孤思庵の仏像ブログ

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化仏=アバター(avatar)

2012年06月30日07:46
少し前に書かせて貰った日記 「渡岸寺 十一面観音菩薩 の「拱手」の『化仏』  【上】」に エピソドを書き漏らしていたので、書かせてもらいます。

その前に『化仏』の概説、日記では菩薩の」頭上に配置されている小さな仏の形像の事で書きましたが、本義の化仏の意味は変化仏、または応化仏の略でして、仏や菩薩が、衆生を救うため、その機根に応じて現れる、仏、菩薩、明王、神となった姿で、つまり「仮の仏形」「化身」と成ります。

三身論の報身や応身をも化仏と捉えます。歴史的に人間社会に出世した釈迦仏は応身の仏と定義され、浄土教の報身仏、阿弥陀仏は、西方極楽浄土法身から変えて信者の臨終に際し、衆生を迎えにこられる。
これも上の定義から化仏の範疇に捉えてさしつかえないとも思えますが、その場合の阿弥陀仏は化仏と云うには少し、??で本地の阿弥陀仏であって欲しいと思います。

本題に戻ります、以前に兄貴的(師的といった方が妥当か?)の仏友の一人に観音の変化の事を教わっていた時に、映画のアバターavatar)とは「変化」の意味と聞いて驚きました。(まだ映画はTVでも、TSUTAYAレンタルも見ていません)

昨今、アバターavatar)とは、コンピューターネットワーク上でビジュアルチャットやワイドウェブ上の、インターネットコミュニティで用いられる、「自分の分身となるキャラクター」自分を含め、あえて馴染みない諸兄に説明するなら、此処でのプロフィール写真的扱いにての漫画チックな自画と云えるのでしょう。

で、かなり汎用原語になっているようです。しかるアバターavatar)の語源はサンスクリット語のアヴァターラ(avataara )でして、インド神話や仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」の意味。だそうです。

アバターavatar)は上記のサンスクリット語のアヴァターラ(avataara )もしくはヒンディー語形アヴタールをavatarと英語表記したものの西洋風の読み方だそうで、その概念が似ていることからネットワーク用語として転用されたのだそうです。

してみますに、観音様の頭上・冠台に在ります阿弥陀仏の化仏はアバターは実に良く理解できる気がしました。

毎度の請売りでした。