孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2回目の[観音の里展]鑑賞 竹蓮寺 伝聖観音(宝冠阿弥陀)

藝大美術館に「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」には一度行ったのですが、も一度観たくなり 過日また行きました。

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どういう訳か最初の感動が無かったです。第一級の力量までは無いという事でしょうか? 最初は長浜市指定文化財の小さな観音像たちに、良いとの賞賛を連発していたのですが、日記を書くため勉強したせいか?2回目のせいなのか、平日で客が少なくじっくり見たせいか、分かりませんがやはり感動が少ないようです。

そんな中、中央にお置かれている人気の像や、国指定の重要文化財の像に良さを感じました。

いつもそうなのですが・・・前回には気付かなかったことが発見されます。

今回も 前回は見逃していた修理・補作の痕に気が付きます。 まずはエイジング(時代的擦れ)の不統一に気付き、良く見ると新しい鑿目が確認できて確証に至ります。


そんな見方で、列番6の竹蓮寺の伝聖観音坐像(宝冠阿弥陀如来)は、実に面白いのです。
 
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冠台の下に覗くのは細かめの螺髪なのです。さすれば如来像!これは宝冠阿弥陀の冠が在るのを幸いに、この地で人気の観音菩薩に改造したのです。

良く聞きますのは如来像の手首先を造り変えて、釈迦如来薬師如来を時流の阿弥陀如来に変えたとの話をたまに聞きます。

さもありなんで、仏の姿は同様が多く、判別は、その印契に依るのでして、衣裳や髪形では決定できないのです。

ついでに印契を考察します。この「印」は印相の略で手の位置や指の形で作るボディーランゲジ的サインを云うと定義をしたいです。

「契」は印契の略の意味もあり、また印契=印相が一般的解釈ですが。 ある解説に依りますと 印は指の形(サイン)であり、契は持物(じもつ)を持つ手と分けて解説しているのもあります。

ここで契と云われた持物(じもつ)を持つのは菩薩以下であり、一つ、薬師如来(古式は薬壷を持たない)が薬壷を持つ例外がある
のみで、ほかの如来は持物を一切持つ事がありません。(あっ、例外を思い出しました。黄檗宗の本尊などに在る蓮華微笑の釈迦が在りますねッ!)

ここは如来に限定して話を進めますと、薬壷の取り付けの有無で釈迦と薬師は変化(変身)する事が出来ます。阿弥陀は平安以降 指で輪を作りますので持物だけでは変身できませんが・・・

その手首先を挿げ替えて変身さすこともあるのです。多くは浄土教の隆盛で、釈迦、薬師像が阿弥陀に変身が多いらしいのですが、その逆もありうることでして、幾つもそんな例はあるようです。

寺がいつまでも同じ宗旨でいない事もなのです。仏像もいつまでも同じ寺に居られ無い事もで、他の寺に移されるは珍し事ではありません。それで本尊も変えたくなることもあるのです。不尊不敬の感ですが、切り刻んで改造はあった事なのです。


そんな知識を持ってこの像を見ますと冠台の下の地髪部が螺髪なのです。これでこの像は作られた時は菩薩像で無しに、如来だった事が確認されます。

「元は如来像、宝冠を被るので、宝冠阿弥陀だったとみられる」どの解説も此処までです。しかし、通常の他の宝冠阿弥陀螺髪で無く、宝髻を結ってます。私が知る唯一の螺髪の宝冠阿弥陀は鎌倉の浄光明寺の宝冠阿弥陀だけです。この像も通常の阿弥陀像として作られたを後に宝冠を付加したものと見られています。

この像の衣裳なのですが、菩薩の服装の条帛(じょうはく)姿でなしに、衲衣なのです。衲衣の菩薩像は通常地蔵以外にありません(厳密にいえば胎蔵曼陀羅の地蔵院における地蔵菩薩は通常の菩薩形であり、 地蔵は僧形とは限りません、逆に僧形の菩薩は地蔵以外にも存在します ではありますが)通常は地蔵菩薩のみです。地蔵だとすると螺髪が不適合と成ります。ですからこの事でも菩薩でなしに如来だったのです。

そして次に両手を見ますと肘から先の腕が左右共にそれに掛かる衣からして不自然なのです。 衣の流れが不自然。つまり不自然な鋭角に持ち上げられているのです。

今回はもっと決定的なものが見つかったのです。腹前の結跏趺坐の真ん中上に、衣襞とは思えない不自然な2センチほどの厚みのものが乗っているのです。 じきにわかりました 禅定印の手を取り去って、その取残しなのです。

宝冠釈迦もありますが、禅宗鎌倉時代以降の鎌倉地区に作られた事で、此処では考えられません。

これ等で、聖観音に変身される前には、宝冠阿弥陀だったと想定されます。

宝冠阿弥陀、されど宝冠を被る阿弥陀に、これ等で、聖観音に変身される前には、宝冠阿弥陀だったと想像されます。と真言系の紅頗莉色阿弥陀如来の二つがあります。

そこまでは多くの仏像ファンの趣味人の知るところなのですが、どう違うのでしょう。

天台僧の実践行法の一つに常行三昧の修業があります。その常行堂の主尊が宝冠阿弥陀如来像です。

この宝冠の阿弥陀如来は慈覚大師円仁が入唐求法のとき、法照流の五会念仏( 浄土三昧の遵式)を学び、帰国後弟子に伝授しその行法の主尊は大師が請来した金剛界八十一尊曼荼羅阿弥陀五尊像が根源となった。

阿弥陀五尊とは、頭に冠を戴き定印をむすんで、通肩(つうけん)の衲衣を身にまとった皆金色の阿弥陀を中心に、金剛法・金剛利・金剛因・金剛語の四菩薩を配する五尊像である。

一般的尊榕は宝髻を結い、通肩の衣をつけて定印を結び結跏趺坐している。

と在りました。

相対する宝冠を付ける阿弥陀です、真言宗の紅玻璃色阿弥陀像を勉強してみました。

こちらの方はより密教的なのか、なかなかネット検索勉強ではヒットしませんでした。ようやく見つけたものをご紹介します。

紅玻璃秘法の本尊で、弘法大師の作とつたえる『無量寿如来供養作法次第』にとかれている。図様は8葉の白蓮華の上に五鈷杵(ごこしょ)を横たえ、そのうえに独鈷杵(どっこしょ)、さらにそのうえに紅蓮華をおき、紅蓮華をふくむ大月輪(だいがつりん)のなかに、五智宝冠(ごちほうかん)をいただき、定印をむすんで結跏趺坐(けっかふざ)する阿弥陀仏をえがいている。阿弥陀の背後には二重円相光を付して、仏身・袈裟などすべて紅玻璃の色としている。と・・・

紅玻璃秘法は秘法ですので、調べが付きません。ただ上の文章により赤い姿と大日如来の五智との関係がある事は想像できます。

まず紅玻璃色阿弥陀の名前の内の玻璃は水晶やガラスの事ですから紅水晶の色をした阿弥陀という事、五智宝冠を付けることなどから、金剛界五仏で大日の五智の配当でありますから、「大日即阿弥陀」の考えがあると思います。


まず赤色の件は、紅玻璃色とは その肉身も衣も紅水晶の様に赤い事なのですが、この件に関しては該当する文章に当たれませんでした。

密教の五色の配当が西の阿弥陀であれば良かったのですが、あいにく妙観察智の阿弥陀の色は白でした。赤(金)は南方 平等性智の宝生如来でした。 
◆ウェブ 紅頗黎色阿弥陀如来図 - 知多市
www.city.chita.lg.jp/bunka/bunka/bunka03g.html

に文章の中に「 密教では、5つの仏を五方五大五色に配するとき、阿弥陀如来は、西方で火大にあたり赤色で表現されるためこの名がつきました。」と在りましたのでこれでと喜んだのですが、念のため調べてみましたら・・・

密教の五色の配当が西の阿弥陀であれば良かったのですが、あいにく妙観察智の阿弥陀の色は白でした。赤(金)は南方 平等性智の宝生如来でした。 

その不一致の原因を調べに調べましたら、インドでは西は白なのですが、チベットの(時輪で無い方の一般の)曼荼羅では西の阿弥陀の色は赤でした。

しかし赤色が解っても何故赤か解りませんし、チベット密教がすぐ同時に伝播とは考え難いです。

そこで私の推論にすぎませんが、阿弥陀と赤の関係のあるを述べます、両部曼荼羅阿弥陀無量寿)の衣は赤色です。西へ沈む太陽の色は赤です。

ですがそれ以上の理由に辿れません。

今日初めて知ったのですが平等院鳳凰堂阿弥陀坐像の内側(内刳面)はベンガラで赤く塗られており、これは浄土思想の阿弥陀のみに在らずで、密教的な紅玻璃色阿弥陀をも内在すると云う意識だそうです。

でもなぜ密教阿弥陀は紅玻璃色なのでしょうか?◆


そこで私の推論にすぎませんが、阿弥陀と赤の関係のあるを述べます、両部曼荼羅阿弥陀無量寿)の衣は赤色です。西へ沈む太陽の色は赤です。

次に宝冠を被る件ですが、宝冠の如来と云えば大日如来、それと同じように宝冠を着けさすのには、五智の五仏への配当でして、突き進めば、阿弥陀は大日である、同体であると成ります。

この大日即阿弥陀の考え方は、それ以前にも在ったのかもしれませんが、有名なのは、平安時代後期の真言宗中興の僧、真義真言宗も基を築いた 覚鑁(輿教大師)の思想であり、その著書『五輪九字明秘密釈』に書かれているとあります。

この覚鑁の時代は浄土思想が隆盛の時代、真言密教と云えども影響を受けたのでしょう。そんな時代か、それ以前に紅玻璃色阿弥陀は信仰され、密教の宝冠を被らせたのです。

そんな時に天台の常行堂の本尊 宝冠阿弥陀の影響もあったのかも知れません。 しかし、もっと素直に五智如来の宝冠とすべきでしょうか、私はそれを取りたいです。


宝冠の阿弥陀勉強は、素人にはこの辺までが限界です。 


何れにしましても、この列番6の竹連寺の伝聖観音坐像(宝冠阿弥陀如来)は、斯様に宝冠の阿弥陀を考えさせてくれました。

螺髪の宝冠阿弥陀は不思議ですのに、この像は時代的、地理的に 常行堂の宝冠阿弥陀螺髪、通肩の衣ですのに聖観音に、強引に安直に改造されたと云えましょう。聖観音を待望した民衆が思い浮かびます。


纏まりなく、長文に成ってしまいましたをお付き合い読んで頂けました方に感謝します。


また他の同展の仏像についても書かせて頂きましょう。 皆さんも投稿して下さい。 


★再び藝大美術館陳列館 今度は向かいの陳列館での
「保存修復彫刻研究室研究報告発表展」(会期: 2014年4月16日水曜~4月20日日曜)があります。

19日には{仏像愛好の集」で団体見学を企画してます。そこでまたお会いしましょう。