孤思庵の仏像ブログ

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新説!?弘明寺・達身寺 十一面の頂上面は女神?

 
 
  
 
先ずは今回 弘明寺の十一面頂上仏に注視の切っ掛けは過去日記8月の5日・7日の二つの日記「弘明寺鉈彫り観音の頂上面は?不思議?」「【続】 弘明寺鉈彫り観音の頂上面は?不思議?}に書かれています。
弘明寺横浜市)の本尊、十一面観音像(欅の一木造りで、鉈彫りの典型的な作例として有名なもので、平安時代の作と伝えられ重文に指定されている。) と達身寺(兵庫県氷上郡)の十一面観音像(木造仏像9躯(一括指定)重文指定 の一)の頂上面に注目した。
共に通常の如来面で無しに女神像の如くに見える。

そこで、ある仏像の先生に、上に掲載の二箇ヶ寺の十一面の頂上面は女神表現ではと質問したところ、そんな事例は無いと一蹴された。しかし諦めきれずに、探ってみた。

先ず鉈彫り仏は山岳信仰と関係があり、その行者達が自ら仏像を彫り、神木、霊木、などの樹木の霊性を感じ、木から仏を現す。の意識の表現として、仕上げ彫りをせずに、荒彫りのままで終える。と知り、弘明寺像では山岳信仰との関わりを感じた。

この弘明寺観音には、僧行基が勅命を奉じて、天下泰平祈願のため全国を巡錫(じゅんしゃく)し、当山の浄域に草庵を作り、一刀三礼(一刀刻む毎に三度礼拝する)の至誠を尽くして彫刻祈願されたのが、現在の御本尊十一面観世音菩薩様との伝承がある。

行基は大仏造営費の勧進に起用され日本初の大僧正に任ぜられるが、その原点は山林修行に始まり、その後、庶民に身を置き,彼のもとに集まった多くの人 達(私度僧)と共にあった事にある。

山岳信仰と私度僧との関係から弘明寺の創建伝承に山岳信仰との関わりを否定できない。また2002年6月1日に弘明寺において70年ぶりに催された火渡り(柴灯護摩供)の記事を見ても 、護摩とは真言宗系当山派の名称であって「柴」の字が当てられているのは、山中修行で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたことによると、この事からしても、現在の弘明寺真言修験道との関係は間違いのないところと思う、余談だがもう一方のの天台宗系本山派が行う野外の護摩供養は、「護摩」というが、これは先の真言宗系当山派の柴燈護摩から「採取」した火により行われたので、その「採」の字が当てられるようになったと在った。此処に山伏修験道にて真言系と天台系の垣根を越えた交流が垣間見える。そんなことで弘明寺山岳信仰の傾向は否定すべきでなく、真言系・天台系の垣根を越えた交流修験道から、弘明寺と天台は叡山の(後述の)山王の信仰と関わりがあっても格段不思議と言えない。
 
また、十一面観音の伝承の方では、奈良時代修験道の僧である泰澄は、幼少より十一面観音を念じて修行に励み、霊場として名高い白山を開山、十一面観音を本地とする妙理権現を感得したとあり、その妙理信仰は白山の山岳信仰修験道が融合した神仏習合である。また平安時代以降、十一面観音を本地仏とするこの妙理権現を、真言・天台の両教を修めた宗叡は、比叡山遷座し、客人権現として山王七社の1つになっていているとあった。そして 全国約三千社にのぼる白山神社の総本宮である白山比咩神社の祭神「白山比咩大神( =菊理媛尊)とありそれは女神なのだ。

妙理権現は白山権現とも呼ばれた。神仏分離が行われる以前は、全国の白山神社の幾つかでは十一面観音も祀られていたとある。

弘明寺が現在、高野山真言宗の寺院である事は、叡山延暦寺日吉神社の有力社殿の一つが白山姫神社(客人)白山姫神 とは合致しないが東密台密の相互の影響を思えば、山岳神仏混淆の中で捉ても大過ないのではと思う。
 
もっと端的に言おう白山権現は白山の山岳信仰修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩本地仏とするのである。

而して、弘明寺観音の頂上面を女神、白山神と疑うは突拍子無しと一蹴出来ないのではと思う。


達身寺の十一面像に関しては、考察が進んでいないが、この寺の前身は、よく解っていないが、寺伝によるは織田信長の命を受けて明智光秀丹波平定の居り、当時僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院であったと言い伝えられている達身寺。その僧兵が保月城に加勢をしたと言うことで保月城を落とすまでに寺が焼かれたと言われている。寺を焼かれる前に、仏像を守ろうと僧侶達が谷へ運び下ろした。仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられている。元禄八年(1695)、この村に疫病がはやり、多くの人々が亡くなった為に、占い師に占ってもらった結果、『三宝を犯した仏罰である。』と言われ、村人達は山に登り放置された仏像を集めて、破損していた達身堂をこの地に下ろし、修復し、仏像を安置し奉った。とあり、この十一面像もその一つと思われ、山岳仏教の仏像であったと言える。

余談だが達身寺の仏像の特徴は木彫仏であって、大半が一木造りである。寄木造りも多く作られたはずだが、長い間放置された為、寄木では仏像の姿で今の世に残ることが出来ず、破片化してしまった。又、一寺に一躯奉ればよいと言われている兜跋毘沙門天が十六躯もあると言うこと、本尊仏になる仏像が多いこと、未完成の仏像があること、仏像のお腹がふくらんでいること(これは達身寺様式と呼ばれている)等が挙げられる。
これまで不勉強であって知らなかったが、達身寺は大いに興味である。

本題に戻るが、確かに十一面観音の頂上如来面が、如来面であって、阿弥陀では無い説や、阿弥陀とする説の両説が共にある中、頂上面に女神を乗せる11面像も突拍子も無い事なのでは在るまいか。

素人が仏像を細かに良く観て、仮説を立てるは如何でしょう、まだまだ新発見が在るかもです。

なおそれに関するご意見や、両十一面観音の頂上面の写真もお寄せいただければ幸いであります。
国立東京博物館特別展「仏像 一木にこめられた祈り 」2006年10月 ~の図録に、頂上面の様子が良く判る写真が在るのですが、当方に取り込みの設備・技術が在りませので、取り込めませんでした。