孤思庵の仏像ブログ

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続・軍荼利明王の勉強

2011年08月24日20:39
おもしろいことに気が付きました。軍荼利明王の伐折羅印と第74代内閣総理大臣竹下登の孫のミュージシャン、タレントDAIGOの「~ウィッシュ」がソックリなのです。軍荼利明王の印相は両手とも人指し指、中の指、薬指の3本を伸ばし、親指と小指を曲げ合わせるところの印をして両手のそれを交差させたの状態の印相をしています。但しDAIGOの「~ウィッシュ」は、指の曲げ伸ばしが逆で、人指し指、中の指、薬指の3本を屈して親指と小指を伸ばすと逆に成っているのです。前から何かに似ていると思っていたのですが気が付きました。

AIGOの名も醍醐寺に似ていますね。醍醐天皇の方は御陵が醍醐寺の近辺にあり、生前に醍醐寺に信仰をよせられていた事で「醍醐天皇」と追号された由、昔にもゴダイゴというアーチストグループも居ましたね「ガンダーラ」がヒット曲でした、その時もゴダイゴガンダーラで仏像ファンの私は奇異に感じてました。

ちなみにDAIGOの「~ウィッシュ」は仏像印相とは相違で、特段意味は持たないようです。


本題に入ります。ここ二回程の日記に軍荼利明王の事を書きました。その後また判った事が有りましたので、また書きます。下書を書いたら難しく煩雑に成ってしまいましたので、前の日記に書けなくて、真髄と思われました要点だけを先に書いてみます。

軍荼利明王タントリズム、クンダリーニ・ヨーガに密接に関わりがあるとされます。
クンダリーニ・ヨーガでは、体に4~7カ所のチャクラ(中心叢)=中枢があるとされ、その最下部の尾骶骨にあるチャクラより蛇の形のクンダリーニ(エネルギー・力)が徐々に交差綯いながら脊髄を上り、頭上の中心叢であるサハスラーラ・チャクラ(千弁の蓮華)に達すると頭上の蓮華は開き、至福の境地を得るというものです。これが解脱の境地、いや解脱そのもののようです。

 そのため、軍茶利明王はクンダリーニ(蛇的のエネルギー)を象徴化するものであると言えます。

つまり密教の生きながらに現世にて解脱する。もっと言ってしまえば、性欲を昇華させたものがクンダリニーとなるため、梵行(性的な事柄を避ける)修行が重要となる。

「至福の境地を得る。」後述の「聖歓喜天に特別な支配力を持つ」事などに、密教立川流を生む素地を感じます。蛇もリンガ(Lingam)に通じるように思えてなりません。

人間(いや、一切の生きとし生けるもののすべてを含めて)の「緒欲望の内で一番強いもの、エネルギーがあるものは異性への愛情であり、更に此処での場合、言及するなれば生理的欲求なのではないか!?」を世代継承の必要性、必然性の観点からも否定し得ません。

その強い熱意・エネルギーを昇華させて悟りに至る。これが軍茶利明王理趣経的な真義かと・・・、真言密教では、「自性清浄」という思想があり、そもそも人間は生まれつき汚れた存在ではないというものである。『理趣経』は、この自性清浄に基づき人間の営みが本来は清浄なものであると規定している・・・と学びました。

不動明王の頂蓮を、シュードラ(隷属民)の風俗で、不動のその意味は、自身は炎の中に身を置いて衆生を蓮の台に乗っかってもらいたい、という思いの不動心(決意・覚悟))が、こめられているのです。とだけ思っていたのですが、前述の頭上の中心叢であるサハスラーラ・チャクラ(千弁の蓮華)に関係するのかとも思いました。
二匹の蛇が胸前で頭を交差させ上を向くのはクンダリーニ(蛇的のエネルギー)の上昇の象徴、

中の指伸ばし、親指と小指を合わせるところの軍茶利明王の主な印契の三鈷印(羯磨印)は蛇を握る形だった事が解りました。
またチャクラ(中心叢)が漢訳は「輪」(りん)、と成ることから、持物の一つに金輪(法輪)があるのも理解できました。

軍茶利明王の真義は、クンダリーニが上昇してサハスラーラ・チャクラ(頭上の蓮華)に達すると至福の境地を得るこれが解脱との事を簡略に述べましたが、重複になりますが、もう少し詳しく述べてみます。興味の方は読み進んでください。



軍荼利の語源はクンダラで、「螺旋」「コイル」「巻き毛」「環」などを意味するサンスクリットの kundala(クンダラ)から派生した、「螺旋を有するもの」を意味する kundalin(クンダリヌ)の女性形主格が、Kundalini(クンダリニー)の語源である。とありました。

「螺旋を有するもの」を意味で、塒(トグロ)を巻く蛇に繋がったようです。
軍荼利の意味する主儀には蛇よりもクンダリニー(クンダリーニ、Kundalini, कुण्डलिनी, )が主儀のようです。クンダリニーは、悟りを得るために必要なシャクティ(性力)のこと。クンダリニーの活性化を念頭においたヨーガを「クンダリニー・ヨーガ」と言う。そしてクンダリニーを象徴化したものとしては、密教軍荼利明王がある。といいます。

そしてそのクンダリニーは、普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラ(チャクラ(cakra, chakra, cakkra, चक्र)は、サンスクリットで「車輪・円」を意味する語。漢訳は「輪」(りん)、インド起源の神秘的身体論における、物質的な身体(粗大身)と精微な身体(微細身)にある複数の中枢を指す)に眠っているが、ヨーガ(ヨーガ派が心身の調整・統一を図る修行法。特殊な座法・呼吸法などを行い、これによって解脱に至ると説く。仏教を通してチベットへ伝わり、中国・日本にも伝わった。現在は健康法としても行われる。ヨガ。)の実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、生涯をかけ各チャクラを開花させグランティ(=結節。ブラフマー結節、ヴィシュヌ結節、ルドラ結節の3種類がある)を破壊し、最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。今世で解脱できる魂は極一部といわれている。性欲を昇華させたものがクンダリニーとなるため、梵行(淫欲を断つ修行)が重要となる。少し難しくなったがこの辺が軍荼利明王本義の真髄のようです。

もっと簡略に言えば、心身の調整・統一を図る修行のヨーガ哲学の一つがグンダリニーの考えで、象徴化されたものが軍荼利明王といえます。


クンダリニーを説明的に象徴化した絵では、クンダリニーは体内に互いに交差し縒られたような形をして描かれてい居ます。それはまるで軍荼利明王の胸に居る二蛇、また右手に握る二蛇の様です。かように調べてゆくと軍荼利明王の真義、や蛇の象徴するものがおぼろげに理解できてくる様です。


先の日記に軍荼利明王の日記に誤謬があってはと思い蔵書の中に軍荼利を更に探して、勉強してみました。脈絡混乱ですが続けます。




梵名を「クンダリー」と言い、「とぐろを巻くもの」を意味していますが、また梵名を「グンダリ」、こちらは「甘露の容れ物」を意味しています。そのため、甘露軍茶利とも呼ばれます。
 宝生如来が憤怒身となったものであると言われています。
 身体の各部に蛇をかたどった装身具を身につけており、その「とぐろ巻くもの」、蛇と密接に関わりのある尊格であります。(この他、必ず蛇を装飾に使われるのはシヴァ神です)



書物を読みますと色々書かれて居りまして、サンスクリットのクンダリーを音写云々・・・の大筋は同様ながら、少しの詳細に亘りますと、本によって取り上げ方も変わっていました。

先ずは尊名です。代表的には軍荼利明王で、どのほんでも先ずはそう呼びます。異名は甘露軍荼利、軍荼利夜叉、大咲(だいしょう)明王吉里吉里(きりきり)明王、(大咲=降伏、吉里吉里=清らかさと無病息災をあらわす だそうです。)
その明王を示す独特の印相は中の指伸ばし、親指と小指を合わせるところの軍茶利明王の主な印契の三鈷印の両手をそれぞれ交差させたのを伐折羅印というとある本にはありました、伐折羅はヴァジラ(稲妻)の事で金剛杵とも言われます。また異名で羯磨印、大瞋印とも言います。三鈷印というのが片手の中の指伸ばし、親指と小指を合わせるところの印を言うのか、両手のそれを交差させたの状態言うのかがまだ判然としません。ご存知の方はお教え願います。

また容姿も一面三目八臂〈不空訳『摂無礙経』〉が最も多いですが、他に四面四臂像〈甘露軍荼利菩薩供養念誦成就儀軌〉もあり、瓜生中氏の『仏像がよくわかる本』には曼荼羅では、一面二臂で蓮華座に座して描かれます。とありました。ウイキぺディアでは金剛界曼荼羅においては、甘露軍荼利菩薩、金剛軍荼利菩薩、蓮華軍荼利菩薩がいる。とありました。また胎蔵界曼荼羅においては、軍荼利明王として 描かれているそうです。瓜生中氏の一面二臂で蓮華座に座しての軍荼利がどちらの事を言っているのか後刻調べ確かめます。


軍荼利明王は、中国に於いては7世紀中頃の唐の阿地瞿多訳の陀羅尼集経の中に説かれていて、五大明王の中では比較的に早くに成立している。との事です。

また、軍荼利明王は種々の障を除くとされる、特に目に見えない少妖精であると言われる毘奈耶迦(ビナーヤカ「獣魔」)をこらしめるとされています。また、大聖歓喜天を支配する、すなわち疫病をもたらす毘那夜迦天(インドのガネーシャ)を調伏すると密教では解釈するそうです。

巻き付く蛇は四煩悩(我痴・我 愛・我慢・我見」という 自己執着の心)を象徴しているとありました。しかし蛇は前述の如くの別の面でも意味を持つようです。

斯様に一尊を 考察してくると、様々の緒尊の誕生には、それぞれ深い意味が存在するように思えてきました。ますます興味が湧いてきます。しかしここに及んでもっと早くに、もっと有能なればと惜しまれます。


次にお馴染みのあまりないであろう経軌なるものをご紹介しして終わろうと存じます。佐和隆研の仏像図典を下敷きに少し判り易く意訳で経軌を紹介開催ます。

経軌:1 密教で、仏・菩薩(ぼさつ)・諸天などを念誦(ねんじゅ)・供養する方法や規則。また、それらを記した典籍。2 規則。法則。儀範。


経軌にては軍荼利明王は下段の如くかかれてます。

①一面八臂
〈阿地瞿多訳の陀羅尼集経第七〉
 
全身は青色、両眼は赤い、髪を括って髻とするその頭髪は黒赤色で火焔の様、目を開いて激しく怒り、上歯が全体にあらわれて下唇を噛む、大瞋面。

二赤蛇が頭を上向きに交差させ胸前にある、その両蛇の胴は明王の耳を通って尾は肩上に垂れる。

その二蛇の色は喉が黄色で全身は赤と黒が混じっている。

その明王の八臂は右最上手は伐折羅〈金剛杵)を執り、肘を曲げ上に向ける。

その下の第二手は肘を曲げ、長い戟杖を立てる、その戟の上下には鋭い刃の三叉が付く。

第三手は左三種の腕を抑えるように交わり組んで胸前に置き右手には二赤蛇を掴みその蛇は互いの頭を交差させ明王の顔に向く、
左手にも一蛇を持ち、その交差の両手はそれぞれに伐折羅印を結んでいる。

最下の第四手は、下に向かって掌を示している(と書物の記載は在りますが、手を垂下し掌を見せる。の意では無いかと推測します)。即ち施畏手である(と本にはあるのですが印相の形は与願印になります。しかし右手の場合はつま先が下を向いても施無畏印なのかと思います)。

左上手には金輪を持ち臂を屈して上に向ける。その輪は八角で完全なる形を成す。

その下第一手は頭指を立て、その臂を左方に伸ばして肘を曲げている。
その下左第四手は膝を覆って右の方に向いている。

八手の腕には皆腕輪を着けて,紫地に散華模様の錦の天衣をまとっており、その端が左右の下に垂れている。虎皮を衣とし、赤色の帯をする。

両脚には赤蛇が蒔きついており、七宝双蓮華(小振りの並ぶ蓮華座)に片方ずつの脚を乗せ立っている。