孤思庵の仏像ブログ

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メンバー日記転載 小浜は稀有の土地 若狭・小浜 仏像の旅 第2回 芳賀寺 十一面観音(1) 他に類例のない特異な仏像

仏像愛好の集 メンバーの暗夜軒さんが他のSNSに投稿されましたので此処に転載致します。②
 
 
 
この羽賀寺の十一面観音を見ることが、この旅の半分の重みがありまし、見るのは初めてですが、話しにはよく聞いていた仏像です。あと半分はこの地、最古の金銅仏、菩薩半跏像、天平時代で中世の多良の庄(東寺の荘園)にありますが、地域が管理しているので、簡単に見れません。
この十一面観音は、平安のごく初期となっている本もありますが、天平末期あってもおかしくないし、実際そこまで時代があるのではないかと思えます。
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しかし、その辺の時代は特定されていません。寺の伝えでは、元正天皇(女帝)の姿を写してつくったことになっているので、そうなら617年になりますが、そこまではないので、750年から800年の間が製作年代と見てよいでしょう。
これは製作年代が古いだけでなく。他に類例を見ない特異な仏像であり、ここにしかないものであります。格段に優れた、同じ重文指定でも飛び抜けたものです。国宝になってもおかしくない、いずれ国宝に昇格するのではと思えるくらいの仏像です。
なぜ国宝にならないのかということは、時代が特定されてないこと。秘仏になって人の眼に全く触れていなかったので、伝来の経緯がわからないこと、他に重文になるか国宝になるかは寺の力も関係するのではないかと思います。
寺の説明では30年代までは全くの秘仏で見ることもできなかったが、40年代から一般に公開されるようになったそうです。そのため、彩色がよく残っており、肌の色や赤い天衣、黒い裳の彩色は鮮やかです。
面立ちは、帰化人や外国人を思わせるような異相であり、眉が長く、鼻が高く、口が小さい、エキゾチックな感じを受ける仏である。
古美術商氏が言うには、「この顔は現代人は美しいには美しいというかもしれないが、厳しい、怖いという顔をしている仏である。
しかし、神護寺薬師如来のように太くなってはいない。腰はしぼられており、バランスのよい姿である。奈良様の仏では決してないが、奈良様(盛唐の様式が入っている)を一部取り入れている感じもする。だからバランスもよく、顔と体の割合もよい。腰も絞られた形になっている。だからといって全体が奈良様ではなく、取り入れているということで、この仏像独特のものを持っている。それが一つにはこの顔立ちである。」との意見。
「エキゾチックということでは、この仏は帰化人か、もしくはその子孫が造ったのではないか。その証拠はないが、ここ敦賀の地は大陸と交易した地であり、このことがあってもおかしくないだろう。このことが
この仏のエキゾチックさに表れているのだろうが、この仏には謎が多い。」という。
そういえば、帰化人とのつながりを示すものに室町時代に本堂を再建したのは、青森県の十三湊の安東氏であることがこれを示しているのではないか。安東氏は遠く離れているが、日本海どころか極東から東アジアにかけて貿易を手掛けており、この地が外来文化お深いと繋がりを示しているのではないか。
次に続きます。
 
 
コメント
1 仏像好きの「孤思庵」  2014年05月08日 22時26分
正直言えば、羽賀寺の十一面観音は顔がエキゾチックすぎて好きではありませんでした。どうしても顔の印象でしたが、御指摘に盛唐の様式が入っている奈良様の姿態と気づかされました。改めて見処として 再確認したくなりました。お顔も角度によってはさほどの個性の主張が抑えられ綺麗に思えました。 再認識いたしました。