孤思庵の仏像ブログ

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メンバーの日記転載  若狭・小浜 仏像の旅 第6回 圓照寺 大日如来坐像と庭園

仏像愛好の集 メンバーの暗夜軒さんが他のSNSに投稿されましたので此処に転載致します。
 
 
 
山裾に建つ圓照寺は慶長年間に他の場所から移ってきたそであるが、真言宗が多いこの地では珍しく禅宗である。本尊は丈六の大日如来で藤原後期の重文です。
住職のはなしでは、もともとこの寺は向い側の山裾にあり、山は大日山と呼ばれていたが、山崩れにより村とともに全滅したので、集落とともに慶長年間にこちら側の山裾に移ってきたとのこと。それで前の南向きにくらべこちら側は北向きなので日当たりが悪くなりましたとのこと。
重文の大日如来は檜だそうで、定朝用だが、200年前に金箔を張替た記録が残っているとのことで、まだピカピカだが、それでもこの仏像の雰囲気や時代性は伝わってきます。堂々とした定朝用の仏像である。
膝はまっすぐなところなど平安後期の特色が出ているが、頭頂部に直しを感じましたので、推測はあるのですが、いい加減なことを言えないので、調べてみたいとおもっています。
古美術商氏は仏像より御堂が土間になっているところの「たたき」を盛んにほめる。たたきは三合土(サンワド)と言って、粘土、石灰、にがりをませてつくり、場合によっては塩をいれることもあるそうである。
「伊豆韮山江川太郎左衛門邸のたたきは400年経っているが、ここのたたきのほうがよく赤みをさしている」という。住職は「そういえば2年前に仏像よりたたきを褒める人がいましたよ」とのこと。「そのひとはわかっている人ですね」と答えていた。
さらにこの寺の見どころは庭園で、慶長年間に造られた県指定の林泉庭園である。
造られたのは慶長だが、庭の形式としては、北山文化で阿弥衆が造ったような室町様式で、石は赤石を多く用いている。住職は今の時期は石が草に覆われず、ちょうどよい時だといっており、作庭家の重森美玲(1896-1975)も来られて、しばらく見入っていたとのこと。
庭に面して茶室があり、この茶室に腰掛けて三輪を見るとよいので、上がり込んでくつろいでいたら、床の間に香炉があり、見ると胴を絞り込んだ室町期の瀬戸訳である。土味を見るとかなり精製されて赤みが差している(鉄分がある)ので、桃山期に入っているかもしれないが、室町の瀬戸焼の香炉でよいだろう。
住職に教えたら、全く知らなかったとのこと。これはこの寺が造られた慶長年間に什器として持ち込まれたものだろう。
こんな香炉がさりげなく置かれているのが、古刹ならではのよいところではないか。
次は国宝のある万徳寺に行くことにした。
                          http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_sekaiisan/HP-Images/016.jpg