孤思庵の仏像ブログ

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編集途中です読まないでください! 奈良 興福寺文化講座(東京)

これは編集途中です。読まないでください!
 
月に一回東京 新宿駅際の文化学園で、興福寺主催の「奈良 興福寺文化講座(東京)」が在り昨日はその186回が在り、受講してきました。

以前にも何回かは受講したのですが最近はご無沙汰に成っていたのですが、藝大美術館で開催中の「国宝 興福寺仏頭展」、その関連の講演会がもう3回ほどありましてまた通い始めてます。

昨日の第一講は、その「国宝 興福寺仏頭展」をプロモートした 東京藝術大学の 薩摩 雅登教授の「国宝 興福寺仏頭展」の魅力 と題して、「国宝 興福寺仏頭展」のコンセプト・展示の概要説明が在りました。


同展の
の絵画・書籍
2.国宝板彫十二神将像の魅力
3.国宝銅像仏頭と国宝木造十二神将
4.特別陳列 深大寺釈迦如来倚像
と展示ブースで説明されました。

後は運搬・搬入・展示当の説明でした。概ね承知のお話でして、知らなかったのは照明の工夫で、今回は下から像に照明を当て、その影絵が壁・天井に投影されているとの事でした。同展覧会を既に3回も訪問致すも、そのことは気が付いていませんでした。

4度目の訪問も企画してますので今度は注目したいと思いました。

また、講演には説明が無かったのですが、個人質問してみました。内容構成は1.法相宗の教えと興福寺・・・はかなり難しい法相宗の歴史・教学に関してのキャプションが添えられていました。その分野も、藝大の担当でやられたのかを問いました処、その分野は興福寺側で担われたとの回答でした。

聴けばさも有りなんなのですが、それで理解がいきました。過日に宗教学の研究員と一緒に同行観覧した時に、同行の彼が法相第二祖の基(慈恩大師)のキャプションに、成唯識論の関する記述に疑問を呈することが在りましたりでした。

宗教学と実際の寺院との教学にはいささかテーストが違う様です。

藝大美術館での展覧会と、現在東大展を開催の定評ある金沢文庫や、大舞台の国立博物館での展覧会とは、専門の目にはニュワンスを異にするようです。浅学の私どもには及びもつかない事なのですが・・・


中間に「心を静める」と題した呼吸法の瞑想の体験を挟んで、第2講の 
連続講話「なら・祈り・心」と題して、興福寺 多河俊映 貫主の講話が1時間在りました。

ここ3回ほどこの連続講話を拝聴していますが、同じ唯識のお寺、薬師寺東京別院にも山田 法胤管主法話を聴きに行きますがが、そちらも仏教のかんがえかたの講義なのですが、その法話は実に話術巧みでして、信者の笑声が絶えないユーモワ交えての如何にも法話といった感じです。

それとはまったく別でして、此処の 興福寺 多河俊映 貫主の講話は聴衆の笑い声はほとんど無しでして、実に講義を受けるといった感じです。テーマは興福寺法相宗での中心的教学の『唯識』です。

この「唯識」成る考えは大乗仏教の後半に位置しますので、かなり練られて難しく、以前興味を持ち一般向けの唯識の解説書を読み始めたが、なかなか難解で途中で放り出しています。深層心理の様な心の分析でして、そんな昔に、かくも心を分析したものと驚嘆をいたしましたが、それは哲学?いやとにかく学問的でして
、自分の生き方の指針と成る様な気がしませんでした。

此処の講話では、「唯識三十頌を読む」を表題として居ます、唯識三十頌とは世親が唯識の思想を要約した30の偈頌で、玄奘が訳したものです。

そして唯識の捉え方は

1「唯識性」=唯、識のみであると云う事=全ては識の初編である=解説には、すべてのもの、あらゆることがらを心の問題とし、心の要素に還元して考える立場とと説明してます。

そして「唯識三十頌」をそれぞれ、読み下し、その後に注釈書の「成唯識論」に書かれた、その定義で理解をして、原始仏教の「スッタニパータ」などやはたまた、堀口大学の言葉なども取り上げて、平易に解説してくれます。


此処の多河俊映 貫主の講話では、この心のはたらきを自分の問題とする事です多河俊映 貫主はサゼスチョンされ、その解説に唯識の言葉、意味が納得、唯識本の読書の時とは相違で、自分の問題として染み入るように入ってきて、分かってきます。そして自分の考えの至らなさ、心の醜さを痛感して、自己嫌悪に、成るほどです。

先月の講話で印象深いは、「慢心」でした。自分は相手より優れていると相手を侮るという精神作用は、思い当たること強く、自分の慢心する心の分析などで、己に振り替え聴くうちに、自己嫌悪や己の卑しさに恥ずかしくなるほどでした。



そして今月は「唯識三十頌を読む」の14回目でして、「依教広成分」…第一頌~十四頌記載の心所(心のはたらき)のところでした。




【煩悩の心所】・・・佛の世界に違反する心のはたらき(6)

貪(むさぼる)・瞋(排除する)・痴(真理に暗い)〔以上 三毒煩悩〕・慢(自己を恃み、他をあなどる)・疑真理道理をわきまえ得ず、疑う)・悪見(誤った見解)

【随煩悩の心所】・・・根本の煩悩に基づいて生ずる心のはたらき⒇