孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

①「仏像愛好の集いin東博」8月の報告 --大黒天--

 
[映像] 【左】と【中】大黒天立像(東大寺伝来) 【右】マハーカーラ像(ヒンドゥー教の神の一で 仏教に取り入れられ大黒天となる。)
 
 
「仏像愛好の集いin東博」8月は少人数で、5人の集いでした。
欠席の方にも、風邪で急遽、予定の家族ゴルフ、日曜定例テニスに、(滋賀県長浜市)「観音の里ふるさとまつり」巡礼中、別途所用があり・・・、の理由を事前ご連絡を頂きましたので安堵いたしました。
出席者と連絡者を足した10名辺りが、お仲間のようです。
今回は幸か不幸か少数の参加でしたので、小声での会話で済みましたし、ミーティングはバラけづに集中しました。11号室での仏像鑑賞も小声ですみますので、陳列室での会話が可能でして・・・少人数もまた良しの感じを持ちました。
 
[11号室は先月と同じ陳列ですが、先月には気付かなかった、都度のまた新しい発見がありました。
 
http://www.tnm.jp/uploads/fckeditor/exhibition/regular/20130102newyear_sp/uid000068_201211281548114f46d084.jpg

【◎大黒天立像 東大寺伝来】は陳列際のキヤプションに詳しくは無かったが調べれば、厨子に記された銘文により、治承4年に焼失した東大寺食堂を再建し、そこに安置しようという意図のもとに製作。厨子内の銘によると、貞和2(1346)年東大寺大行事玄重が伊勢神社で夢に見た大黒天を仏師快兼に造像させ、大仏師観慶に厨子絵を描かせ、翌3年に開眼供養したという経過が分かる。

大黒天の原型はマハカーラ(Mahākāla) は、ヒンドゥー教の神の一柱で、シヴァの別名のひとつとされる 。マハーは「大いなる」、カーラは「黒、暗黒」を意味し、世界を破壊するときに恐ろしい 黒い姿で現れる。というように原型的には戦闘の神として怒りの表情を見せる原型(大いなる黒的な像としての名残で、この像も顔は青黒くされていた、大黒天は同じ音の「ダイコク」から大国主命が同一視されるようになり、大国主命的な我が国の衣装となり、財福神として柔和な表情のもがでてきます。この作品は米俵を踏み、宝を描いた大袋を持ち福の神敵に成って来ていますがが、顔は青黒く塗られていた痕跡があり、硬い表情をして、原型マハーカーラの名残をとどめています。
胎蔵界曼荼羅の最外院のマハーカーラは3面3目6臂でシヴァと白瘤牛を吊るしたり,象の生革を被ったり、怖ろしげで、柔和で優しげなな福の神の大黒様と同一とは驚きです。
 
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陳列像を見て、服装と担う袋の金彩を截金かとの声もでましたが、私は蒔絵ではないかと思いました。截金はもっと煌めきますし、模様の婉曲線の構成は截金に向きませんし、時代が下がると蒔絵は多い傾向です。截金の場合は素地、彩色に併用され、漆塗り仕上げには、截金よりも蒔絵か金泥描きが多いようで、これは平蒔絵かまたは金泥描きのようです。

平蒔絵の判断の切っ掛けは、踏む米俵の縄目を見ていたら、一部に盛り上がった高蒔絵の部分が残っていて、その大部分が錆び漆の弱さから、剥離した痕と判りました。高蒔絵と平蒔絵の併用と思えたのです。

もう一つ前回で気付かず、今回気が付いたのは、その肩に担ぐ大袋の模様でが、服装の方にもある模様と相違なのです。、以前は気に留めていなかったのですが、今回気付けば、服装の模様とは相違でして、打ち出の小槌、法螺貝、分胴などから「宝尽し文様」と判明しました。宝の入る大袋の模様として打って付けなのです。

キャプションの南北時代を読んでからなのですが、南北朝の像と意識して見ますと、時代の特徴の ブロック的に積み重ねたような躯体との目で見れば、いかにも、首が胸腹部の上に積まれた頭部分がブロック積み上げ的に見えてきました。
丹念に見れば、段々に見えて来るものあり。この像も、まさにその通りでした。


【②「仏像愛好の集いin東博」8月の報告 --吉祥天・帝釈天・天王像-- に続きます。】