りの技法などが運慶の作品に通ずる。鎌倉時代初頭に東国で活躍した運慶周辺の仏師の作とみられ、有力な武士の発願にかかるものだろう。
                               願生寺                                   浄楽寺
 
 

十二神将立像」木造、彩色、玉眼
鎌倉時代・12~13世紀 神奈川・曹源寺
神奈川県 横須賀市の曹源寺に伝来した像。鎌倉初期の運慶派の清新な作風をしめす。一具中の戌神像内にある鎌倉末の 修理銘中に「けんきうのころのほとけなり(建久の頃の仏なり)」の文言があって、一具が建久年(1190~99)に製作されたことを暗示する。


 
 
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Aさんよりお便り頂きました。掲載します。

ご無沙汰しています。
久しぶりに、東博に参加します。
午前中は、東御苑で撮影があるので、昼から参加します。
のぶちゃんさんと京都へ行かれる様ですね。京博の浄瑠璃寺の薬師様は素朴でした。
他にも良いものありました。結構楽しめますよ。
先日の仏像の勉強で、東大寺様と言う定義があり、慶派(運慶)の東大寺の旧四天王を
言う様です。
密教系の四天王と東大寺の四天王との区別らしいです。
仏像鑑賞も形姿的な見方から、文化が形になったソフト的な見方も面白くなって、
先般京都を一人歩き回って来ました。
又、人が少なくなった頃、行ってみようと思います。
それでは、7日午後よろしくお願いします。
 
 
顔アイコン孤思庵よりAさんへ 返信
お便り有難うございます。
7日午後の東博でを楽しみにしてます。月曜から2日間京都、3日目は奈良に行きます。 募集に呼応頂けたがのぶちゃんさんだけで少し寂しいです。
四天王の東大寺様は仰せの通りと認識しています。頼朝が御家人に再興を割り当てた四天王は、後の焼亡で、ながらく様態が解らなかったを、醍醐寺蔵の東大寺大仏殿図(先に金沢文庫に展示された)の研究で、海住山寺の小像や笠置 寺四天王像などが写し取っているが認識されましたね。両寺の小像四天王像ともに見てます。
私達は東博浄瑠璃寺の薬師像はタッチの差で見られません(涙)その薬師像の観想や「文化が形になったソフト的な見方での先般京都を一人歩き」のお話、7日にご披露ください。