孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

メンバーの日記転載  若狭・小浜 仏像の旅 第7回 「国宝 萬徳寺 阿弥陀如来座像」

 
 
萬徳寺は高野山真言宗の寺で、本尊の国宝阿弥陀如来や酒井家の命で延宝5年(1677年)に築造された蓬莱式枯山水庭園で知られます。
もとは極楽寺といい文永2年(1265年)には記録に出てくるのでそれ以前から存在したようである。室町時代に天台から真言に改宗し、戦国時代には領主武田信豊の帰依を受け隆盛sたが、元亀年間(信長の頃
)の兵火で荒廃したが、延宝5年に藩主酒井家の命で音無川の岸から、現在地の山麓に移転した様です。
庭園は高さ3メートルの真言密教における本尊石を配し、大山もみじを借景として、庭園と寺院のあいだを白砂の広場で仕切った庭園で、国指定の名勝となっています。
なんといってもこの寺で見るべきは阿弥陀如来坐像ですが、古美術商氏は例によってこの仏像について感じることをなんでもいいから言いなさいという。わたしは、「時代は定朝様の下がったところだから、1100年位が製作年代、膝の衣紋も深めになっている。」などいくつかの特徴を上げました。
古美術商氏は「胸がうすくなってきているとあんたが指摘したことだけが合っていて、あとは全部だめだ。点数で言えば20点だ。こんなに覚えの悪いのは見たことがない。」と言う。
古美術商氏がいうには、「バリバリの定朝様、さすがに国宝だけのことはある優れた仏像で、定朝様最後の最も整った例である。平等院阿弥陀如来に比べて肩がなだらかになっているのがポイントだ。身体が薄くなってきているのだけあっているので、0点ではない。定朝は顔も体ももっと丸みを帯びている円満相であり、顔にハリのあるのが定朝である。この仏は顔の丸みが取れてきている。身体も腹がへこんで絞れてきている。定朝の肩の線はもっと丸い。製作年代は1130年くらいまで見ておくべきだろう。」とこの仏像を眼に焼きつけておくべきレベルだという。
「定朝とそのあとの仏像とこの仏像の3点位の写真を並べて比較すべきである。写真つきで説明文がついた畳大の一覧表をつくり比較すべきといっているのはそのことだ。文章だけ読んでもどうにもならない。だから畳大の大きさで写真も付けた一覧性のある比較表が必要になる。定朝や慶派は写真で比較して覚えれば簡単だ。そこから比較して覚える必要がある。」
「膝の襞は定朝より深い方で襞の数も多い方だとあんたは言っていたが、この襞は浅いほうだ。見て分からんのか。襞の数も多くも少なくもない。耳たぶが外側に開いているのもバランスよくする定朝と同じ特色である。」と教えられました。
古美術商氏に言わせれば、私は開眼どころか入門もしてないレベルだそうだが、それは本当である。わたしは20代で奈良・京都を徹底的に回り、全国も見て歩いた、美術展も見たが、観光に過ぎなかった。やっと仏像とまともに向き合おうと思ったのは、昨年の11月、まだ半年でそれも極度の多忙、本を読む暇もない。いま心から思う。我に時間を与え給え。
依頼して集めた仏教美術の本は集まってきているが、毎月多大の時間外労働を、こなしている身には時間がない。しかしそれも言い訳、勉強してなんとか入門の位置には立ちたい。