孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

7/6「仏像愛好の集いin東博」報告

7/6の「仏像愛好の集いin東博」には途中から参加も含めると10人もの参集がありました。この猛暑の中参集頂けましたことをありがたく存じます。ここは合わぬと去る方、こんなのを探してたと ご新規さん、紆余曲折で1年立ちました。只今残って頂いた方は価値観の合致の碩学の先達と、真摯に志学(但し15歳に非ず)の後進の方と存知ます。其のどちらもが共に学べる集いにしたく思ってます。
 
◆11号室入口の小品像 
ます11号室の展示で前の部屋の小品の展示が大黒天立像   帝釈天立像 天王立像  吉祥天立像   弁才天坐像と皆が天部像でしたので、それを実例に、耳朶(耳たぶ)に孔が開いている(環状耳朶)のは、如来と菩薩像ですと説明しました。
 
後日、それに参集のお一人よりコメントメールを頂きました。不動は耳朶(に孔が開いているとご指摘、其の通りです。不動など明王には耳朶孔ありです。明王密教の尊格で天部と似て、元はバラモンヒンドゥー教の神の出自、しかし密教において五智如来の使者・明呪の王というかなり重要な位置づけけをされて、胎蔵生曼荼羅では 菩薩に次する尊格を与えられ、かなり中心近くの中台八葉院の直ぐ下(西)の持明院に位置してまして、一番外側の最外院に位置する梵釈や四天王とはかなりへだったった、存在になってます。金剛界曼荼羅でも、降三世会などで明王はかなりの役割をしていますさすれば菩薩に準じ耳朶環・耳朶孔は相応なのでしょう。
 
それから、物事の説明には、概を付けないといけません、例外が大抵存在します。兜跋毘沙門天は耳璫をしています、外せば環状耳朶でしょうねッ!
 
◆11号奥の展示仏像から
東博蔵で何度も見る仏像です。お顔はで端正で見応えが在りますのに、身体部はなんともぼでっとしていて良くありません。後補の為と思うのですが、その辺はまだ知りません。今月18日のボランティアによる彫刻ガイドの時に聞いてみます。
天平末の木造再開の前で脱活乾漆像と木彫像の中間に位置する木心乾漆像です。上半身は殆んどがクスノキの一材から造られ、其の背中をくりぬいて内部を空洞にしている。脱活乾漆像に近い軽量化を図って火災時時の避難を意識してます。クス材は法輪寺の薬師坐像・伝如意輪観音を例に飛鳥時代の仏像の用材です。天平時代には木彫仏が少ない中、木彫仏の用材は前時代同様にクスノキとヒノキの様です。この像も体はクスノキで脚はヒノキと在ります。
この像のクスノキに前の時代からの仏像用材、ヒノキに建築用材の流用的の使用場所を感じます。
 
古代一木はクスノキ、木心乾漆の心の像はヒノキ、そして平安前期の一木造りはカヤに、藤原時代以降の寄木はヒノキ・・・。木彫像といっても一木は霊木から仏を彫り出す環で、カヤ一木は漆金にしない。面白いですね。また後で仏像用材の事後段にも書くと思います。 
 
場所を移し、平成館の休息コーナーで昼食。其の後の勉強会では、
 
◆拝観旅行 報告「3日間の奈良秀作を訪れて」
私とOさんYさんとの6月24~26日に実施の奈良の秀作仏像拝観の報告  Yさんは熱心でして見所有りかと存じます、仏像趣味のキャリアまだ短いので、先ず良きものからご紹介案内したいが一番お隆でしたが、同行の私達もまだ見ぬ仏像を追う傾向の中、既に何度か対峙し、その時感動を受けた、超一流仏像をまた訪れてみました。その拝観仏像を報告しました。(別途後日に、ここで紀行文 発表させていただきます) 
 
 
 
続いて、最近の勉強の発表で、K氏から京都の「大文字五山送り火」の解説がありました。
五山の篝火は壮大規模の護摩の意味あり、「大文字」「左大文字」は胎蔵・金剛の両界の大日を現わすとの事、続いて「妙法」、「船型」と「鳥居形」の意味も教えていただきました。「大文字焼き」には諸説有り、起源がはっきりしないようですが、この「大の字は大日如来を現す」には目から鱗でした。
 
◆ 受講 報告『現代に生きるやさしい密教瞑想』
続いて先の記事にて予告の「川崎大師仏教文化講座」『現代に生きるやさしい密教瞑想』講師 北尾 隆心先生 (種智院大学 人文学部教授)受講からの説明を私から 資料配布で説明させていただきました。
 
①「密教瞑想」・・・密教の瞑想とは・修行法(身口意の三密行=契印を結び・真言をとなえ・瞑想する)
十八契印:荘厳行者 法・結界法・荘厳道場法・勧請法・結護法・供. 養法の六法より成る。
 
「宝車輅」:金剛童子の引く車に乗って仏がやって来るという、印は車を引く形、真言は「おん・とろとろ・うん」と車の回転擬音
 
塗香」の意味と作法:仏への礼と思ってましたが、仏と等くなる方法の一で、残る香りが其の証、無名指(薬指)は地水火風空の内の水の指、ここに受けて水に溶く所作は印度の香を水に溶き塗るに起源。
【余談】薬指は魔力(病気を治すなど)がある大切な指と信じられていた。古代エジプト人は、特に心臓に近い左手の薬指を、心に直結するとして大事にしたのだそうです。結婚指輪を左手の薬指にはめるのも、こういうところからだということです。
孫悟空に出てくるひょうたんは、名前を呼ばれて返事をすると吸い込まれてしまうのでした。邪悪な者が魔法(のろい)をかけるには、相手の名前を知り、呼ぶ必要があるそうです。それですから無名指と呼んで薬指を守ったわけとありました。
 
②「密教瞑想と方法論」・・・本尊の必要性:入我我入仏と一体になるためには、本尊を理解する必要あり
 
 
伝持の八祖::龍三、龍経、金珠、不縛、善指、一内、惠童、弘五、真言密教を人世に流伝(護持された八人の祖師の図画の特徴を略された言葉で、一祖龍猛は三鈷杵(密教の法具)、二祖龍智(りゅうち)は梵経、三祖金剛智は念珠を持ち、四祖不空は外縛の手印を結び、五祖善無畏は右手の人指し指を立て、六祖一行は衣の袖下で印を結び、七祖恵果童子を伴い、八祖弘法は五鈷杵を持っていることをあらわしています。
 
五仏のうち西の無量寿阿弥陀)と変わらない訳は:大乗の古い仏で西方の阿弥陀は定着している為
 
 
梵字を書く(種字を書く)   種子又は種字(仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)の 胎蔵界(生)大日の阿アと金剛界大日のバンを実際に書くでは、手本を配布し書き方を説明しました。
अ(a)大日如来胎蔵界
वं(vaM)ヴァンバン大日如来金剛界
http://riraku.up.seesaa.net/image/C2E7C6FC.jpg毛筆 ア  ・  刷毛字 ヴァン
 
●書き上げた種字では、既に見えないが、描き始めのところに「阿字命点」が在りました。発心点、もしくは命点、ア点とも、種字を書く、その時初めに打つ始まりの点を命の点と呼ぶそうな、すべての字にはアが含まれると聞きました。
 
大日如来の写仏をする。 大日如来を観想するためには大日如来の姿を良く知らねばならない 知る為に写仏をしました。お手本に薄紙を重ねて写し書きをしました。 参集の皆さんにも お手本のコピーを配布しました。
 
★講義で聞いた【眼から鱗】の事 
大日如来如来形で無い理由、単に如来の王様だからだけでない、大日如来法身仏、ゆえに出家、悟りのプロセスがない、為に如来形をしてない。(なおそれを菩薩形と言うは不当。王を王子の形と言うは不敬)

●五智の宝冠は五仏に五智を配当という、そんなに単純なものではなかった:大日の冠る五智(五仏)宝冠に、これまた大日がいる、重複の不思議? それは同じ大日にあらずで、金剛界の大日の五智(五仏)宝冠中の大日は胎蔵界の大日!(五仏は胎蔵界の五仏!)
しかし両界の大日は別ものなのか?はたまた同じなのか?それらは区別されるのか?されないのか?
【両部不二vs両部ニ而】

●そうした事で、どちらの解釈もできるように、限定表現を避ける場合も・・・。化仏を拱手にする訳も同様理由

五智如来(五仏)は、密教で5つの知恵(法界体性智、大円鏡 智、平等性智、妙観察智、成所作智)密教の五智に配当された五如来金剛界五仏のこと である。しかし大日の法界体性智はさておいても、阿閦如来が大円鏡智・宝生が平等性智・阿弥陀が妙観察智・不空成就が成所作智だけ持つているっているとの理解は間違いで。五智の如来(五仏)は個々それぞれ共に五智の全てを備えているとの事でした。

●智拳印の解釈 :右手が仏、左手が行者、で行者を仏が包むと解釈してましたが、講義の解説はもっと面白かったです、左手の人差し指は頭指、その頭を右の五指で握る。これは五智の宝冠と・・・!(因みに、五指の名称 親指=母指(空)・人差し指=頭指(風)・中指=中指(火)・薬指=無名指(水)・小指=小指(しょうし)http://iris1226.eolia.jp/dainiti4.jpgクリックすると新しいウィンドウで開きます クリックすると新しいウィンドウで開きます
 
 
★【続きは次のブログに掲載します】