孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

「雲中供養菩薩と飛天」の日記を修正してたら・・・

最初は前の日記と同じですが、10行程から変わります。出だしだけ我慢願います。
 
 
 
飛天と雲中供養菩薩とは同じでは無いと発言したために、日記にその事を書く羽目になりました。まだ考察はしていないのですが、考えながら書いてみます。・・・とて書き始めた日記を翌日に読めばひどい

誤謬だらけいだらけ・・・ 修正し始めます。

昨年の暮れに、サントリー美術館でやっていました「天上の舞 飛天の美」展の図録は求めてないのですが、おそらく区別の解説は無かったのでしょう。ですから同じと思う人も多いはずです。

如来を供養する役目としては、大差ないので混同しても大きな差支えはないのですが、図像学に興味の私としては 菩薩と飛天を含む天人とは 分けるべきと考えます。菩薩と天部とは、グループが相違します。よく位が違うと云われますが、ランクの違いと云うより役目の違いと言った方が意味合い的に好きです

因みに、Wikipedia等で飛天 をみますと「飛天とは仏教で諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人。仏像の周囲(側壁や天蓋)に描写されることが多い。」と在ります。礼賛する天人。

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今度は「礼賛」を引いてみました。礼賛2 :仏語。仏・法・僧の 三宝を礼拝し、その功徳(現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。 善根。)をたたえること。


今度は供養菩薩の「供養」を引くと、「仏,菩薩,諸天(神)などに香華,灯明,飲食(おんじき)などの供物を献ずること。相手に対する尊敬の念から香華などを捧げる事」と在ります。


礼賛と供養 そこにいくぶんの深さの違いを感じますは勘ぐり過ぎでしょうか、供養菩薩と飛天の心には、幾ばくかの違いが在ってもよさそうです。
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「供養」の説明に香華,灯明,飲食などの供物と在りましたが、雲中供養菩薩、飛天の両者に楽器を持つのが目立ちます。音楽も供養なのです。もしかしたら前者の音楽はクラシックで、後者のそれはポップミュージックの違いがというような相違が在ったりしてと空想を楽しみました。

香華,飲食にも、伽羅と白檀 会席と丼の差が在ったりなんて・・・おっと勝手を楽しみすきてますね。

http://www.academyhills.com/school/artcollege/2013/tqe2it00000kqqiz-img/tqe2it00000kqqoj.jpg
考えますに、雲中供養菩薩、飛天(以下両者と省略)両者同じころにほぼ同じ大きさに作られましたが、同じ鳳凰堂に飾られててますが、少し場所が違います。雲中供養菩薩(以下供養菩薩と略す)は堂内の欄間壁部に配置安置され、浄土の有り様を演出するキャストです。一方の光背飛天は舟形光背の装飾的と見るのはうがちすぎでしょうか?
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でも装飾的であるが故に、後世では金箔修理が行き届き輝いてます。いや供養菩薩は彩色で、飛天は漆箔で在る為かもしれません。

いや!待ってください、場所の制約さえなければ、儀軌的には供養菩薩は漆箔で金色であって、飛天は金色はおかしく、此方は彩色仕上げで在るべきです。( 『法華経の従地涌出品 第十五』 に 是諸菩薩身皆金色 三十二相 ・ 無量光明 先尽在娑婆世界之下 此界虚空中住  と)


この逆転は鳳凰堂内部においてはこの両者の役の違いからなのです。雲中供養菩薩は仏像(正くは菩薩像)なのです。光背飛天像は光背の装飾なのです。

この展覧会ではそれを取り外し ここに展示でうっかりその事を忘れてました。日ごろ、「樹を見て山を見ないのはいけない」と言いながらこの展示会では、「ただ眺めてただけ」の謗りを免れないです。


此処での供養菩薩を彩色にしたのは、金色に光り輝く本尊との対比を計算されたものと今気付く体たらくです。

一般には菩薩は、次に如来と成身ですから螺髪を除く如来の三十二相の殆どを備えていて、身は金色に輝いていますの経説から漆箔が多いです。一方の飛天(天部像)はそれよりは人間に近いの意識から彩色像が多いはずです。

滝山寺の運慶・湛慶作の三尊像の帝釈天の金色の顔に違和感を覚える所詮です。
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此処での鑑賞は極楽浄土です。ですから浄土教の極楽浄土意味合いを復習したく思います。 私もでしたが、往々にしての後代の阿弥陀信仰は極楽往生が目的とされてますが、本来の極楽往生の目的は、末法で釈迦のいない娑婆(現世)では得道できない、故に極楽に往生して、そこの如来の教えを受けて、悟道して仏とな成ることださうです。この事を教わった時に、「一世界一仏」も知りました。

その知識で極楽浄土に阿弥陀仏が独りで、菩薩は多く居るを納得しました。そしてその眷属菩薩の一部を引き連れての来迎引接の時に 観音・勢至菩薩三尊や二十五菩薩の来迎の様子はよく目にします。
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此処で平等院の供養菩薩は五十二体だそうです。為に一部を引き連れての前文としました。尚我が国ではおおむね二十五菩薩ですが、中国ではその倍ぐらいで来迎があると聞いたことがあります。極楽浄土での供養菩薩を語る浄土経典は在るのでしょうが、蔵書やブログでは見出されませんでした。

気に成りましたのは供養菩薩の内に五躯の僧形があると仏友が言ってました、それを地蔵と決めつけてます。 僧形、即地蔵は如何でしょうか? 僧形文殊は見ますし、仏像図典には龍樹菩薩として白描図も載っています。でもここには馴染まないかもしれません。
二十五菩薩は尊名が容易に目にできます。僧形を探しますと、無辺身菩薩が在りまして僧形です。多くの資料には無辺身菩薩は地蔵菩薩と同体と在ります。何故名前が変わるのでしょうか?下の来迎図本尊の周りに剃髪の三菩薩が在ります。無辺身菩薩の尊榕を調べましたが無辺身菩薩の他に剃髪僧形は見出せませんでした。そこで尊の顔の数を数えてみました。二十五では足りませんでした。下の来迎図は二十五菩薩来迎ではないのでしょうか? まだ調べてませんが二十五菩薩で書かれない者が意外と在るのではないでしょうか?
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調べました処、二十五菩薩は観無量寿経にはその名をあげていないが、観無量寿経を信奉の中国浄土教の代表的高僧の善導は「十往生経に説くが如しと在るので、『十往生阿弥陀仏国経』が原典の様です。そして善導の主著『観無量寿経疏』に「二十五菩薩」を説き、我が国では源信の「往生要集」に引き継がれて、我が国でも盛んな信仰と成った様です。

尚、中国での浄土教は、『仏説観無量寿経』を解釈しての僧侶達は観想を主としていたが、浄土五祖の中心的高僧の善導(613年 - 681年)が、『観無量寿経疏』(『観経疏』)を撰述し、『仏説観無量寿経』は「観想念仏」ではなく「称名念仏」を勧めている教典と解釈した「称名念仏」を中心とする浄土思想が確立する。しかし中国ではその思想は主流とはならなかった。
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浄土宗寺院では、よく善導像が法燃像と対で安置されています。
 
 
我が国では浄土教の先師的論書の「往生要集」から専修念仏でが庶民の出来る信仰と提唱して、それが法燃、親鸞に繋がった様です。

分かった様で済ませていた浄土教を今回、少し勉強できました。我が仏友の中には真宗の造詣が深い方が居ますので何時かの集いで、阿弥陀の事、極楽の事など教えてもらいましょう。


先日に夜中徹夜で飛天と雲中供養菩薩の事を眠い中で書き、読み返して修正しょうと作業して居ましたら何時か本尊の阿弥陀仏浄土教に話が移っててしまいました。

もったいないので、修正作業は後回しにして、ここに日記投稿いたします。