孤思庵の仏像ブログ

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メンバーの日記 転載 若狭・小浜 仏像の旅 第10回 明通寺

 
 
明通寺に行くと、観光客が多いが、国宝の本堂と三重の塔があるからだろうか。若狭観光の中心となっているので、ここだけ見る人も多いのだろうか。
真言宗御室派で本尊は薬師如来、大同元年(806年)坂上田村麻呂の創建と伝える。国宝の本堂、三重塔は文永年間、鎌倉時代の建立。
本尊の薬師如来座像は平安後期の作で重文、他に降三世明王像が平安後期、深沙大将像が平安後期で重文、重文で平安末の不動明王像があるが、これは明治5年に持仏堂の本尊の不動明王が焼失したので、羽賀寺から貰い受けた仏像だそうである。
降三世も深沙大将も2メートル50センチを超える像であるが、深沙大将の像は全国で4体しかないそうで、これは珍しい。横蔵寺の深沙大将に近いくらい簡略化した表現が見られる(象の鼻が膝から出ていないなど)ので、これも神仏習合だろうか。見れば腹に女の顔があるのも横蔵寺と同じ。お坊さんの説明では、腹の上に女の顔があり、これは深沙大将が魔女を飲み込んだ時、魔女の顔が残ったのだと説明していた。この説明の方がメド―サの首だという説に近い。
降三世の方の腕を見ると、幅1センチ以内の丸のみで整形してある彫り痕が見える。もっと小さい仏像なら丸のみで整形した彫り痕はもっと幅が小さくなるのかと思った。
拝観が終わるころ、古美術商氏は3つの課題を出した。
1、本堂の屋根は同じ厚さで端が少し上がっている。何かに似ていないか。
2、本堂で脇の方にあった薬師如来を見ておくこと。
3、本尊の薬師如来坐像を見ておくこと。
一つ目は「和洋だからそういう屋根の形状になっているのではないか」というと、「似ていることを聞いているので、これは五輪塔の屋根の反りに似ている」というので「それはたまたまジャないんですか」と言ったら、「その時代の文化はすべて共通することは当たり前のことじゃないか。屋根ということでは、建築も五輪塔も同じ反りに造る。」と言われた。
2つ目の金箔の薬師如来は本尊を小さくして写したものだが、新しそうなので、江戸と言いたいのだが、江戸の証拠がどこにも見つからない。むしろ、様式は完全に鎌倉なので、「ひよっとすると、鎌倉ですか。台座は江戸で本体と時代が違う」といったら、「そう言うと思ったので、この質問をした。台座も本体も同じ江戸も元禄ころの作だ。初心者は新しそうなので、江戸と答えるが、少し分かるようになると、皆この間違いをやる。ほとんどがこの手の復古に引っかかる。君の答えは大間違いで、ここまで分かってないのか」とのこと、そのあと、だいぶ説教されました。
様式論だけでは、実践ではかなりむつかしい場合もあり、じっくり見なければならないことを痛感した。
3つ目の質問は、薬師の顔を見たとき、すぐ質問の意味が分かった。平安後期だが、顔は平安初期の顔をしている。しかし坐像の身体は丸みが取れた平安後期のスタイルになっている。すなわち、顔は平安初期の一木の流れに定朝様の終わり頃の時代の身体がついている仏ということで、3つ目の質問は研修の甲斐あって質問の意図を見抜けたが、古美術商氏は「顔は法華寺の仏像に似ている」と言ったが、そういえば、どこかで見た顔だと思いました。
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2014年05月19日 08時14分