孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

②「仏像愛好の集いin東博」8月の報告 --吉祥天・帝釈天--

 
【画像】(左)吉祥天 櫟野寺蔵  (中)帝釈天大田区蔵  (右) 参考:帝釈天 滝山寺


[コラム]
シリーズ途中ですが、新しい仏友が出来る兆しを見出しましたので・・・これを機会に落語の枕のごときコラムを開始したいと思います。私も知ってよかったと思う仏像関係のキーワードをご紹介します。興味の方はお調べ下さい。
【毘首羯磨】:伝説の仏師・仏師の神 
cf京都博物館の玄関の上にある三角形の破風には、毘首羯磨 と技芸天の像が装飾されています。
http://takaoka.zening.info/Kyoto/Modern_Building/Higashiyama-ku_District/photo/Dsc_0141_m.jpg 
 

[本題](②「仏像愛好の集いin東博」8月の報告からの続きです)


【◎吉祥天立像 櫟野寺】
キャプションに「童子のような顔は10世紀末頃の彫刻に通ずる」とある。陳列品のキャプションはその作品だけについてを語ると思われがちですが、読みようによってはもっと大きな事を語っている場合が在ります。此処では時代様式の説明です。読み方を逆にすれば、「10世紀末頃の彫刻の仏像の顔は童子のような顔をしていると読め、時代的特徴の勉強に成るのです。

所蔵の櫟野寺は仏像所蔵の古刹としてその名は知っていましたが、櫟の意味を今まで知らずにいました。笏を造る木として有名なイチイ(一位)の漢字が「櫟」との事、櫟野寺は又「いちいの(櫟野)観音」とも云われています。納められた仏像がイチイの木で作られたとの寺伝が在ると・・・。

キャプションに「童子のような顔・・・]と在りますが、確かに優しいふくよかなお顔です。次の帝釈天は武神でして、福神の吉祥天と比べるのは如何かと思いますが、梵天帝釈天は準菩薩の顔貌で造られます。さすれば比較しても良いのでは?!

ところが、明らかにその両像には違いが在ります。単に顕貴形と括れない、相違が在あつたようです。これまで個体差としてそれらを顕貴顔貌と一括りにしてきましたが、今後は留意したく思います。後で、そう難しい事云わずとも天部には明確に性別が現れていますので、男神・女神で括れば間違いは無いとも気が付いたのでしたが・・・。

並んでますので顕貴形と括らずに比較して下さい。

材不明一木造、内刳なしの10世紀、弘仁貞観時代の直ぐ後の作品です。


帝釈天立像】 
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/105/31/N000/000/014/132956524594413201369.jpg 
先に引き合いに出して、しまいましたがこの像も袈裟の下に甲〈ヨロイ〉をつける典型的な梵・釈の天部最高峰の守護神の姿です。袈裟と甲の二重性、上杉謙信を代表に遠い我が国の戦国時代の僧籍武将の姿が思い浮かびます。

袈裟と甲その矛盾の理屈は、南都の僧兵の理屈なのでしょうね。

此処で前回まで考察しました。梵天・帝釈の耳朶環(耳たぶに孔が空く)にも触れましょう。耳朶環は如来と菩薩のもので、天部の耳には無いと発言して、梵・釈の耳は耳朶環ではとの反論が出ましたが・・・、この顕貴天部のキーワードに天部に耳朶環ありの例外が腑に落ちました。

兎に角、「十把一絡げ」はいけないと自覚しました。注意深く比較する仏像鑑賞をさらに進める自戒に成りました。

キャプションに11世紀始め(藤原時代中頃)、ヒノキとみられるの材一木造で内刳なし、着衣や甲の一部に彩色が残る。

藤原時代の仏像というと 漆箔が思われますが、漆箔像は仏の三十二相の金色相(身体手足全て黄金色に輝いている。)に由来しますので、如来とそれに準ずる菩薩像のみでして、滝山寺の運慶作 帝釈天像の肉身部の金色は近世の彩色としても頂けません。
ですから此処のように梵・釈の天部像は顕貴といえども彩色像なのです。


【③「仏像愛好の集いin東博」8月の報告 に続きます。】