孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

集いin東博 の予習 ③ 【毘沙門天立像】

※10月6日「仏像愛好の集いin東博」に際し プログラムその一番最初の11号室「東京国立博物館140周年特集陳列 館蔵仏像名品選 」の仏像の解説を東京国立博物館-トーハク-の公式サイトより転載します。
但し●付き文章の文責は孤思庵に在ります。
 
                         「東京国立博物館140周年特集陳列 館蔵仏像名品選 」
 
当館で展示している作品は、当館所蔵の館蔵品と外部のご所蔵者からお預かりしている寄託作品の二つに大きく分けられます。

江戸時代以前の日本彫刻の館蔵品は170件ほどです(法隆寺献納宝物を除く)。仏像、神像、肖像などいずれも寺院や神社に置かれ、信仰の対象となっているので館蔵品は多くはありません。そのため社寺からご所蔵の彫像をお預かりし、寄託品を加えることで展示を充実させています。

しかし、今回は開館140周年を記念して、館蔵の優れた作品13件(19躯)だけで展示を構成しました。これらの70%は明治時代に入手したもので、草創期の博物館が収集に努めた結果です。昭和20年以後当館が購入したのは2躯、ほかは画家・俳人として知られる川端龍子(かわばたりゅうし)氏から御寄贈いただいた1躯、文化庁からの管理換えが3躯です。

文化庁文化財保護のため、当館より多くの予算を持って重要な作品の収集をしています。国立博物館独立行政法人になる前、文化庁の下部組織であった頃は、東京・京都・奈良の国立博物館文化庁が購入した作品が割り当てられました(管理換え)。博物館が国から切り離された現在、管理換えは行われていません。また、彫刻の名品は高額なため、購入し館蔵品を増やすことは難しくなっています。

今ある作品を研究し新たな情報を発信すること、特に照明など展示方法を工夫して今までよく見えなかった表情を出すことなどに努め、日本彫刻の魅力をお伝えしたいと考えています。
 
 
 
 
 
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重要文化財
指定名称:木造毘沙門天立像
1躯
木造、漆箔・彩色・切金、玉眼
像高102.5
平安時代・応保2年(1162)
旧中川寺十輪院持仏堂所在、川端龍子氏寄贈
 
四天王のうち北方を守護する多聞天(たもんてん)は、単独では毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ばれて信仰を集めた。片手に宝塔を捧げ持つ姿につくられる。
この像は、表面に美しい装飾が施されており、緑・青・橙・赤などの彩色の上に金箔を細く切ってさまざまな文様を表している(截金技法<きりかねぎほう>)。このような華麗な装飾は、平安時代後期の仏像や仏画の特徴。堂々とした造形からも、一流の仏師によってつくられたと考えられる。また、この像には目に水晶を嵌(は)める玉眼(ぎょくがん)という技法が用いられている。玉眼は鎌倉時代に一般的になるが、その早い例としても注目される。この像の価値をさらに高めているのが、像内に納められていた110枚に及ぶ毘沙門天を表した印仏(いんぶつ)(仏像の形を版に彫って紙に押したもの)と彩色の画像。印仏の裏面には、「応保二年三月七日」と記すものがあり、像自体もほぼ同じ頃につくられたと考えられる。もとは中川寺(なかがわでら)(廃絶・奈良市中ノ川町にあった)に安置されていたことが知られている。
●良く玉眼は鎌倉期と判断されるが、時々平安仏にも見られる事がある。その多くは後の時代に玉眼を入れる改造の場合が多い、もだ一般的に成ってはいなくとも玉眼技法は平安末にあらわれる。そんな初期の玉眼像の遺作の一つである。http://image.tnm.jp/image/1024/C0085567.jpg
製作時代を藤末に極める物証は像内納入品の110枚に及ぶ毘沙門天を表した印仏である。と彩色の画像であって、印仏の裏面には、「応保二年三月七日」と記すものがあり、像自体もほぼ同じ頃につくられたと考えられたのである。この様に製作時代がはっきり判る像は、様式美術史研究上貴重で、時代の基準作としての付加価値が増すのである。
 
納入品の印仏の写真を見つけたので掲載する。
スタンプ
http://www.tnm.jp/jp/exhibition/thmatic/images/20071127han01.jpg 重要文化財 毘沙門天像印仏(毘沙門天立像像内納入品)
平安時代・応保2年 (1162)  川端龍子氏寄贈

 仏像のスタンプがたくさん押されています。数が多いほどいいことがあるという考えから、一人で何枚も、または大勢で一度につくれるようにスタンプが使われました。
http://image.tnm.jp/image/1024/C0078373.jpg