孤思庵の仏像ブログ

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前のブログ 番組御紹介 偉人たちの健康診断「運慶 天才仏師の筋肉愛」に 【14日追記】

【追記】 以前紹介の番組 御紹介 偉人たちの健康診断 「運慶 天才仏師の筋肉愛」 ... の番組中に、円城寺大日像の蓮肉裏板にある墨書が解説されてました。その文中の 八丈絹(はちじょうぎぬ)の件、番組では 「八丈島産の絹」と云う風の解説が なされて居ましたが・・・、


【八丈絹】を辞書で引くと   ① 八丈島で織られる、多く平織りの絹織物。 島内産の植物染料で、黄・鳶 (とび) ・黒などに絹糸を染めたもの。また、各地に産する類似の織物。黄八丈・鳶八丈・黒八丈など。     ② 1疋の長さが8丈(約24メートル)の絹 ... とありました。 私はこれまで、この文中の【八丈絹】を 私は、② の意味と思ってました。そこで、2019/2/14(木) 午後 2:12に、知恵袋に質問してみました。下段の 質問をしてみました。

 後世の八丈絹物が著明は存じますが、墨書文中に在る 当時の代金代わりとしての 「八丈絹」の解釈は・・・、 色物の八丈絹 との解釈よりは 染色前の白生地絹で、一疋(2反分=8丈)分の絹と解したいのですが、 当時の租税制度の租庸 や 八丈島絹に 詳しい方、 解釈のご教授をお願いします。

知恵袋にそう質問しましたなら、lon********さん より下段の回答を貰いました。

ここで言う「八丈絹」というのは八丈長さの絹織物を指します。
本居宣長の研究でも「八丈絹」が全国各地から
貢納されている記録があることから
「八丈絹」は八丈島産の絹織物を指すのではなく
八丈長さの絹織物であるとされているようです。
その際、「八丈島」という地名のほうが
八丈絹を産出するようになったことから
名付けられたと推論しています。
実際八丈島の絹織物が貢納品などとして有名になったのは
室町時代以降のことのようですね。

 
回答に対する 孤思庵のコメント
上のlon********さんの回答中の、その際「八丈島」という地名のほうが、八丈絹を産出するようになったことから名付けられたとご推論 は、目から鱗でした。 その後 「八丈島の名前の由来」のキーワードで、調べましたら 御推論通りの説が出てました。八丈絹を産する島の意味で、島名が『八丈島』となることに!とありました。
 これまで、八丈島で作っているから、黄八丈という名前の反物になったと思ってましたが、全く、逆でしたね・・・削除
2019/2/14(木) 午後 8:17[ 孤思庵 ]