国宝指定となった願成就院の運慶仏を尋ねて
11月17日に瑞林寺・願成就院・かんなみ仏の里美術館に計六名で拝観ツアーをしてきました。
テーマは関東の慶派秀作仏像を尋ねるです。前回は慶派創設の康慶の仏像を瑞林寺尋ねました。今回は慶派の代表者の 運慶の仏像達を願成就院に尋ねます。
周知の如くに本年6月19日に 願成就院運慶作諸仏が国宝に昇格しました、もう半年以上で落ち着いた感じもありますが、此処では同時に他の拝観者もありました。
運慶作仏像 国宝指定記念碑を11月20日除幕に行うとのブログを見つけましたが、それとは別と思いますが、大御堂入り口のの脇に真新しい国宝の文字の入った石碑が在るのに気付きました。
何時も居らっしゃることの多い住職ですが、今日も何時もの様に簡単な説明をしてくれました。
運慶の現存仏像の内では円成寺の大日から約10年後に当たる遺作で、興福寺西金堂本尊で江戸時代に焼失し頭部だけ救い出された焼失釈迦如来坐像の仏頭(近年迄成朝作と思われていましたが「類聚世要抄」に記載よりまだ無僧位だった運慶の作と判明した)山田寺の仏頭と区別に「木造仏頭」呼ばれています。
その直後の仕事が、ここ願成就院の諸像です。運慶はその時35歳近くです。(私は年号ではピンと来ないので運慶が何歳ごろという数え方で認識するのが好きです。)興福寺での多くの事の合間に、。関東でもこの様に頼朝妻の雅子の実家の北条氏の氏寺のこの願成就院で頼朝の奥州藤原氏討伐祈願の諸像群を造仏しています。
これらは運慶初期の作品でその後の東国武士・鎌倉幕府との関係の初期の事績です。
http://pds.exblog.jp/imgc/i=http%253A%252F%252Fpds.exblog.jp%252Fpds%252F1%252F200903%252F30%252F50%252Fc0031550_18414693.jpg,small=800,quality=75,type=jpg
テーマは関東の慶派秀作仏像を尋ねるです。前回は慶派創設の康慶の仏像を瑞林寺尋ねました。今回は慶派の代表者の 運慶の仏像達を願成就院に尋ねます。
周知の如くに本年6月19日に 願成就院運慶作諸仏が国宝に昇格しました、もう半年以上で落ち着いた感じもありますが、此処では同時に他の拝観者もありました。
運慶作仏像 国宝指定記念碑を11月20日除幕に行うとのブログを見つけましたが、それとは別と思いますが、大御堂入り口のの脇に真新しい国宝の文字の入った石碑が在るのに気付きました。
何時も居らっしゃることの多い住職ですが、今日も何時もの様に簡単な説明をしてくれました。
運慶の現存仏像の内では円成寺の大日から約10年後に当たる遺作で、興福寺西金堂本尊で江戸時代に焼失し頭部だけ救い出された焼失釈迦如来坐像の仏頭(近年迄成朝作と思われていましたが「類聚世要抄」に記載よりまだ無僧位だった運慶の作と判明した)山田寺の仏頭と区別に「木造仏頭」呼ばれています。
その直後の仕事が、ここ願成就院の諸像です。運慶はその時35歳近くです。(私は年号ではピンと来ないので運慶が何歳ごろという数え方で認識するのが好きです。)興福寺での多くの事の合間に、。関東でもこの様に頼朝妻の雅子の実家の北条氏の氏寺のこの願成就院で頼朝の奥州藤原氏討伐祈願の諸像群を造仏しています。
これらは運慶初期の作品でその後の東国武士・鎌倉幕府との関係の初期の事績です。
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作風ははち切れそうな、固太りの肉体の表現に運慶が持った東国武士のイメージの表現でしょう。中でもの人気は毘沙門天立像で。腰を左ににずらし、反対側の右足を延ばし、大きく身構えています。戟を執つ神将像では戟の上部を持つのが多い中これは肩の高さの位置にそれを持ち大きく腕を張って空間を保ちます。もはや仏像というよりは東国武将の彫刻と云った感の像です。
本尊の阿弥陀如来も、お顔は硬く膨らんだ豊満の感です。如来菩薩像はこののち彫眼にする運慶の、最後の玉眼です、しかし現在玉眼の水晶は無く、後の修理時に木製部材で塞がれた目は、深く黒く落ち込んでいて、この特徴のある目は印象的で忘れられません。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/images/image-8/0610-24.jpg
本尊の阿弥陀如来も、お顔は硬く膨らんだ豊満の感です。如来菩薩像はこののち彫眼にする運慶の、最後の玉眼です、しかし現在玉眼の水晶は無く、後の修理時に木製部材で塞がれた目は、深く黒く落ち込んでいて、この特徴のある目は印象的で忘れられません。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/images/image-8/0610-24.jpg
この阿弥陀本尊にも観音勢至の両脇侍あった事が歴史書から解っていると聞いた覚えが在ります。此方の衣皺は鎬が立ってとても深いです。松葉襞も有で、如何にも写実志向の鎌倉彫刻です。
此処で資料確認の為ネット検索していたら、自分のこの辺の事を書いたブログが出てきました。のでこの辺で新しい書き込みはやめておきます。
因みに、「願成就院 孤思庵」でネット検索すると 出てきます。今回の拝観ツアー関係の仏像の画像が載ってますので参照ください。
【続く】
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