孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

義母の「般若心経」

2件(継母と大昔の元彼女)の病院への見舞から帰って、雑用を済ませて夜更けに書き足しました・・・・そして今朝また修正しました。
 
毎年、越冬に新潟から義母(今年は90歳に成る)が来る。今も来ていて、毎朝に我が家の仏壇に般若心経を唱える。
たまたま、只今、eテレの「100分de名著の般若心経」のTV講座と、「こころをよむ文学・美術に見る仏教の生死観」を聴取中で、録画と録音している。
其のうちのラジオの方の「こころをよむ文学・美術に見る仏教の生死観」の三回目がやはり「般若心経」を取り上げており、この方がコンパクトで安易に思えるたので、コタツに入って居る義母に其の録音が聞けるように流してみた。
あんなに新聞を隅から隅まで読む人なので、期待したが・・・・見事に裏切られた。何の反応もなしだ・・・。
心経の講義には、無関心なのでした。
私はまだ心経の暗証は半分ほどですが、義母は すっかり暗証、もう何年何十年も毎朝に唱えている・・・・
しかし、二人の興味はおおいに違うようだ。
内容・その意味を知ろうとする私と何十年も心経を唱えてきている義母・・・
心経は経典だが、普通の経典と相違で、唱える誦に真言・陀羅尼的に呪術効果があるとも聞く。
はたしてどちらの方向に、真価があるのやら・・・ほんに良い勝負ではなかろうか?

それは人にとっての価値観という言葉でも在りそう、でも それは在るとも言いきれずで、実在をはっきりは言えない無色無受想行識や五蘊皆空のフレーズに何か近かしく似てている様な・・・・・・
これから入院中の継母の見舞いに、二人して出かけます・・・。
そう、昨日はけして薄れる事の無い人と思っていた祖母(事情で母親代わりだった)の祥月命日を忘れていて、偶然に義母にその命日を尋ねられて、偶然に今日と知り、慌てて仏花を求めに走ったりしましたっけ・・・・・・こんな現実、これが幻?日常の現実存在が、無=空、「皆空」であって、在ると言い切れない存在なんて、何と難しい・・・・
 
今まで何度か色々の「般若心経」の解説本を読んできましたが、今回の100分de名著「般若心経」のテキストが一番魅力的な解説と思いました。
此処では「般若心経」の通常扱われます『小本』留まらず、『大本』の「序文」と「流通文」も斟酌し、大乗の経典との解説をする。
スポークスマン(語り手)を大乗仏教の代表としての「観音」に、教えられ役が釈迦の弟子でも智恵第一の 「舎利子」にこの事で大乗の優位性を説く経典(ある意味、釈迦を乗り越えて、その考え方を否定している)と説明している。
本文にあたる「正宗文」にては、五蘊の「実体を持たないない状態」の説明は端折ることなく懇切で(為に少し難解ではある)的確な内容で説いている。
結びの「流通文」では禅定していて不参加だった釈迦を禅定の状態から脱させ、「其の通り・・・」と賞賛させ、太鼓判を押させたと解説しています。
 
このような論説は今回が初めてでした。釈迦の仏教と大乗仏教の相違の勉強にも成りました。