孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

イコノグラフィー(図像学)とイコノロジー(図像解釈学)

 
 
 
この前の日記の❻に捕捉を書いていましたら、つい夢中に成り長文に成り過ぎましたので、そこに納めず。独立した日記にします。

仏像の勉強の分野の話です。

仏像の趣味、勉強に、飛鳥時代の仏像は左右対照で正面観を重視だの象徴的・デザイン的だのとか、天平仏像はプロポーション的写実の妙だの、弘仁仏像は破綻の力強さだの、藤原仏は大陸の影響を外れた和様であるとか、鎌倉は部分的な写実のだとか云々の言い方、様式論などの勉強は彫刻史としての方面です。

その他の勉強に、その仏像の意味(形が表す意味)を知る。図像学と云う分野が在ります。簡単には釈迦如来はどういう形の印相をとるとか、十一観音面観音の頭上には正面は菩薩面、 左は瞋怒面、右は牙上出面、真後ろには大笑面、頂上には如来面と云う頭上面を持つと云う様な、経典、儀軌の意味的の表出を扱う方面の勉強は図像学(イコノグラフィー)と云う分野で、仏像・仏画等の表現の意味やその由来などについての勉強です。

さらに近年にはより深く進んだ、イコノロジー(図像解釈学)と云う研究もされて来てます。

イコノグラフィー(図像学)が絵画作品などに表された事物の意味を研究するのに対して、イコノロジー(図像解釈学)はより深く、作品の奥底にある歴史意識、精神、文化などを研究しようとする学問です。


図像学(イコノグラフィー)は、 仏教美術作品は、今日の美術のように作家の個性や美そのものを目的とするというよりも、その仏師達の属する仏教社会において、構成員で、作家と云うより僧侶の一とも云えます。経典・儀軌を知ってその宗教的に定められた形の範囲内においてに、その尊のメッセージを表出しています。そうしたモチーフは、例えば如来の三十二相でその如来に備わる特徴で如来たるの意味を示しています。菩薩以下の尊像とその持物が関連付けられて、持物もその尊の性格を示いています。、観音の未開敷蓮華は悟りの途中を示し、水瓶は乾きに苦しむ有情を救うため持っています。



持物これを英語圏ではattributeと言って東西を問わずに同様です。清純の象徴の百合を持っているのは聖母マリア、正義の女神は、秤と剣を持ってます。

それは当時の作家の所属した社会において、作品を制作する際の約束事であり、それを守ることによって作品の表出するメッセージは社会の成員にとって了解可能なものとなる。 と云う手法なのです。



仏像の持ち物も、同様で尊の持物は何種類もありますが、皆持つ意味を持ってます。仏教、特に密教などの場合は持物だけでその持ち主を象徴する手法が在り、それを三昧耶形 (さまやぎょう)と云います、三昧耶とはサンスクリットで「約束」、「契約」などを 意味するサマヤ(samaya)から転じた言葉で、どの仏をどの象徴物で表すかが経典などに掛かれています。



斯様に様式の美術史だけでなしに、図像学(イコノグラフィー)をも知って鑑賞したいものです。

よく似たものと云うか、その発展形にイコノロジー(図像解釈学)と呼ばれる分野が在り、図像を解釈するから発展し、図像を生み出した社会や文化全体と関連づけて解釈するために発展した研究手法を言うそうです。



そこまで行くと、仏教学だけでなしに、日本仏教史、や政治史・社会史も視野と成り大変なのですが、その概要だけでも関連付けた仏像鑑賞をしたいと思います。
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その解り易い例としましては、阿弥陀如来が良いでしょう。仏教が入りたての顕教では西方の浄土に居る如来として当麻曼荼羅的な変相図の扱いや観無量寿経に説く観想の対象としての阿弥陀如来があります。また密教の中では妙観察智を配当され胎蔵生曼荼羅西方に組み込まれた無量寿仏(=阿弥陀如来) 

そして源信の往生要集に始まり、鎌倉時代の祖師仏教的な要素も有の法然親鸞浄土教の観点で、 極楽往生を主眼としましての専修念仏の阿弥陀仏の存在も有ので・・・同じ阿弥陀如来でありながらも、変容してきた阿弥陀如来です。其の仏教美術もそれに相応しく変容しそれぞれに相応しい阿弥陀如来を描いて居ます。九品印よばれもするとそれぞれの印相も、定印、説法印来迎印とみなすべきで、時代的に流行りは変遷しているのです。

決して阿弥陀如来と一括り扱いにはできない多様の形態と意味なのです。


是非に美術史的と並行して、図像解釈学的にも仏像を観てみましょう。
 
 


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胎蔵生曼荼羅 中台八葉院
 
 
 
 
阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)