孤思庵の仏像ブログ

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メンバーの日記転載 若狭・小浜 仏像の旅 第12回 京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」

仏像愛好の集 メンバーの暗夜軒さんが他のSNSに投稿されましたので此処に転載致します。
 
 若』
5月5日、連休ど真ん中に車で京都に入り、渋滞を予想していたのが、混んでいない。順調に運転でき、30年以上前の土地感で地図もなく運転し、一発で京博に出れました。しかも連休に関わらず、楽勝で博物館付属の駐車場が空いていたのが嬉しい。
展示内容は古墳や古寺跡の発掘考古から古文書、仏像まで、南山城という地域を浮かびあがらせるバランスのよい展示で、さすが京博ならではの展示と感心しました。
関東では、展示会が興行のようになり、数合わせのような展示コーナーがあったり、有名な展示品で入場者の増を狙っているものの展示内容の関連が見えにくいのもがあるのに比べ、展示の意図が分かりやすい。
見るべき仏像としては、海住仙寺の壇像の十一面観音、禅定寺の十一面観音立像、寿宝寺の千手観音立像でしょうが、他も南山城なので全てレベルが高い。南山城は個別に寺を回っていると離れているので、時間がかかるが、行きにくい南山城の仏像を一堂に見れる唯一の機会だろう。
海住仙寺の十一面は壇像の代表的なもので、海住仙寺に行ったときも見れたし、何回かみているが、レベルの高いものである。
禅定寺の十一面観音立像は3メートル近い巨像であるが、漆の上に金箔で仕上げ、天平時代の乾漆を思わせる、さすが、この南山城が天平文化を色濃く受け継いでいることを示している。
5月に東博でコピーを渡して話したが、中野玄三(京大教授、藤原期が専門)説では平安初期の仏像の流れとして、壇像とそれ以外(密教様、奈良様、一木造)の四通りに分けていることを説明した。もちろんそれぞれ完全に分けられるというものでなく、いくつかの要素を持つ時に、この4つの要素のどれが一番多いかということで分類するが、この4つに入らないものもあるとのことです。
この仏像はその奈良様の代表的な仏像です。奈良様というのは、天平時代の唐の様式の流れをいい、平安時代になると奈良地方にのみ残っている様式である。奈良様を一部取り入れた仏像はあるが、これだけはっきりと奈良様が表れているのは少なく、わかりやすい奈良様の例と言えよう。
他に、神童寺の仏像もいくつか展示されていたが、その中に平安の不動明王立像は私が20代半ばのとき、この寺を訪れて見た思い出深い仏像である。当時、神童寺までは、交通機関のない山の中の寺で、蟹満寺からタクシーで訪れた。着いたら御堂らしいものがあり、堂の向い側の家は住職宅らしいので、拝観をお願いしたら、奥さんが出てきて、堂を明け、この不動をはじめとして床一列に壁際に並べられた仏像を説明してくれた。「この寺は修験道の寺です。この不動は平安の初めのほうで、古い不動ほど子供らしい顔をしているんです。」と説明してくれた。
なるほど悪がきのような顔をしていると思い、平安初期にはこのような不動の形式もあるのかと暫くおもっていたが、この仏像は12世紀で、円珍が唐から帰国するときに見たという円珍感得像をもとに造られたとのことです。40年ぶりに出あうことが出来ました。
それから浄瑠璃寺大日如来坐像が修理ができたので、展示されていた。三重塔内に安置され普段は見れない像とのことで、像高85センチ、修理前の写真では黒っぽくなっているので、漆箔の大日如来だったのか。漆を剥がし、白木の状態に戻して補修してある。ところどころが黒々としているのは元々の漆はそのままにしたということなのかわからないが、黒くなっている一部が光沢を持っているのは科学樹脂でも使って補修したのだろうか。
それにしても、解体補修後、円成寺の運慶の大日如来坐像(安元2年、1176年)、横蔵寺の筑前講師作大日如来坐像(寿永2年、1183年)とも比較されている。
三重塔の移築年から、製作年を承安元年(1171)とも治承2年(1178)ともいわれているそうで、製作技法から仏師を特定し、横蔵寺大日にも関連づける説があるそうたが、わたしは読んでいない。
この浄瑠璃寺大日如来は眼が短い。確かに慶派に間違いないが、作者が特定できるなら、もっと目じりが切れ長でもいいのではと感じた。
素人が言っても始まらないし、学者が決めて、議論の中で評価が定着することだろうが、京都国立博物館学芸員は図録の解説では次のように言っている。
 

1 のぶちゃんさん2014年05月26日 19時

6/2に京都博物館に行ってきます。
2 暗夜軒さん2014年05月26日 23時
のぶちゃんさん、

とてもよい展示会です。わたしは2日は仕事で行けませんが、楽しんで来てください。
3 仏像好きの「孤思庵」さん [削除] 2014年05月28日 13時
正直 奈良様と云う言葉は知りませんでした。 貴兄の日記を読んで居て、盛唐の影響を受けた天平仏では無くて、その流れを受け継ぐ平安前期の作品を指すのですか、やっと了解しました。平安時代になると奈良地方にのみ残っている様式とは知りませんでした。勉強に為りました。今度の「仏像愛好の集」でのご解説に期待します。