孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

こどもの好きな恐竜 その番組をこんな見方

今回は仏像を離れます!
 
また恐竜好きの方から、読んで損したとの文句が出るといけませんので・・・最初に白状しておきましょう。恐竜の話は不得手、仏教思想風の話です。


子供の日NHK-TVが『地球ドラマチックこどもの日」スペシャル プラネットダイソー 恐竜3話を一挙再放送というCGで世界中の恐竜の生態の番組を放送しました。

2時間半強をずっと見てしまいました。最近の化石新発見での学説の進歩と今日ならではのCGで思わず見入ってしまいました。

草食恐竜が肉食恐竜の餌食になるが主な内容でした。つまり弱肉強食の様子の連続でした。
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恐竜は、およそ2億5000万円前頃の中生代からだそうです。彌勒や釈迦の兜率天での修行期間の56億7千万年には及ばないが大分近い感覚と成ります、地球誕生からは46億年とか、ますます近い数字に驚きます。

それはそれで、恐竜も我々も同じに、一つ頭に四肢と云うのも驚きです。般若心経に在る眼・耳・鼻・舌・身・意も同じです。そして自分の生命を保とうとして、他の生命を食らうのです。 人間も同じ性を持っています。

今まで、修羅の世界を戦争、とばかり考えてましたが…其れは戦いであり、弱肉強食の様でもあります。縄張り争いは、食欲のみでなしに性欲もありますし・・・これ皆 「我執」、本能とも言える末那識!

恐竜の捕食は、哺乳類の時代になっても同じ様で。野生動物の世界では今も繰り返されてます。
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戦国時代、世界大戦と修羅は続きますが、自分を保とうとする自己執着の思い・・・それを唯識では末那識と呼んでいます。

形は多少様変わりはするものの、同じ繰り返しを今の私達もしています。 

恐竜の様に弱肉強食そのものではなくなってきていますが、同じ事と・・・恐竜の番組を見ながら、ずっと考えてました。 

物・者は無常であるも・・・弱肉強食の 法則は変わらないのです。

★幸いに今の私たちは捕食される危機は在りません。それだけで十分幸せなのかもしれません、それでも苦しみ悩みを感ずるものは宗教に安心・与楽を求めるのです。そんな私がハンバーグステーキを美味しく食べるのが性、末那識です。 そのために阿頼耶識に蓄積の種は何を生むのでしょう。悟りとは何なのでしょう・・・

恐竜の番組を見乍ら、修羅界・色(物質)の無常とダルマ(法) 法則の恒常性・繰り返しと輪廻などを考え続けてました。

◆ 少し変わった聴視者でした。そんな事を考えて難に成る。何が変わる・・・と多くの人は形而上学的な問題に「無記」と云うのでしょう!




も少し後で考えて編集するかもの未整理ですが。感じましたの羅列を書いてみました。


●地球の歴史、 創世記やブラフマン より 衆縁和合の縁起 とそれに加わった偶然かと思います。その偶然を 神としたのでしょうか?

恐竜好きの方から、読んで損したとの文句が出るといけませんので・・・最初に白状しておきましょう。恐竜の話は不得手、仏教思想風の話です。


子供の日NHK-TVが『地球ドラマチックこどもの日」スペシャル プラネットダイソー 恐竜3話を一挙再放送というCGで世界中の恐竜の生態の番組を放送しました。

2時間半強をずっと見てしまいました。最近の化石新発見での学説の進歩と今日ならではのCGで思わず見入ってしまいました。

草食恐竜が肉食恐竜の餌食になるが主な内容でした。つまり弱肉強食の様子の連続でした。

恐竜は、およそ2億5000万円前頃の中生代からだそうです。彌勒や釈迦の兜率天での修行期間の56億7千万年には及ばないが大分近い感覚と成ります、地球誕生からは46億年とか、ますます近い数字に驚きます。

それはそれで、恐竜も我々も同じに、一つ頭に四肢と云うのも驚きです。般若心経に在る眼・耳・鼻・舌・身・意も同じです。そして自分の生命を保とうとして、他の生命を食らうのです。 人間も同じ性を持っています。

今まで、修羅の世界を戦争、とばかり考えてましたが…其れは戦いであり、弱肉強食の様でもあります。縄張り争いは、食欲のみでなしに性欲もありますし・・・これ皆 「我執」、本能とも言える末那識!

恐竜の捕食は、哺乳類の時代になっても同じ様で。野生動物の世界では今も繰り返されてます。

戦国時代、世界大戦と修羅は続きますが、自分を保とうとする自己執着の思い・・・それを唯識では末那識と呼んでいます。
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形は多少様変わりはするものの、同じ繰り返しを今の私達もしています。 

恐竜の様に弱肉強食そのものではなくなってきていますが、同じ事と・・・恐竜の番組を見ながら、ずっと考えてました。 

物・者は無常であるも・・・弱肉強食の 法則は変わらないのです。

★幸いに今の私たちは捕食される危機は在りません。それだけで十分幸せなのかもしれません、それでも苦しみ悩みを感ずるものは居りまして、それらは宗教に安心・与楽を求めるのです。そんな私がハンバーグステーキを美味しく食べるのが性(性)、末那識なのでしょう。 そのために生ずる阿頼耶識に蓄積の種は、また何を生むのでしょう。悟りとは何なのでしょう・・・


恐竜の番組を見乍ら、修羅界・色(物質)の無常とダルマ(法) 法則の恒常性・繰り返しと輪廻などを考え続けてました。

◆ 少し変わった聴視者でした。そんな事を考えて難に成る。何が変わる・・・と多くの人は形而上学的な問題に「無記」と云うのでしょう!




も少し後で考えて編集するかもの未整理ですが。感じましたの羅列を書いてみました。


●地球の歴史、 創世記やブラフマン より 衆縁和合の縁起 とそれに加わった偶然かと思います。その偶然を 神としたのでしょうか?
 
 
 


 
コメント
1 Sさん 2014年05月07日 09時17分
私もこの番組を観ました。

私は思うのですが・・・・・・、
地球上で繰り広げられた動物の進化はその出発点を思えば、つまり、その生命の発生を考えれば、偶然です。
そうなる環境が有ったからです。

この地球上で生きている側の「生命」ニ対する主体性は見つかりません。 「生命」の可・否というキャスチィングヴォウトを握っているのは地球という「自然」です。

今の月に匹敵するような隕石が地球を襲えば、地球上の生命はその多くを失います。
自然という力に人は無力です。
生存を許される環境が無くては「生命」は存続出来ません。
人類も然りだと思いますね。

自らの非力を承知したが故に人は「宗教」を創ったのだと思います。水神とか地神とか太陽神とかその力の絶大な存在に人は畏敬の念を抱いたのだと推し量ることができるのではないでしょうか。

尤も近年では物質文明の高度化ニ伴い人は自然に対する畏敬の念より同じ人間同士の争いに没頭するようにはなっていますが・・・・・・。
文明は「格差」を作りました。
「格差」は争いを招きます。
アマゾンの未開地では今でも部落が存続できる秩序は「平等」だと聞いたことがあります。
狩りの獲物や作物の収穫に「平等」が繰り広げられ、その構成される民にストレスは観られないそうです。

人も動物も植物も自然によって生かされている「理」を承知しなくてはその存続は危ぶまれるのだと思いますね。
 
2 仏像好きの「孤思庵」さん  2014年05月07日 10時15分
Sさん、
コメント有難うございます。コメントのお知恵に啓蒙され自論で無く成るを恐れ、お読みする前に本文に加筆してしまいました。

今拝読して お答えを頂いた気がします。ありがとうございました。
3 仏像好きの「孤思庵」さん  2014年05月07日 10時18分
昨日、日記を書いた後での就寝時に、考えました事を研修機能にて★と◆部分を今朝に加筆致しました。
4 Cさん
  2014年05月07日 10時40分
仏像好きの「孤思庵」さんへ こんにちわ。Cと申します。

仏法の時間軸は、宇宙、地球誕生よりも過去に遡り、地球上での生命誕生から人類への進化も一仏の世界に含まれるのですね。(当然、恐竜時代も仏が見守っていたのでしょう)

そう考えてみると、生物を生み出す連綿と繋がるDNA(弱肉強食等のサガ)は何を意味しているのか興味が湧き、思考してみる価値があるように思えます。(良き示唆を受けました。)

まずは、DNAと因果応報から考えてみようかな・・・
地表人@関西<日本列島<亜細亜大陸<地殻-大気圏<地球
 
5 仏像好きの「孤思庵」さん  2014年05月07日 10時59分
Sさん、
コメント有難うございます。

良くは知らないのですが、衆縁和合の縁起と 唯識の末那識・阿頼耶識あたりも面白いかと存じます。