孤思庵の仏像ブログ

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【つぶやき】
 孤思庵
 10日の深夜 0時過ぎに NHKテレビ で「京都の大宇宙東寺特別編」の再放送をしてました。気が付くのが遅く 最後部の 各派総大本山の御山主(管長)と定額僧達の 陀羅尼を唱える ところしか 見れませんでした。見逃し、非常に残念です。再放送でしたので、本放送も在ったはず、  何方か、録画してあり コピーを撮れる方は いらっしゃいませんか? 


【コメント】
sai saiさん 
saisaiですが、深夜録画をしておりました。明日は孫娘と森ビルにムーミン展に行きますので、来週送ります。火曜日のBS日テレの夜はぶらぶら美術館は「東寺展」ですよ。スナフキンより
 

【コメント】
 Takさん 
只今貴兄宛てにいつもの投稿原稿を作成中ですが、最後に今日行なった番組録画のリストを記しています。貴兄の要望する番組か否か不明ですが、私は5月5日に「日曜美術館・京の大宇宙・東寺」とのタイトルで録画しています。「後七日御修法」の内陣特別取材・放送です。貴兄宛てにメール発信します。 


【コメント】
 ごめんなさい。特別編は4K・8Kでの編輯物を深夜に放送したということで、「日曜美術館」の私が録画したものとは、内容が異なるものだと思います。saisaiさんが録画されているようですので、そちらが間違いないでしょう。

 
【コメント】
SaiSaiさん並びに Takさん 早々に応答ありがとうございます。 私も 録画しっぱなしで見ていなかった 日曜美術館 を見ました。高梨産の言われますとおりに、少し内容が異なるもの のようです。SaiSaiさん。 CメールでもC 連絡ありがとう その辺時にコピー保留としてとして返信してますが、Takさんの いわれる通り、日曜美術館ではないようですので、深夜に放送した特別編 でしたら コピー 送付改めて お願いします。SaiSaiさんムーミン展は楽しめましたか? 私は本日は、東博の土曜講演会「東寺と仏像曼荼羅」に行ってきます。

 
【報告】
 孤思庵
東博土曜講演会「東寺と仏像曼荼羅」には、「仏愛集の仲間」男性3名と女性2名が集いました。開催中の東寺展内容に沿った 初心者向けの解り易い内容でした。 アフターに名残惜しく、お茶をとなりましたが、講堂前の喫茶コーナーは満員・・・、近隣の国際子ども図書館のカフェテリアで茶話会しました。 


【つぶやき】

先の5月4日の勉強会で話しました。「密教像の結跏趺坐は右脚が上」の話がの、公演の中に出てました。勉強会時には忘却でしたが、東寺展の その作品は 86 ◎ 聖僧坐像 平安時代・9世紀 でした。 結跏趺坐の吉祥座・降魔座は承知でしたが、密教の結跏趺坐の特性は知りませんでした。 その公演でも「密教像の結跏趺坐は右脚が上」との説明だけで、何故に結跏の右脚が上かは説明なしでした。 その後 調べてみても 解らずじまいです。 引き続き 調べてみます。


【コメント】
 Takさん 
あるお坊様から聞いた話しなので確信が持てませんが、釈迦が悟りを開いた時の坐り方が左脚から組み右脚が上になる吉祥坐。インドではこの坐を別に金剛坐というそう。また、右脚から組み左脚が上になる降魔坐は、中国や日本の主流になっているそうで、禅僧も同じで、修行中の坐と言うそうです。それに対し、密教では右側を仏界、左側を衆生界と呼んでおり、右側が上になるのは、仏様が慈悲の光の中に衆生を収めて仏の世界に救い上げることを意味し、坐する中で最も悪魔を退治・逃散させる霊力を持つと言われる坐だそうです。専門家に確かめたわけではないので、私の誤解 不足かも。 


【コメント】
 Takさん
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2019/05/08/歩き方/ 西木研究員の1089ブログで、展示されている講堂諸像の簡単な説明。大威徳明王像の水牛のお尻の丸い様子も普段拝せない場所なので、取り上げています。私が展覧会初日に本像を拝した時は、水牛とは馬と違ってお尻は丸くなく、骨が出た骨ばった四角い形の肉薄のお尻のイメージが強かったので、本像に限らずインド西域の水牛の像の表現が奇異に感じた。日本でも和牛はお尻は角ばっていると思うのですが?あくまでも仏の世界、写実性は現代の考えか? 只今「日本の美術・6・別尊曼荼羅」(林温著・至文堂)をめくっていて、気になって虫眼鏡を取り出して各ページの画像を注意して観ていて、その全ての坐像が右脚上の結跏趺坐の像に描かれています。教義的、修法的に何か説明がつくものがあればよいと思い、本書の説明をよく読みましたが、不明でした。 もうひとつの資料の引用。先述の通りインドでは左脚下・右脚上で、中国では右脚下・左脚上。天台大師智顗(ちぎ)著「天台小止観」では右脚上とあるという。天台宗「台門行要抄」、「天台宗方式作法集」、「法義集」という資料もあるようだが、脚の組み方についてどのような説明かは不明です。要調査。 


【コメント】
 孤思庵
前出コメントの『右側を仏界、左側を衆生界と呼んでおり、右側が上になるのは、仏様が慈悲の光の中に衆生を収めて仏の世界に救い上げることを意味し、坐する中で最も悪魔を退治・逃散させる霊力を持つと言われる坐だそうです」 の節は 勉強に成りました。 ありがとうございました。
ただ、吉祥坐が 密教の座法とする根拠とするにはは、?が残ります。 右側を仏界、左側を衆生界との、説は 密教特有の考えなのでしょうか? それが 密教以前の仏教の考えだとすると、密教が吉祥座の理由付けには、乏しく思います。  もっと簡単に考えれば、 顕教は 中国ナイズされた仏教で、密教は、中国ナイズされる 時間が乏しく、インド色の強い仏教と言えないでしょうか? 中国では 左が上位の燗映え方があり、一方のインドでは右が浄で、左は不浄の考え方、これを坐法に置き換えると、インドでは、吉相坐オンリーで、 中国では降魔坐を許容したと思われます。先述の顕教が中国的、密教が インド色が強いとするならば、 上記の理由で 顕教には 降魔坐も許される経緯はあるものの、一方の密教の坐法は 吉祥坐オンリーとの説が通るのではないでしょうか?




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