孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

奈良・京都に仏像拝観旅行 ①法華堂

 
14・15・16日に奈良京都の仏像拝観旅行に行ってきました。今回は企画実施幹事は仏友のKさん、お寺への事前折衝などご苦労お掛けしました。私はレンタカーの運転役で参加です。


2013.12.14~16 京都・奈良観仏案

12/14
妙法院 京都市東山区 
   普賢菩薩騎象像 重文 藤原 木造・漆箔・彩色・彫眼

西方寺 京都市左京区
   阿弥陀如来坐像 重文 平安 木造漆箔、三千仏光背、伝法勝寺遺仏
12/14(十内祭)のみ10時~13:30迄拝観可

雨宝院 京都市上京区
   千手観音立像 重文 平安 木造漆箔、乾漆を加味、腕10本、頭上面殆ど後補 
 
相国寺 京都市上京区
   釈迦如来像 重文 木造 

仲源寺 京都市東山区
   千手観音坐像 重文 藤原末 木造、漆箔、春日仏師作



12/15

圓證寺 生駒市上町
   普賢菩薩騎象像 重文 平安 木造、漆箔、古色

文殊菩薩騎獅像 重文 藤原 木造漆箔、古色
.   釈迦如来坐像、不動明王像、千手観音像

仙光寺 生駒郡斑鳩町
   十一面観音像 重文 藤原 木造彩色、客仏

置恩寺   葛城市
     十一面観音立像 重文 藤原 栢、古色

大福寺 北葛城郡広陵町
    十一面観音立像 県文 室町 檜造素地、玉眼、客仏、宿院仏師作
    難陀竜王 県文 室町 木造素地、玉眼、客仏、宿院仏師作
    雨宝童子 県文 室町 木造素地、玉眼、客仏、宿院仏師作

白米寺 磯城郡川西町  
   阿弥陀如来坐像 重文 平安 木造
   地蔵菩薩坐像 重文 平安 木造
   不動明王立像 県文 鎌倉 木造

12/16

東大寺 奈良市司町

法華堂
   不空羂索観音菩薩 国宝 奈良 乾漆造彩色、漆箔
   梵天 国宝 奈良 乾漆造彩色、切金
   帝釈天 国宝 奈良 乾漆造彩色、切金
   金剛力士(阿吽) 国宝 奈良 乾漆造彩色、漆箔
   四天王 国宝 奈良 乾漆造彩色、漆箔
   執金剛神 国宝 奈良 塑像彩色、秘仏、12/16のみ開扉
 
東大寺ミュージアム (東大寺の歴史と美術展)

    日光・月光菩薩 国宝 奈良 塑造、彩色、切金、元法華堂内安置

    弁財天 重文 奈良 塑造彩色、元法華堂内安置
    吉祥天 重文 奈良 塑造彩色、元法華堂内安置
    地蔵菩薩 重文 鎌倉 木造彩色玉眼、元法華堂内安置
    不動明王 重文 南北朝 木造彩色、玉眼、元法華堂内安置

    千手観音  重文 平安前期 木造彩色 (前四月堂安置・古密教系)
    持国天多聞天 重文 平安 木造彩色 

     誕生釈迦仏及び灌頂盤 国宝 奈良 銅造鍍金
     菩薩半跏像 重文 奈良 銅造鍍金
     釈迦如来及び多宝如来 重文 奈良 銅造鍍金
     十二神将 重文 平安 木造彩色
     釈迦如来 重文 鎌倉 木造素地(善円作)



宮古の薬師 磯城郡田原本町
     薬師如来坐像 重文 平安初 檜一木造、
           
千万院 磯城郡田原本町
     不動明王立像 重文 平安後 頭体は檜一材で彫製後、前後に割矧ぎ、割首。
                          両手は肩で矧ぐ。彩色、切金。 

永明院 京都市東山区16時予約済  16時~
      釈迦如来坐像 重文 鎌倉 木造、彩色、玉眼、切金、宝冠釈迦、性慶作
      円鑑禅師坐像 重文 鎌倉 木造、彩色、金泥、玉眼






今回のメインは16日(良弁命日)の東大寺 法華堂の執金剛神の年に一日だけの厨子開扉公開です。法華堂の修理の為に、3年ぶりの開扉です。

今月1日まで横浜市金沢区金沢文庫で特別展「東大寺 鎌倉再現と華厳興隆」が開催されていて併設企画 連続講座「東大寺を学ぶ」の第5回目の 文化庁の川瀬由照文化財調査官の講義を11月24日に受けていて、その内容が法華堂が中心でしたのタイムリーな法華堂拝観でした。


まず法華堂と呼ばれるお堂は奈良時代の正堂に、鎌倉時代に礼堂が増設されたものであると思っていたが、正堂の部材に残る痕跡から、奈良時代にもすでに礼堂が存在していたことがわかり、当初は正堂と、別棟の礼堂が前後に並び建つ双堂(ならびどう)形式の仏堂であったと推定されているを教わり驚きました。外見での屋根の形に増設を信じ切ってました。礼堂は新規増設でなしに、建て替えだったのですね!
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本尊不空羂索観音の合掌に在る水晶玉は当初から込められているものと思ってましたが、宝冠に推奨を載せると思われる丸形の受け台が在り、水晶玉は其処からこぼれたのを合掌手母指の上、頭指の付け根に置かれたものの様です。
日頃の正面からの拝観では窺い知れない水晶玉を執金剛神拝観の為の通路として解放された側面からの双眼鏡で、玉らしきを見られました。確かに手に込めるというよりは置かれたという様です。


天井に付けられている左右両側の天蓋は奈良時代のもので、中央の本尊不空羂索観音の天蓋は鎌倉期のもので、増設されたようです。そこから本尊不空羂索観音に天蓋の追加の理由として
天蓋の代わりの物が撤去されたと考えられます。それは厨子の屋根ではとの推察が在るそうです。不空羂索観音は今のようにむき出しで安置されたのではなしに厨子かそのようなもの、高御座の様なものかと推察します、それには塗屋形が載せられていて、何らかの事情でそれら厨子的なものが取り外されて、塗屋形も撤去され、その代わりに天蓋が必要と成り鎌倉期天蓋が新調されたと思います。

框も高さ、奥行きともに鎌倉時代に切りつめられた痕跡有との事です。そんなで、床修理改装をも含めて不空羂索観音は高さが変わった様です。そして何らかの事情で、現在の様に光背と仏像の高さ関係がずれてしまったようです。

その本尊不空羂索観音の脇侍として安置されていた日光・月光両菩薩と呼ばれる像は、衣裳からも梵天・帝釈と思われます。そして現戒壇戒壇堂の四天王はその二塑像と一具で、本日開扉の執金剛神をも持加え本尊不空羂索観音を囲んで居たらしとの、ここ数年前よりの実証歴史学論説です。
 
 
 

その執金剛神なのですが、日本霊異記によれば、東大寺が建立される以前のその地にいた金鷲行者(後の良弁僧正)の念持仏であったとされるので、戒壇院の四天王より先に造られていた様に思われる。しかし鎌倉期に厨子が作られ、以降秘仏として納められてきたため、保存状態が良く彩色もよく残っている。 
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本日は良弁僧正の命日で、開山堂の良弁僧正像ともどもこの執金剛神が厨子開扉される。私は初めての拝観です。確かに保存状態は良い、塑像には無理かと思える細い天衣は流石に2本の銅線を残して欠損して居るも、その間に木版を入れて紐で巻いて成形した様が良く分かる。

彩色の事は、常に語られるのでここでは省略する。 もう一つかっそっは欠損は平将門に蜂に化して刺した時に取れたと伝説のある髷の元結も針金が見えるはずと注視したが幕が邪魔で、またその陰で暗くそっちらは良く確認できなかった。

此処でも、前の不空羂索観音の水晶玉でも、知らねば見えない。私は知って鑑賞の持論はそんな処に在るのです。

でも足は角度で見えずでしたが、予想に粗相に反し、3年ぶ年に1日だけの拝観にしては人ではさほどでなく。警備員の後の人に譲り代わってとの声に正面にずっとは居られなかったが、制限なしに何度も廻って拝観できました。

後に本尊不空羂索観音を始めの乾漆塑像群をゆっくり拝観しました。旧来塑像は安置されていた執金剛神を除く塑像は皆 東大寺ミュージアムに移され、像の大きさ不揃い、込み合う乱雑さも整理され、落ち着いた群像の印象でした。
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 四天王を、もっぱら方位守護神との意識が強い中聖徳太子四天王寺を始め、この寺にもかつての西大門に掛かられていた勅額にも金光明四天王護国寺と在るように、古代では四天王は単なる守護神どころでない護国の神として、重要な役割があった事に気が付き始めました。 当時の仏教の大部分のの目的は護国という事で、また護国とは天皇の安泰、玉体安穏でありました。辻善之助の『日本仏教史』では、金光明最勝王経の中で「四天王護国品第12」が「奈良時代前後に於て最も強く思想界を支配したもの」と評価してます。

金光明経の「四天王観察人天品第11」( 四天王が、世尊に対してこの経典を護持する国の国王や人民を守ることを誓う、という形式)に、観察人天と在るように四天王は観察報告の役目を持ち、また密教明王以前の瞋目の尊でありまして、戒壇院の四天王の前2躯の持国天増長天が懲罰を与える瞋目の像であり、後列の広目天多聞天は、観察のあの眼です、それらは上司の帝釈天に報告する役なのです。
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戒壇院の広目天はあの眼で観察して、手にした巻子(巻物)と筆で記録しているのです。そして法華堂の梵天帝釈天は甲冑と寛衣の服装からしても、入れ替わってしまっている様なのですが、本来の帝釈天(現在 梵天としている像)は巻子を持っています。 その巻子こそ、広目天が記録報告した報告書なのです。 

そんな事を思いながら法華堂では梵天と呼ばれている帝釈天像であろう像の巻子に注視しました。


余談ですが本尊不空羂索観音の脇侍として安置されていた日光・月光両菩薩も、服装・印相などから、梵天・帝釈だろうと云われてます。日光菩薩の法衣的な服装が上位の梵天で、月光菩薩は甲冑的に見える装飾らあるものを下に着ています。


法華堂拝観の日記はこの辺で終わります。後に機会があれば他の拝観の事も日記にしてみます。 同行の仏像友人も何か書いてくれればよいいのですが・・・思うに任せずなかなか書いてくれないようです。


●次回の「仏像愛好の集いin東博」は1月4日(土)に行います。何方もお気軽にお集まり頂き仏像鑑賞と仏像談義をいたしましょう。詳細は追って又日記でご案内、公募させて頂きます。