孤思庵の仏像ブログ

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藝大美術館「長浜のホトケたち」の鑑賞会募集

 
 
 
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◎上段添付写真【下右】は千手観音立像 平安時代・8世紀末-9世紀 赤後寺(日吉神社



「仏像愛好の集in東博」では3月29日AM10時に、会場入り口に集合で 


東京藝術大学大学美術館 展覧会『観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-』 (すべて東京初出展)

の団体 鑑賞会を行います。どなた様も、お気軽にご参集ください。


尚、 当日 午後2時開始の担当学芸員によるギャラリートークが在ります(各回20分程度)。

また、団体鑑賞の後に、恒例の有志懇親談話会を持ちたく思います。振るってご参加ください。



藝大の展覧会の案内文を転載します。

琵琶湖の北岸に位置する湖北地域には、古くから仏教文化が栄え、すぐれた仏教彫刻が数多く伝わっています。 とくに慈愛に満ちた観音菩薩像の遺品が多いのが、この地域の大きな特色となっています。 これらの観音像を生み出した寺院の多くが廃絶した後も、地域の住民たちが中心となって、観音像を守り伝えてきました。
今日においても、お寺が無住になると新しいお堂や公民館などに仏様をお迎えするなど、人々の尽力によって多くの観音像が継承されています。 北近江の観音は、すぐれた造形もさることながら、暮らしや風土と深く結びつき、今なお生きた信仰の中心にあることが最大の魅力でありましょう。

この展覧会では、地元で大切に祀られる様子をそのままのかたちでご紹介できるよう、工夫をこらしています。 日々の暮らしのなかに信仰が息づく「観音の里」の姿を、身近に感じていただければ幸いです。


【出陳作品目録】
1 △ 十一面観音立像 平安時代・8世紀末-9世紀 菅山寺・余呉町坂口
2 ◎ 千手観音立像 平安時代・8世紀末-9世紀 赤後寺(日吉神社)・高月町唐川
3 △ 十一面観音立像 平安時代・9世紀末-10世紀 岡本神社・小谷丁野町
4 ◎ 十一面観音立像 平安時代・10世紀 善隆寺(和蔵堂)・西浅井町山門
5 菩薩形立像 (いも観音) 平安時代・9世紀 安念寺・木之本町西黒田
如来形立像 (いも観音) 平安時代・10世紀 安念寺・木之本町西黒田
7 △ 聖観音坐像 平安時代・10世紀末-11世紀 竹蓮寺・高月町西阿閉
8 △ 聖観音立像 平安時代・10世紀末-11世紀 長浜市長浜城歴史博物館
9 ◎ 聖観音立像 平安時代・12世紀 総持寺宮司
10 △ 千手観音立像 平安時代・12世紀前半 総持寺宮司
11 △ 十一面観音立像 平安時代・12世紀前半-中頃 田中神社・湖北町田中
12 聖観音立像 平安時代・12世紀中頃 宝厳寺竹生島
13 △ 聖観音坐像 平安時代・12世紀 阿弥陀寺西浅井町菅浦
14 聖観音立像 平安時代・12世紀 西浅井町集福寺
15 聖観音立像 平安時代・12世紀 尊住院・川道町
16 △ 聖観音立像 平安時代・12世紀前半-中頃 常楽寺湖北町山本
17 十一面観音立像 (腹帯観音) 平安時代・12世紀 大浦観音堂西浅井町大浦
18 △ 馬頭観音立像 平安時代・12世紀 横山神社・高月町横山

※全18体(うち重要文化財3体、市指定文化財9体) ※指定記号の◎は重要文化財、△は長浜市指定文化財を示します。

【メモ】
 
2 ◎ 赤後寺 千手観音
文和2年(1353)の奥書の『赤後寺観音縁起』に、元亀年間(1570~73)に廃絶した赤後寺の本尊とある。ヒノキ一材から彫り出した一本造りで、頭部・体部の背面は削って内刳りをほどこし、蓋板あてる形式をとる。
もともとは、十一面・四十二臂の千手観音像であったと見られるが、頭上面全ては欠失、そ髻は後補、腕は12臂が残っている
現状だ。柔らかなボリュームを帯びた上部の表現は、前時代の乾漆(かんしつ)像の雰囲気を持つ、裳の衣文には翻波式の表現が見られる。
【参考ブログ】
ハロードクターTOP イベントガイド 観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-
より抜粋・加工

 
4 ◎善隆寺 十一面
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西浅井町山門の和蔵堂に伝来し、現在は真宗佛光寺 派寺院・善隆寺の境内にある収蔵庫に伝来する十一 面観音像である。サクラ材の一木造り、ヒノキの一木造りと伝えられてきたが、近年の鑑定で桜の木と分かったそうだ。全身一材で彫られ、補材の継ぎ足しは無いとの事。
秀麗な眉や目尻が 上がる切れ長の細い眼、よく通った鼻筋、小さな口 を刻む細面の面貌をもち、体は太く奥行があるが、プロポーション良く引き締まる。着衣のヒダは左右 対称で規則的に配され、平安中期の均整が取れた、 落ち着いた雰囲気がある。もともと、山門村より南の浅井郡庄村(西浅井町庄)にあった観音像だが、 江戸後期にこの地に移されたという伝承がある。収蔵庫は善隆寺の隣にあるが、堂と像の管理は善隆寺と山門の「和蔵講」と呼ばれる村人の手によって行なわれている。 
【参考ブログ】
ハロードクターTOP イベントガイド 観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-
より抜粋 ・加工
 

 
 等身大の寄木漆箔の観音像で彫眼、現在漆箔のほとんどが剥落し虫損の著しいものがあるが、平安後期の作として穏和な作風を示している。この像の特色は自然の形態に含まれた美を取り出して平明穏雅な像容を作り出した点にあるのであって、一見平凡のそしりを免れないがそれだけに親近感を感じさせる。
【参考ブログ】
ハロードクターTOP イベントガイド 観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-
より抜粋
 

 
 
★皆さんの多くの眼で見て、見所を言い合い、より深く鑑賞しましょう。

●次回の定例「仏像愛好の集in東博」は4月5日(土)です、追ってその広報を致します。 
 
 
◆先の同広報の日記にMさんから、良いコメントを頂いて居ましたので、末尾に掲載で失礼ながらご紹介します。
 
Mです。

芸大の長浜観音の里展のHPに載っている出品作品リストを見ると、国の重文指定品は3体です。同じHPからリンクされているイメージ映像に映っている赤後寺の観音2体のうち1体と黒田観音寺の准胝観音、石道寺の十一面観音は残念ながら出ていません。

出品作の中では赤後寺の千手観音が最も重要なものと思われます。(9世紀頃?)

これ以外の2体についてはあまり有名な仏像ではないと思いますが、手持ちの資料で確認してみました。(毎日新聞社重要文化財2彫刻Ⅱ、3彫刻Ⅲ 昭和48年)

善隆寺十一面観音立像 木造 像高101.5cm 平安時代
総持寺聖観音立像 木造 像高100.1cm 平安時代削除
2014/3/16(日) 午後 0:10
 
 
HPに載っている出品作品リストには、善隆寺十一面観音が10世紀~11世紀前半、総持寺聖観音が11世紀~12世紀とありますが、地元のHP(下記)の作品リストでは善隆寺が10世紀、総持寺が12世紀と書かれています。

http://kitabiwako.jp/kannon/k_news/?post_id=9943

上記の毎日新聞社重要文化財に載っている写真を見ると、善隆寺像は顔が小ぶりでプロポーションが整った通例の十一面観音で、裳裾の辺りは古様を感じますが、和風化も進んでいるようなので10世紀までは遡らないのではないかと思います。総持寺像は顔がやや大きめで童顔、髻の形は平安後期に通例の低平な形ですが、この頃の都作に多い上部が小さくて下部が広がっている形(例えばこのブログに今写真が出ている大倉集古館の普賢菩薩の頭上を参照)とは異なり、上部も大きく髪の毛を巻いている点が特徴的です。プロポーションとしては下半身が長く感じます。全体的にはやや地方色がある素朴な作品に見えます。私は12世紀までは下らないと思います。重文指定は善隆寺像が大正15年、総持寺像が明治38年です。削除
2014/3/16(日) 午後 0:11