孤思庵の仏像ブログ

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メンバーの日記転載  若狭・小浜 仏像の旅 第8回 「多田寺 薬師如来立像」

多田寺は天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられ、最盛期には子院12を数えた寺だが、現在は檀家20数軒だそうである。だが、羽賀寺に次いでこの地域では重要な寺である。
というのは一括して重文になっている、薬師如来立像、十一面観音立像、菩薩立像が有名であり、平安初期の貞観仏としてよく紹介されることが多い。
本尊の薬師如来は平安初期の堂々たる一木造りの代表のような仏で、地方作ながら厳しい独特の表情と鋭く力強い衣紋表現が特徴的です。見ていると不思議な魅力に溢れています。
十一面観音も台座下まで一木で笑みをたたえた優しい顔立ちですが、すらりとした姿態や豪華な装身具の彫りに古様を感じます。衣の端が開いているところなど北魏の金銅仏を思わせるような表現もあり、お寺で買った図録では寺伝を尊重して奈良時代になってます。
菩薩立像も台座まで一木で、やはり装身具の彫りが古様で静謐な厳しさをたたえた表情とバランスのよい姿態が特徴ですが、図録では奈良~平安初期となっています。
多田寺の3体は8世紀に遡り得るかもしれないとも思える古式の一木造りを残している貴重な寺なのです。
古美術商氏は「3体の裾が羽賀寺と同じように、1直線ではなく、波うっているところを見てほしい。さらに衣の裾が両側にひろがっている仏像もある。」といっていました。
さらに県文化財指定の平安後期の阿弥陀如来3体があり、2体はほとんど同じ大きさ、1体はそれより大きい仏像でしたが、「平安後期は膝が薄く、かつ一直線になる特徴がこの三体をみればよくわかる。3体のなかでも1体は丸みがあり、2体は丸みが取れている。同じ平安後期でもどれが古いかは、萬徳寺の話から一目瞭然だろう。」と言いましたが、今回はわたしにもはっきり分かりました。