孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2月3日の 仏像愛好の集いin東博は 特別展円空を鑑賞

 http://www.tnm.jp/uploads/r_exhibition/hall/12.jpg http://www.tnm.jp/uploads/r_db/recommend/enku_65_1.jpg            ●定例開催日を奇数月は土曜の、偶数月は日曜の     第一土曜or第一日曜を定期開催に決めました。
    で、2月の「仏像の集いin東博」は3日(日曜)に
    開催します。

  【集合場所】 東京国立博物館 本館1F 11号室前
  【集合時刻】 10:00 ★弁当各自持参願います。                     
 
2月3日の 「仏像愛好の集いin東博」は 特別展円空を鑑賞します。今回の特別展特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」  は何時の平成館ではなしに本館 特別5室 での開催です。入場料もいつもより安価の900円でして、会場、展示も小規模です。岐阜県高山市の千光寺とその周辺の所在の100体を展示しています。
 
それで鑑賞に 2月3日の 仏像愛好の集いin東博は 特別展円空を鑑賞します。
 
一方の通常恒例の11号室の通常展示内容は、前回と同様ですので、それに替えて午前中のスケジュールを特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」の 鑑賞に当てたく存じます。
 
 
 
以下に円空円空仏について勉強しました事柄を掲載します。

円空(えんくう、寛永9年(1632年)美濃の現岐阜県羽島し付近の生まれで、若くして出家、やがて寺を出て各地を漂泊 、法隆寺園城寺、日光山などで修行、その間に全国に遊行し、「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残した。
円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県奈良県までおよぶ、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。その内分けは、愛知県内で3000体以上、岐阜県内で1000体以上を数える。また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には、後期像が多い。 現在までに発見されているものは、約5350体、多くは寺社・個人所蔵がほとんどである。円空は生涯に12万体の仏像を彫ったと推定されている。 多作だが、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっているは、即製の為に、使用の材に即しての彫刻の為用材は木っ端から薪などもある多岐に渡るが、其の材質は主に針葉樹が好まれたようであります。
断ち割りて、形を作り始める、作仏速度に関係していると思えます。 (木喰五行は蚤で削って丸みを出すので広葉樹を他用したと思います。)30年間で、12万体は信じられぬとの声を聞きますが、私は以下の事柄で信じたいと思います。作仏の速さを示す、像高180.5cmの桜一木造りの丁寧に彫られた近江大平観音同の十一面観音の背面には、詩と和歌と共に「四日(に)木切、5日(に)加持、六日(に)作、七日開眼、円空沙 元禄二己巳年三月初七日」と円空自らが造象過程を記した他墨書が残っており、これほどの像を一日で仏像を彫った事で其の速さが伺われる。
また別には59歳で「十万作仏己」と記し、その後元禄8年関市池尻の弥勒寺で7月15日(1695年8月24日)に63歳で寂している。大量生産を目的に、一材を割り放ち、木っ端材のでも小さな簡単なぶつぞうが大方なれば63歳まで、4年間には残り2万体、一生での総計12万体は(計算すると1日当たり15体は)可能な気がします。尚、最初よりも慣れて、後の方がスピードUPは納得の行く所と思います。最も古い作例は寛文3年(1163)岐阜県上郡美並町の神明神社天照大神坐像等の神像3躯であるそうです。【以上参考は二和公民館で活動の社会教育関係サークル 教養講座・仏像の見方
2013/1/17受講を参考にしました】

円空としては民衆が気軽に拝める、現代で言えば量産型の仏像として製作し、野に置かれる事を望んでいたのだが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、大寺院で秘仏扱いされる事もあった。ところが、棚橋一晃著【異端の仏たち】(S52)、【円空の芸術】(S54)によると、 円空が、世に広く知られるようになったのは、昭和30年代になってからのこと。
 先立つ昭和7年、名古屋新聞「芸術巡礼」に円空について掲載したが、殆んど反響を呼ばなかった。
 円空を有名にするきっかけとなったのは、昭和32年岐阜県立図書館で催された「円空上人彫刻展」。
 昭和34年には、東京国立近代美術館の「近代彫刻の流れ展」に円空の作品が出展され、さらに翌35年、神奈川県立近代美術館で「円空上人彫刻展」が開催される。
 昭和34年雑誌「民芸」は円空を特集。
 彫刻家・高田博厚・本郷新らの評言が、当時の芸術家、知識人の感動を素直に反映しているという状況に至った。
 昭和36~7年には、【円空ブーム】という言葉が使われるようになり、全国各地のデパートなどで続々「円空仏展」が開催され、観客がどっと押し寄せた。
 いわば昭和30年代は、円空仏の発見と再評価の時代であった。
 「なるほど」そういうことなのか。円空が世に知られるようになってから、円空の彫刻が芸術的に高い評価をされるようになってから、まだ40年ちょっと。今や「円空」という名を知らない人はまずいない。大変な浸透力。
 円空仏巡りをする人は、必ず訪れる「千光寺」、 円空仏が、六十数体残されているという。この機会に ドップリと円空に浸かってみるとしよう。【静岡仏像旅行道中記kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/.../toyama4.html -より抜粋】
 
上記の如く、円空仏巡りには高名の「千光寺」の 円空仏六十体が東博にやってきています。この機会に ドップリと円空に浸かってみ見ましょう・・・・そして語り合いましょう。
 
 
 
●午後は平成館休憩コーナーでの勉強会では、円空仏のディスかション、続いて 昨秋の三井美術館の「近江路の神と仏」展の展示物を材料に仏像の見方、楽しみ方をお話しさせて頂けたらと存じます。
 
其の概容は

金銅仏の空洞があるか、無垢像かの見極め

古式の地蔵は錫杖を持たなかった。

銀製の鋳造仏が少ない訳

如意輪観音顕教の二臂半跏思惟像&密教の六臂像だけではなかった

多くの観音は男性!但し准胝観音白衣観音は女性!の理由

マハーカーラ(大黒天)はシヴァ神大自在天)の夜の姿、
シヴァ神の昼の妃はパールヴァティー(烏摩妃)、夜のマハーカーラ妃はカーリー(大黒天女)

曼荼羅の摩訶迦羅天(胎蔵界曼荼羅での大黒天)はシヴァ神を討ち取った姿(剣を持ち、シヴァ神と其の乗り物白牛を吊り下げる。羽織る象の生革はガネーシャ(聖天)か?

摩訶迦羅天(胎蔵界に於ける大黒天)は、ダキー(荼枳尼天=仏教系稲荷)を抑える?

ダキーは鬼女、カーリー(大黒天女)の眷属。 遣い姫は野干(ジャッカル)←中国で狐と誤解  屍林(火葬場・墓地)を俳諧

我が国にては摩多羅神(天台常行三昧堂の後戸の神)

通肩?or偏袒右肩+覆肩衣?

仏像の木どり、足先や腕の接合 元の材の大きさを思う

天台の三尊形式(中尊観音、脇侍不動と毘沙門)

一木の割り矧ぎと割り首  坐像の内刳と立像の内刳

不動の大師様と十九観相   莎髻と頂蓮

瑟々座 瑟々の、瑟の意味  

華鬘の意味 

密教法具の解説、六器(閼伽・塗香・ 華鬘)

曼荼羅 最外院には天部が居る・・・四天王・大黒天、聖天、
十二宮(星占)、星宿(射手座・蠍座などの星座)、羅喉星(ラーフ:日・月蝕)

涅槃図の絵解き、 引率の阿那律 気絶の阿南  阿那、
耆婆大臣(医者) 動物の中に猫が居ない訳 

変相図(当麻曼荼羅)の絵解き

etc

です。宜しくお願いします。