孤思庵の仏像ブログ

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⑦「近江路の神と仏」展に三度目の鑑賞  当初の台座仏

 
前に仏像の台座について、殆んどが補作との事を書いた。 今展で古い台座として目に留まったものは数点あった。
 
そして、それにはそれぞれに訳があった。
 
1-2 観世音菩薩立像 報恩寺 : 一鋳の金銅仏、これは古くも素材、デザイン的に壊れにくい。
 
1-4 厨子阿弥陀如来 浄厳院 : 先ず第1に鋳造であること第2に、鎌倉時代と比較的に新しいこと、第3に小さい仏像であること(モメント的に大きな破壊力が掛からないか?と推測)第4に後期室町ではあるが厨子入りで保護されている。
 
4-4 大黒天半跏像 明寿院 : ヒノキの一材よりの掘り出しで岩座のその形より壊れにくい。
 
4-8 広目天立像 大通寺 : 邪気を踏まえる 異様な薄型で形状的に破損しにくい。
 
4-15 不動明王坐像 園城寺 : 瑟瑟座の構造は分解しやすいのであろうが、最上段は構造的にか当初の物が残った。
 
4-20 吉祥天立像 園城寺 : なんと言ってもデザイン構造的に破損しにくい、また鎌倉時代と比較的後代
 
4-21 厨子薬師如来 石部神社 : 小像で厨子入りのため台座は残りやすかった。
 
4-22 熊野本地仏像 熊野神社 :  いづれも三尺像で、さいがい時にに比較的に持ち出しやすさが幸いしたようだ。連弁形状からその多くは藤原後期の製作時の物と推測する、但し葺き寄せ像と魚鱗葺き像とが混在していて修復手が入った事は認められる。
 
これで垂迹本地仏を含め 全ての仏像の台座を見て製作当初の台座と見られたものを上段に列挙した。かように元の台座は少ないのだ。
 
前の日記を読まれた方には重複になろうが、その理由は
①堂が火災時の、仏像救出時に優先順位がある。先ず本尊、次いで脇侍と成ろうが、半丈六以上の本尊はその重量的に搬出が叶わず、脇侍が救出される事も少なくない、また仏像救出の際は、仏像本体が優先され、光背や台座は後回しになる。
②形によっては薄い連弁の構成になり、その連弁は構造上破損しやすい。
③場合によっては堂が傷み、仏像にも雨が当たり濡れてしまう事もある。そのような場合は建物の柱の基部同様に台座が、本体なら足部分が朽ちやすい。
このような事が、台座が後補に変わってしまう要因なのだと思う。
 
注意深く観れば不自然が判るものが多い、特に蓮華座には時代の様式が在るので、それを踏まえ観るならば時代が違うと言えるものも多い、かえって近年の補作には、研究がいきわたり、時代の様式を踏まえているので、見過ごしやすいが、そんな中でも、その付けられた古色には、個体差の無い均一などの、思い切れない後補の弱みが如何にしても出てしまう。またどんなに巧みに補作されても、木材の夏目、冬目の木目の経時的エイジングは出てこない。それが良く気になるのは本題の台座や脚部に次いで、補作の多い腕部分だが、絶対に在る事など無いのだが、その補作の立場に立てるようなことがもし在れば、私なら木材を煮て真鍮ブラシ等で擦り、夏目をけそぎ、冬目を浮き上がらせたいと思うのだが・・・しかし そうする事は、仏像修理のポリシーに反するのか、又は何か弊害が出るのか、そうした補作は無さそうで、必ず使用木材は元の仏像が何の木製で在っても、ヒノキの用材で、色は古色されていても、良く、光線を斜めに透かして観ると鑿目が判ってしまうものが少なくない。
 
このような刑事物のドラマの鑑識係りのような見方は、如何なものかと自分でも思うが、一度はそうした修理がなされることを認識しても良いのでは・・・・勿論その様な細部の事に捉われるのでは無しに、仏像は拝観し、素直にその素晴らしさに感動し、耽美したり、何故かとその様に指すのか芸術性を審美したりが、あくまでも本道と思う。
 
殆んどの人は修理を感じてはいない、でも一度はそうした見方も体験されては如何だろうか?