メンバーの日記転載 若狭・小浜 仏像の旅 第13回最終 京博「南山城の古寺巡礼」展
前から続きます。長すぎて1回に収まらないので。
それにしても、解体補修後、円成寺の運慶の大日如来坐像(安元2年、1176年)、横蔵寺の筑前講師作大日如来坐像(寿永2年、1183年)とも比較されている。
三重塔の移築年から、製作年を承安元年(1171)とも治承2年(1178)ともいわれているそうで、製作技法から仏師を特定し、横蔵寺大日にも関連づける説があるそうたが、わたしは読んでいない。
この浄瑠璃寺の大日如来は眼が短い。確かに慶派に間違いないが、作者が特定できるなら、もっと目じりが切れ長でもいいのではと感じた。
素人が言っても始まらないし、学者が決めて、議論の中で評価が定着することだろうが、京都国立博物館の学芸員は図録の解説では次のように言っている。
「製作時期 鎌倉時代。12世紀から13」世紀、像容の点では、円成寺の大日如来像と共通する点が多い。また、顔付など細部の特徴が康慶の作風とも共通することが指摘されている。このような特徴から、本像も慶派仏師による鎌倉時代初期の作と見られる。浄瑠璃寺では、承安元年(1171年)に十万堂を秘密荘厳院も改造しており、また治承2年(1178)に三重塔を移築していることなどから、本像の造像時期をその頃、すなわち、1170年代とする指摘もある。しかし、安元2年(1176年)製作の円城寺の運慶作大日如来像や寿永2年(1183)に製作された横蔵寺の筑前講師作大日如来像と比べると、ひじの張り方なども穏やかで、大胆さというよりはおとなしい感じを受けることから、それら1170~1180年代に製作された像を手本にして製作された可能性も、考える必要があるのではないだろうか。」
さすが京博である。京博や奈良博が仏像に関して見解は崩れない。「12世紀~13世紀」と書いてあるが、時代は鎌倉初期としている。一部の事象を取り上げて当て嵌めようとするところを排し、的確な書き方をしている。学芸員はもっと意見があるのだろうがそこまで書かないのもさすがである。
移築年代が製作年代とは限らないし、円成寺の運慶作の大日如来を写した印象が強いこと。そうすると製作年代は13世紀にまで下がる可能性があるというのが学芸員の本音だろうか。
なお、横蔵寺の大日如来像は見てきたばかりなので印象をよく覚えている。こちらも運慶ほど目が切れ長とは言えないが、伏せ目で、閉じている近い。玉眼なのだが、まじかに寄って下から見上げて光るものがあるので、やっと玉眼なのがわかるくらい。なんで玉眼にする必要があったのかと言いたいくらいである。
横蔵寺の大日如来は私の日誌「薄墨桜と横蔵寺の旅」第2回に書いたが、温和でやさしい印象である。ハリがあるとか、力強さを感じるものではない。
昼過ぎには京都を出て東名で帰ったが、3日間、仏像を真剣に見まくった旅で、弘仁・貞観の仏に迫るテーマに沿った目的ある旅だった。
右から、浄瑠璃寺大日如来
横蔵寺大日如来
浄瑠璃寺大日のアップ です。
1 のぶちゃんさん | 2014年05月26日 19時 |
2 暗夜軒さん | 2014年05月26日 23時 |