孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

かんなみ仏の里美術館 実慶作 阿弥陀三尊は素晴らしい!


クリックすると新しいウィンドウで開きます11月17日に瑞林寺・願成就院かんなみ仏の里美術館に計六名で拝観ツアーをしてきました。 テーマは関東の慶派秀作仏像を尋ねるです。前回は運慶の仏像群を願成就院を尋ねた日記でした。

今回は最後の訪問先、かんなみ仏の里美術館です。

この地域は平安時代に筥根権現(箱根、函根)の神領となり、天平宝字元年(757)に筥根権現を開いた萬巻上人の菩提寺・小筥根山新光寺(廃寺)があった。

上人の遷化後に弟子たちが上人の愛した桑原の地(小筥根と呼ばれていた)に七堂伽藍の大寺を建てたものである。廃寺となった時期は明らかではないが、薬師堂の入口から来光川沿いに300mほど離れた水田の中に礎石が残されている。

新光寺が廃寺となった後に新光寺の本尊と成っていた薬師如来などの仏像群を長源寺に遷し、その後に薬師堂を建てて祀ったと考えられると・・・。
(以上mishimasatoyama.web.fc2.com/page156.htmlを参考にしました。)
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一昨年前までは薬師堂の下に在る、(源頼朝と文覚上人が旗挙げの相談をした伝承が残る)長源寺がお世話をしている形に見えましたが、これらの仏像は正式には長源寺のものではなしに、長い間 桑原地区が継承と管理してきた財産で、平成20年に函南町に寄付され、町の文化財として管理が移り、昨年4月に「かんなみ仏の里美術館」が新設オープンして移されました。 
(以上23.pro.tok2.com/~freehand2/rekishi/kuwabarayakushi.htmlを参考にしました。)

我々の同美術館に到着は午後4:10頃でした、館長さんが展示室に入る前の廊下にて、美術館の沿革からお話と成りました、私は当館に以前も訪れていまして、展示室以外に仏像美術の解説の部屋も在り、その内容が素晴らしいのも存じてまして、事前の調べでは開館時間が 午後4:30と在り時間が無いと心配いたし、「メンバーは基礎の仏像知識は持ってますので・・・、」と切り出し、展示仏像に限った説明をお願いする 失礼をあえて致しました。

元の薬師堂ではその名「薬師堂」と呼ばれる如くで。病気に利益の薬師如来(県指定 文化財)の方を 秘仏扱いなどして大切にして来たようですが、現在では重文指定は阿弥陀三尊でして、 美術館の展示では断然に阿弥陀三尊の方が出来が素晴らしく感じました。
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新装の環境、照明のせいか、元の薬師堂に安置されていた時より一層立派に見えました。

ぶ厚めの頭螺髪部分、はつらつとして端正な面貌、固太りを感じさせる肉付きの良い体型、整理された深めの衣褶形状などに、力強さと写実的作風となっていて、鎌倉時代も初期の慶派の特色が表現されています。運慶的な匂いまでします。

左頬に補修の跡が僅かに覗えますが、のこの様なお顔の補修は印象を左右させますので美仏鑑賞の立場として賛成です。(過日、久々に拝観した蟹満寺釈迦如来座像頭部も補修後はとても綺麗に成ってました)また信仰上の理由から、文化財無指定の仏像はお寺側は修理を望むようです。「ひどい状態の仏様では手を合わす気になれないでしょ」とお坊さんが言われた事が在って、然りと思いました。

その様にして古仏は修理を重ね伝えられてきているのです。百年に一度修理が必要で何百年では解体しての大修理が必要と聞いた事が在ります。

ここの阿弥陀三尊像も修理が為されて、きれいな状態です。重ねて新装の環境、照明のせいも相まってとても美しく感じます。以前より素晴らしく感じましたのはそれらの所為ばかりでは無しに、自分の慶派勉強が少し進んだのかとも思うのであります。

阿弥陀三尊像の漆箔で無しに見慣れない色についての声が出てました。この潤み色(こげ茶の漆色)は、もと近世に厚く金泥を塗られたれた修理がなされていましたを、作品を覆い、彫技の鑑賞を邪魔する分厚い金泥塗を取り除くを含む、解体修理保存処理を昭和63年に行い、元の姿に戻つたものです。

(運慶仏探訪として次に今度行かねばならないと思っています。浄土楽寺の仏像達も皆も、同様の金泥塗を取りはがした表面をしています。)しかし今思いますに分厚い金泥塗りは、彫技の鑑賞をを邪魔する悪者扱いででしたが、こうして剥がし元に戻れるのですから、これまで厚く覆って風化から仏像を守って来た役目をしていたとも言えませんか?

そして仏像の下には、鑿目をはっきりのこす蓮華座、大部分は製作当時のもので、堂々と立派で鎌倉時代初頭の基準作となっています。


阿弥陀三尊の中尊像の首内面に「大仏師実慶」両脇侍像頭部内面にそれぞれ「仏師実慶」の作者銘が記されるそうです。

「実慶」は康慶の弟子で、運慶・快慶とは兄弟弟子に当たり、あの運慶願経にも、その名を連ねているそうです、また当日の最初の拝観仏像、瑞林寺の地蔵菩薩坐像の墨跡の中にも、後述の宗慶と共に、小仏師として実慶の名が在るそうです。もう一つの実慶の遺作 修善寺の重文 大日如来坐像(智拳印)にも実慶の作者墨跡が残るそうです。

この様にに実慶の遺作が関東に多く残りますので、前述の宗慶(玉県加須市の保寧寺の阿弥陀三尊・個人蔵の不動三尊の事績)と共に、どうも奈良には住まずで、関東に在住の説が強いようです。


阿弥陀三尊(重文)が素晴らしいので一方の薬師如来(県指定文化財)はかすみがちですが、榧材一木割矧造だそうで、力強い印象です。胸・腹部の厚さなど胸・腹部の厚さなど迫力を感じさせる体に平安時代前期をも感じるのですが、顔面は鋭くの彫りながら円満な顔立ち、また螺髪の細かさ、衣文の浅さからなのでしょう、平安中期(11世紀半ば)頃と推測されています。一木割矧造の為でしょう膝幅は狭く体型バランスを欠いているのが気に成ります。
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薬師如来ですので、眷属の十二神将が居ます。
昨今は東博展示、仏頭展等で、十二神将がクローズアップされていますが、ここの十二神将一具は、玉眼も効いていて。なかなかの秀作と思いました。
 
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館長の話に、手首や焔髪などが欠落していたが、段ボール箱にその手首や焔髪など欠落部分が入っているのが発見され、一大将の頭上干支を残してすべたが補修できたたとの事で、現在は取り付け修理がなされた姿で陳列されていました。
ネット検索で開館当時の美術館展示の十二神将の映像では腕など欠損の修理前のものが映っているのも在りました。

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館長さんから特別に阿弥陀三尊と薬師坐像のカラー写真付き資料も頂いて、閉館までねばってしまいました。気にしてました四時半は入館時限で、閉館時刻は五時でしたので、50分間と時間も取れ満足な鑑賞と成りました。


帰路出発の予定時刻を過ぎてしまった上に、帰路は予想外の大渋滞で、カーナビが何度も東名高速に案内をせずでをせずでいぶかった居ましたら、ラジオで東名30何キロ重体と云っているではないですか?行楽帰りの車で大渋滞、カーナビはその情報を読み込んで芦ノ湖の方まで遠回りをさせたようです。途中からは東名に入り、そこからはスムーズでしたが解散場所の大崎駅には10時頃と成ってしまいました。

その時は同乗者を不安がらせてはならじと、こらえてましたが、真っ暗な急カーブ連続の知らぬ山路は怖かったですのョ!


皆様もお疲れ様でした、また秀作仏像拝観ツアーをしましょうね!



★≪金沢文庫特別展「東大寺―鎌倉再建と華厳興隆」 鑑賞会≫

集合場所:県立金沢文庫

その①集合日時:23日(祝) 午後 1:30
京急品川駅 12:27発、快特三崎口行最後尾車両に)

その②集合日時:24日(日) 午前10:30
京急品川駅  9:37発、快特三崎口行最後尾車両に)

出品詳細は 「金沢文庫 HP」をご参照下さい。

同展覧会 関連の連続講座講座を受講しました。他にも別途の展示解説参加などで仕入れました受け売り話とを交えて、ご一緒に観覧しませんか?


★尚、12月の「仏像愛好の集いin東博」は東博本館玄関7日(土)10:00 集合です。 その件は追って別途に、また連絡広報させて頂きます。