孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

不動明王は倶利伽羅剣を持つのか?

仏像趣味同志の友人とのメールの遣り取りですが、タイトルの件で面白かったので披露させてもらいます。
 
【O氏からのメール】
----- Original Message -----
From: O
To: 孤思庵
Date: 2013/2/24, Sun 05:42
Subject: 倶利伽羅不動について
 
昨日は何時も面白い話題が有り楽しかったです。有難うございました。
倶利伽羅不動に付いて 不動明王の持つ剣に巻きついて剣を飲もうとしている姿で岩の上におかれる。
と成っていますが 気に成るので調べて観ました。
 
Wab上で同じような質問が記載されていました。
Q)
  倶利伽羅剣は不動明王が持つ龍が巻き付いた剣とありますが
実際の不動明王の像を見てもみんな龍が巻き付いていません。
せいぜい通販で売ってる不動明王にたまに巻きついてるものがあるくらいです。
実際に龍が巻きついてる古い不動明王の像などあるんですか?
もし無いならその由来はどこから来たのですか?
A)、
古い明王像で倶利伽羅剣を持っているものを見たことはありません。
 「ない」と書いた本を見たこともないので、「皆無」などと断言する気はさらさらありませんが、少なくても、私が持っている写真集や解説書には載っていませんね。
 自宅のデーターベースが見れないので覚えている範囲ですが、倶利伽羅剣に巻きついた龍を倶利伽羅龍といいます。 分類的には「竜王」に属するのですが、この倶利伽羅龍王自体が「不動明王の化身」であったはずです。
 そういう存在だから、あるいは本によっては剣は大日如来の悟りがもつ威光の象徴、巻きついた竜は煩悩の象徴という解説もあったりして、とにかく倶利伽羅剣そのもの(単独)も信仰の対象です。
 で、勝手な考えですが、不動明王不動明王の化身(倶利伽羅剣)を持つ、というスタイルは本来ありえないはず。
 それが、作られてこなかった理由なのではないでしょうか。筋は通っているように感じます。
と言う回答の記事が有りました。
画像)倶利伽羅不動尊の碑
金乗寺(目白不動) 瀧(前)不動 仙波ノ滝 倶利伽羅不動 栗谷津 倶利伽羅不動
   
寛文6年(1666) 寛政11年(1799) 年代不明 嘉永元年(1848)
倶利伽羅不動庚申塔
東京都豊島区高田2-2-39 千葉県我孫子市岡発戸(オカポット)新田
R成田線我孫子下車、歩南(手賀沼方面)へ15分 埼玉県川越市富士見町「仙波河岸史跡公園」
川越駅より歩15分、愛宕神社の崖下 埼玉県富士見市針ケ谷1-4「栗谷津公園」内
東武東上線「みずほ台」下車5分
https://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/ryu/image/7-201.jpghttps://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/ryu/image/7-202.jpghttps://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/ryu/image/7-203.jpg
 

どうしても見たいと言う事でのイメ-ジではこの様なものか?これは現代の作家が制作したものです(創作品)。
https://www1.cts.ne.jp/~h-1butsu/h8(2).jpg 
 
更に儀軌としての「倶力伽羅竜王儀軌」(くりからりゅうおうぎき)には大日如来が変じて不動明王となり
不動が変じて剣となり剣にゆかりのあるサンスクリットの種子(しゅし=シンボル文字)が竜王の形となると言う説明が見られる
「覚源鈔 巻下」によるとクリカラ竜王は人の住むこの世を、剣は仏界をそれぞれあらわす。これは衆生の心のうちに仏の知剣を導きいれて
仏と人が一体となることのたとえで、それが剣を飲む龍で表現されているのである
と在ります。
 
 
 
【私からの返信メール】
 
O様 
ご返事が遅れ申し訳ありませんでした。倶利伽羅剣の考察は初めてですが、面白いですね!
 
貴メール 文末の 儀軌としての「倶力伽羅竜王儀軌」には大日如来が変じて不動明王となり 不動が変じて剣となり剣にゆかりのあるサンスクリットの種子が竜王の形となると言う説明や「覚源鈔 巻下」によるとクリカラ竜王は人の住むこの世を、剣は仏界をそれぞれあらわす。これは衆生の心のうちに仏の知剣を導きいれて仏と人が一体となることのたとえで、それが剣を飲む龍で表現されているのである」も、
剣を飲み込もうとする龍の説明として納得ですが、それらに比しても、わかり安いブログを私も見つけました。
先ずは倶利伽羅剣の定義としては、インドにおいて密教が盛んになると、不動明王が左手に持った羂索が、インド人の尊崇する龍の形に似ているところから、不動明王が右手に持っている利剣とを対にして、不動明王の三昧耶形、つまり不動明王の働き、功徳をあらわすシンボルとするようになった。
 そして、刀身の剣巻き龍を普通クリカラと呼んでいるが、それだけでは黒龍という意味で、利剣を含んでいない。正しくはクリカラ剣と呼ぶべきである。
またあるブログでは「仏教の代表者としての不動明王が九十五種の外道(異教徒)と論争した時に、不動が智火の剣に姿を変えたとたん、外道の者が対抗して智火剣に変身した。そこで不動明王は恐ろしい龍の姿をした倶利迦羅龍に化けて、相手の剣を四つの手足で押さえつけ、飲みこもうとして相手を屈服させたという説話による。」とあって、龍が剣を飲み込もうとする姿の説明として解り易く思いました。
 
倶利伽羅剣は不動明王の三摩耶形(持物などによって示した形)でして、それは、ある意味不動明王そのものと言うか、不動明王の化身と言って良いのですから・・・
 
姿彫りの不動明王倶利伽羅剣を持てば、不動明王不動明王を持っている事に成ります。煩悩を立つ利剣を持つのは道理ですが、倶利伽羅剣を持のはおかしい事に成ります。
 
送られたの倶利伽羅剣の石碑の写真は、倶利伽羅剣(=不動明王)が、岩座の上に立っているのと火焔光背を背負う事からも、不動明王自体を姿を三摩耶形で現していると解釈できます。
 
そして、その事は姿彫りそのままの不動明王としては倶利伽羅剣を持つ事は無しでして、利剣として龍の無い剣を持つものが筋道と思います。
 
そして、そのロジックをあまり解釈していない一部の現代作家の製作の像や、玩具的の像に、不動明王が利剣の代わりに倶利伽羅剣を持つ誤りといって良い像が多くあるです。真っ当な仏像にはそうした誤謬は無いと言って良いでしょう。
 
ついでに現代作家の製作の写真の不動像は残り物を食べて肥満童子と知らずに、其の身体を筋骨隆々にしてしまった誤りを犯しています。彫刻作品としては良いかもですが仏像としては誤りです。
 
下に掲載の映像資料の方二点は、形式にも誤謬は無いと存じます。
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http://www.narahaku.go.jp/photo/exhibition/D035743.jpg
 
                     2月27日    孤思庵
 
 
●尚、関連で、明王の勉強会を3月2日に東京国立博物館を場所に行います。この前の日記に書きました。ご興味がありましたら御参加下さい。