孤思庵の仏像ブログ

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サントリー美術館 に「天上の舞 飛天の美」を観て

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2013年12月26日15:59
 
 
お小遣いが乏しく、諦めてました。「天上の舞 飛天の美」 サントリー美術館 に招待券が有るからと連れて行ってもらいました。

当初誘われても行く気が無かったのは、ウエブ検索で出た展示リストからして入場料1,300円はもったいなく思ったからです。行ったのですから午後いっぱい閉館までねばり鑑賞しましたが、もし1,300円払っての入場でしたら後悔したでしょう。

私の通う、千葉の仏像講座の先生は第一会場の


1.飛天の古典 ― インドから日本 ―
【右上に飛天が居ます】 
仏伝浮彫「マーラの誘惑・降魔成道・初転法輪
ガンダーラ 2~3世紀
龍谷大学
 
【脇侍菩薩の上に飛天】
 
が良かったと感想を述べられてました。
ガンダーラや中国、朝鮮の作例も交えつつ、地域、時代ごとのさまざまな飛天の姿をご紹介してます。

2011年の東博 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫文化財保護」 にダブるものが多くそれ以上に感心するものは有りませんでした。


2.天上の光景 ― 浄土図と荘厳具類 ―
 
【迦陵頻伽図です】

浄土に住む菩薩衆や飛天、迦陵頻伽や共命鳥(ぐみょうちょう)、それらの作品を紹介してます。

共命鳥はこれまで知らずでしたので勉強に為りました、しかし供養菩薩と飛天の区別などには触れていないようです。
 
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参考画像 共命鳥:頭が二つで、その下の身体は一つの鳥.。(双頭の一方が相手を殺そうとして毒餌を食べさせたら、自分も死んでしまう説話が有があります。) 


3.イメージの展開 ― 聖衆(しょうじゅ)来迎像へ ―
重要文化財 阿弥陀二十五菩薩来迎図
鎌倉時代 13~14世紀
福島県立博物館蔵【二十五菩薩の他に上方に飛天もいます】

平安時代の後期、臨終の来迎は大きなテーマで主題と成りうるもので、此処での1章分の扱いでは簡便なものと成ってしまう。のここでも聖衆は飛天のイメージを引き継ぐものと簡単に片付けています。


4.平等院鳳凰堂の世界
国宝 阿弥陀如来坐像光背飛天 南4            国宝 雲中供養菩薩像 南1
           
天喜元年(1053)                         天喜元年(1053)

京都・平等院蔵                          京都・平等院
【ともに同じ時に作られてます!  飛天と雲中供養菩薩像は区別して作られてます】
 

平等院鳳凰堂の堂内の国宝 《雲中供養菩薩像》を特別に公開 いたします。さらに、国宝 《阿弥陀如来坐像光背飛天》を寺外初公開し、屈指の名品を間近に鑑賞できるたいへん貴重な機会と主催は謳っていますが・・・鳳凰堂の模擬浄土は語られ古されてますし、

雲中供養菩薩像・光背飛天らは、本来それらは云わばバックコーラス隊でして主役で無いのです。主役で無いものにまで斯様に美しく在ると主張したいのでしょうが・・・「屈指の名品を間近に鑑賞できるたいへん貴重な機会」の謳い文句は如何なものでしょうか?

じつは一昔前に成るのですが、東博にて2000年に『国宝 平等院展』で開催されて、その時の雲中供養菩薩像の陳列に本来仰見る雲中供養菩薩像を目の高さ位置での陳列に批判があったそうです。

今回もその轍を踏んでいるとの知識の方の批判が出てます。その識者はこの展示をしゃがんで、下からの角度で仰ぎ鑑賞されたそうです。

2000年の『国宝 平等院展』に対する東博への酷評を今回企画担当されたこの展覧会が専門企画としてめでたくデビュー佐々木康之さんはご存じなかった子も知れません。

昨今 有名古刹の展覧会が催されているが、宇堂整備の資金集めの事情が察しられます。今展も鳳凰堂修理で只今堂内は公開されていなく、来年の4月に修理の集大成として鳳凰堂外装は塗り替えられ鮮やかな朱色に映えるそうです。堂内と本尊阿弥陀坐像、雲中供養菩薩像は変わらないそうです。 鮮やかに塗り替えられるもの、其のまま古色を変えないものとその塩梅は難しい処ですね。

尚、今回も雲中供養菩薩像の至近のおかげで、雲の尾先や手先に後補の処が窺えました。この頃は、全く分からないように塗装せずに・・・候補と、わざと分かる補修がされて居るのだと気付きました。皆さんも仏像鑑賞の折に、キャプションのきゃう中に後補の但し書き、その個所を説明したもをに接したならば注視してみてください。


相対に今展には辛口の印象を述べましたが、仏像と違い、飛天には難しい講釈は無いようですので、仏像の様に儀軌に縛られることは無しに、自由に天を舞い、楽を奏でる飛天を通して極楽が音楽が在り舞が在りの素晴らしいさを感じれば良いようです。ですので今展覧会は勉強とするより、美しさを楽しめばよいようです。

結縁と題して摸刻の雲中菩薩にじかに触れさせてくれます。 唯それだけかと思ってましたが、後から知ったのですが、この触れた摸刻像はその後に鳳凰堂内の壁に永く取り付けられるそうです。
http://sankei.jp.msn.com/images/news/131208/art13120810000002-p6.jpg


最後に考察好きの私としては雲中供養菩薩像は菩薩であり、阿弥陀来迎の二十五菩薩の様な菩薩であり、上求菩提下化衆生の浄土の教主の如来の取り巻きであり上部勉強しながらお手伝いする存在と考えます。一方の飛天は、六道の天界の住人で、菩薩の位と云うか役目と云うかそれよりはもっと軽い、浄土の住人の様に考えます。 

形で言えば雲中供養菩薩像は輪光の頭光背をもち、上半身に条帛を着け、雲の台座に坐しています。飛天は光背なしで、上半身は天衣のみで、雲と共に自ら飛ぶのです。

ある仏友は飛天に光背があったと云ってました。あるのも有りかもしれませんが、此処の阿弥陀如来坐像の光背の飛天の様に天衣が光背の如くに見えるも有かと存じます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/photo/0000033000/0000032276/dlineimgr1_4.jpg  http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/photo/0000033000/0000032276/dlineimgl1_4.jpg
 
 飛天と雲中菩薩との違いを斯様に考えてますが、どなたか見識の方、ご教授を頂戴したいものです。そう考えますと 図録は要らないと求めなかった事が。今になって少し悔やまれます。


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