⑤「近江路の神と仏」展at三井記念美術館に三度目の鑑賞
http://img6a.smcb.dena.ne.jp/cvt/pst/1/701/vf73h8kqdmrte73h8ka52h842h84210.jpg/500x500-49152.jpg
2-1 金銅経箱
入唐前の円仁が一字三礼を持っての法の如くに写経した如法の法華経を如法経と呼び、小塔に納め如法堂に安置した。円仁が入唐帰国後に横川中堂を創建納められたその経巻に結縁するために、上級貴族の多のくが自分の如法経を同所に捧げた。その代表が藤原道長の娘(一乗帝の中宮、後一乗帝の母)の上東門院彰子のそれである。
おりしもの末法思想で弥勒埋蔵の経塚(「法華経」等を書写した経巻を青銅の筒や箱に納め
埋葬品とともに小さな塚を築いた)が流行。これもその一例で埋経されていて、大正12年横川の如法堂跡地に新塔建設の基礎工事の際に経箱の銅筒(昭和17年に雷火にて焼失)その他と共に出土発見された。それは『叡岳要記』中の「如法堂銅塔記」の内容にまさに符号で在った。
この経箱は銅製を鍛造にて、蓋は勿論良く観ると胴にも緩やかな張りを持たせた成型をしている。線彫で蓋の上面中央に二重の長方形の区画を設け「妙法蓮華経」の文字が表されている。全面は毛彫りで装飾してから全面に鍍金を施し、その後に宝相華文の間地と格狭間には鍍銀を施す。蓋は印籠蓋造りで身と蓋はそれぞれに覆輪を回し合口としている。身の下部には本日記前掲載の②の内1-4厨子入阿弥陀如来で触れた格狭間が、ここでも毛彫りで表されている。
内側にも毛彫りの散り蓮華そうしょくと念入りで、彰子の末法思想からの信仰心と身分立場とで、当代最高の技術をもって製作された最高の金工傑作品で、来歴とあわせ国宝指定されている。