経典による仏教入門 「空とは何かー般若心経」を受講②
8月31日掲載の 経典による仏教入門「空とは何かー般若心経」 を受講①の続きです。
同題で①を投稿したのが8月31日でした。それから一ヵ月になろうとしてます。次の講座が14日にありますので、
取り急ぎ②を投稿してしまっておきます。
★今回は自身の為の復習でして、ほぼ講座の資料そのままです。そのご案内としてください!最後に仏像趣味ですので、仏像に関する経典の事を少し付け加えます。
2. 『心経』の成立
金口直説(こんくじきせつ):釈迦の口から直接に説かれた教え
1)【初期の般若経典群(2~3世紀頃)】は増大してゆく
2)【中期の般若経典群(5世紀~7世紀)】は増大の後に要約される
その中で、鳩摩羅什訳の『金剛般若波羅蜜経』(402年)が主に使用されている。そのわずか一年後に『二万五千頌般若経』の鳩摩羅什403年の訳『摩訶般若波羅蜜経』と呼ばれと云うのもある。その両経典の関係が気になるところです。『摩訶般若波羅蜜経』は90品(30巻)の比較的規模の大きな経であり、通常大品般若経(大品)と呼ばれている。鳩摩羅什の訳した経の中には、同名の「摩訶般若波羅蜜経」と名づけられるものがもう一つあるが、そちらは『八千頌般若経』の408年の漢訳で、大品に対し29品(10巻)しかないので小品般若経(小品)と呼ばれる。
『般若心経』100AD-150AD~-233ADの支謙訳?
その後十世紀以上にわたり般若系統経典が作られる cf『般若r理趣経』 17の章節で構成( 読誦に40分程)
★『般若心経』は般若経典の要約なのでしょうから幾つもあるでしょう、内、鳩摩羅什訳と玄奘訳が著明ですが・・・ 、講座配布資料に『般若心経』鳩摩羅什訳○○年、『般若心経』玄奘訳○○年とは在りませんでしたので、調べてみましたが、共に定説は無いようでした。「心経」高名心経には不思議ともまたその事柄的ゆえにそうなのかとも思いました。鳩摩羅什訳「金剛般若波羅蜜多経」の訳年は【402年 】、後述の『摩訶般若羅蜜大明呪経』鳩摩羅什訳(298文字)は【402-413年】 この時を同じくする両経典の関係は如何なるものなのでしょうか?次回の講義で講師に質問したく思います。
3)【後期の般若経典群(7世紀~)】は有・空の二つともがあるを超えて、不空の境地に立ち、煩悩を肯定して行く。
漢訳『般若心経』に七訳が現存 (cf法華経は六訳三存)
鳩摩羅什:(クマラジ-ヴァ 344-413 西域僧 インド名門貴族出身でカシミール]生まれの鳩摩炎を父に、亀茲国王の妹のジーヴァカを母として亀茲国に生まれる。後秦の時代に長安にて約300巻の仏典を漢訳す。
『般若羅蜜多心経』649AD 唐・玄奘訳 260字 (現行本262字と若干の相違あり)
玄奘三蔵:(602AD - 664年3月7日)唐の翻訳僧である。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(チンイ)。尊称は三蔵法師
629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像等を持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正す、法相宗の開祖。
以上に挙げられなかった般若経典群に大事な『摩訶般若波羅蜜経』は『二万五千頌般若経』の403年 漢鳩摩羅什訳がある。90品(30巻)の比較的規模の大きな経であり、通常大品般若経(大品)と呼ばれている。鳩摩羅什の訳した経の中には、同名の「摩訶般若波羅蜜経」と名づけられるものがもう一つあるが、そちらは『八千頌般若経』の408年の漢訳で、大品に対し29品(10巻)しかないので小品般若経(小品)と呼ばれる。
★私の感想【初期の般若経典群】から【中期のー】・【後期のー】と般若経典群が次々に生まれ、漢訳されてきた歴史を教えて頂いたが、要約すると初期は『八千頌(じゅ)般若経』1世紀後に 『二万五千頌般若経』に増大した。
なお増大の方向への説明としては『二万五千頌般若経』の成立を例にとれば、紀元前後の『八千頌般若経』で形づくられた大乗仏教の基礎となる般若思想をもった教団が、説一切有部のような力のある部派仏教教団の教説に吟味を加え、それらと対峙して乗り越えながら増、押し広めながらまとめた大乗の教学論のアビダルマといった観があり、それ以前の仏教の教説の集大成となっているといってよい。
訳者の鳩摩羅什はこの『摩訶般若波羅蜜経』ならびにこの経の百巻に及ぶ注釈書である『大智度論』(基本的な部分は龍樹の著作でるが、その解説のために、訳者である彼が大幅な付加を加えたという説が普及している。)を最重要視し、もう一方での『法華経』の訳、注釈と合わせて、中国で仏教布教に多大な功績が在りました。
中期の般若経典群においては『十万頌般若経』=《大般若羅蜜多心経》六百巻と超膨大化する、これは段々解釈が進みその説明で増大してきたのでしょうが、通常では 、真読ができないまでに膨大になりすぎ、転読なる方便を生みました。 勿論に読誦、解釈・論説も能わずで・・・今度は要約への方向に成りました。
小さいものは『金剛般若経』詳明『金剛波羅蜜経』は1巻に、さらに傾向は進み『摩訶般若羅蜜大明呪経』 298文字 ・ 『般若羅蜜多心経』 260字 (現行本262字と若干の相違あり)とコンパクトになります。チベットには、その要約の極みで、a(あ)一文字の『一字般若」という密教経典のあると教わりました。これは極端ですが。心経などの要約は、読誦・写経に便利と成り、以降には汎用されました。
最初は小規模⇒次いで増広⇒膨大になる⇒要約の必要が出る⇒整理され簡潔になる が般若経典群の経緯
のようです。 これは初期仏教が簡潔であったのが、いろいろ教学論争で、各セクションが対峙・超克しながら増広敷衍しながら、深く、また細分化に広がって行き、難しい仏教に成って来ました。なたある時期が来て、鎌倉仏教のように分り易い仏教に簡潔化され、強いては念仏だけで良いとの簡潔に成ってきました。それらが似るようで…全て物事の経緯はそうしたものなのでしょうか?
3. 経題
仏説 : 玄奘訳に無し、梵原文にも無し
摩訶 : 玄奘訳に無し、梵原文にも無し 、「マハー」の音写
般若 : サンスクリット「プラジュニヤー」 ・ パーリー「パンニャー」 意味は「完全な智恵」・「仏智」(大乗は般若の歴史)
羅蜜多 : パーラミターの音写 .向こう岸(パーラム)+到達したこと(イター) 般若羅蜜多=般若の完成「行智」(実践する智恵)、「修所成智」(修行によって完成させる智恵)=無分別智
心 : 原語フリタヤ 心臓.心.真髄.
経 : 原語スートラ 縦糸.
次回は「4. 漢音の教え_般若の行」 の段で、、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度 」までの冒頭を「 3. 経題の 段」 と同様に 解説を受けます。そして次に「5. 心を離れてものはなし_色即是空」の段で「舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。」の受講でこの節は完了のようです 。
【次回9月19日に続きの講座を受講します。その受講報告を、③に またそれ投稿いたす予定です。】
実はご周知のごとくに、私は本来は仏像ファンでして・・・、 ここで般若経典の復習勉強中に 仏教に仏像が誕生の頃(ガンターラの場合は凡そ西紀後一世紀の末葉からであったと推定され、もう一つのマトゥラーは、同時期か、後二世紀の初頭より以前に発生か?)の般若経典『八千頌般若経』その漢訳品の『道行般若経』に、仏像に関して触れられているとの文章を見つけ、関心でした。
『道行般若経』の「曇無竭娼菩薩品第二十九」には、次のような文章「たとえば、ブッダが完全に涅槃されたのちにある人が『仏の形像』を作るとしよう。ひとは仏の形像を見てひざまずいて拝み、供養しないものはいない。その像は端正ですぐれた形相をもっていて、(ほんとうの)ブッダと少しも異っていない。ひとはみなそれを見て歎称し、花や香やいろどった絹をもって供養する。賢者(サダープラルディタ)よ。仏という神が像のなかにあるだろうか。」
との記述があるのをブログに掲載しているのを見つけましたので、仏像が主な趣味の小生としては、何時かこのことを考察して、 此処、自分のブログでも投稿をしてみたいものです。
との記述があるのをブログに掲載しているのを見つけましたので、仏像が主な趣味の小生としては、何時かこのことを考察して、 此処、自分のブログでも投稿をしてみたいものです。
と、続編も有との予告めいて終わりとします。
【③に続く】