孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2013/4/11(木) 午後 10:17分 を再投稿

仏友より4月11日分4月度「仏像同好の集いin東博」報告① が見られれないとの連絡を受けましたので、再投稿します。コピーを撮って投稿するとどういう訳か、文字が小さくなってしまいます。読めますでしょうか? 公開しない
 
★公開範囲の設定ミスではとのご指摘を頂き 調べましたら「公開しない」に設定されてました。 早々修正いたし読めるようになりました。 ここの下段では文字が小さく見づらく成っていますので、是非に4/11の日記に戻り読んでやって下さい。
 
4月度「仏像同好の集いin東博」報告
7日の日曜日は前日の荒天の余波で風が強く雨の不安もある中、早退と途中参加を含め、延べ7枚の参加でした。何時もの常連の二人は二日後の甲州の仏と花のツアーの運転担当でして、その準備の為に欠席と成りました。
 
何時ものように11号室の仏像鑑賞から始まりました。この頃はギャラリートーク風の一人による解説は止めて各自自由に鑑賞、そんな中、先達連は後進に解説しながらの鑑賞などが見受けられました。
 
今回のジャンル別展示【彫刻】の出品リストは先の参集募集時にリスト掲載してます、そちらを参照願います。今回も前回からの継続展示の仏像も多く、そんな中の気になる数点を紹介します。
 
重文 聖観音菩薩立像  1躯  平安時代・9世紀 京都・醍醐寺
 
●最初は、重文 聖観音菩薩立像  1躯  平安時代・9世紀 京都・醍醐寺蔵です。良く仏像の書籍に掲載される秀作です。
像高51.5センチの平安時代前期の一木造り、そして代檀像の鏤刻であります。私には真檀像に近い感じを受けます。私の知識では古い解説が左様でしたので榧(カヤ)との認識でしたが、キャプションには用材は真弓(マユミ)とあります。ひと頃は木造で満足で用材をそんなに気にはしていなかった。またその研究が遅れていて針葉樹材は皆、檜(ヒノキ)と安直に決めていたのが、ここ十年ほど前より仏像用材の調査研究が格段に進歩して樹種の認識がなされ重要視されてきました。
 
従来一木造り仏像はヒノキとされていたのが、その殆んどカヤ材と訂正されている。これまでヒノキと判定されていた、唐招提寺講堂木彫群の多くの像、大安寺の木彫諸像、神護寺薬師如来像、元興寺薬師如来像が、すべてカヤであることが明らかになったのです。
そして、最近では小型の代檀像もカヤとされてきていたものが、一部マユミに訂正されて来ている。本像もそんな一つであろう。まだ詳しいその辺の知識は無いのだが、マユミ古くは弓の材料は知る所でしたが、マユミの代檀像は知りませんでした。

植物のブロクで調べましたらマユミは 落葉低木で幹も直径15センチほどまでで、大木にはならない。ですので等身大以上の一木造り仏像はカヤで、このような小さい代檀像の鏤刻にはマユミは向くような感じです。
何れにしましてもマユミ代檀像は初めてでして、極最近の研究成果ではと思います。
 
代檀像には、黄土の着色がなされる事が多いとあったを記憶してます。この像にも黄白色の薄彩色が残るとの事で一致します。この像、何といっても下膨れのお顔が特徴ありで覚えます。そして寸詰まり躯体です。今回改めて見て、先ず気が付いたのは保存状態がとてもよいことです。但し蓮肉まで一木のそれは良いのですが、取り巻く蓮弁は縦に深く筋が入った鎌倉時代の後の形状です。手持ち書籍の解説にも、。後補とありました。さもありなんです。
 
それに今回気が付きましたは聖観音菩薩と在りますのに、冠に観音の章たる阿弥陀の化物が無い事です。釘穴があり、金属の冠が付いていた釘穴があると、手持ち解説には在りますが、鑑賞時には気が付きませんでした、次回の鑑賞には見出したく思います。
 
 
如来立像  1躯  飛鳥時代・7世紀 法隆寺献納宝物 N-193
 
●2番目の展示は如来立像  1躯  飛鳥時代・7世紀 法隆寺献納宝物 N-193 でして、本来は法隆寺館対象の展示品です。実は隆寺の仏像群は皆金銅仏ですが、一体だけ木造仏があると数年前に知りました。少し前にも法隆寺館の受け付け嬢に 次の出品は何時になるのかと聞きまして、その時は不定期で、まだ計画されていないとの事でした。その様に切望していた法隆寺献納小金銅仏群に混ざる木造仏との対面が思わぬところで実現しました。
 
②へ 【続く】