孤思庵の仏像ブログ

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③MiUraさんの投稿11/18 拝観旅行③

MiUraさんの投稿11/18      拝観旅行 ③

10月16日

奈良 當麻寺の導き観音菩薩の御開帳 岡寺明日香

奈良は京都に次ぎよく訪れたところです。だいぶ前から定番の東大寺興福寺春日大社そして法隆寺中宮寺法起寺法輪寺西大寺薬師寺唐招提寺などを訪問ました。昨年の春にはほぼ随筆家の白洲正子さんの足跡に沿って法華寺、海龍王寺、室生寺長谷寺安倍文殊院などを訪れ、そして快慶展を見るの四日間の拝観旅行をしました。夏にも続いて白洲正子さんの足跡のある熊野地域の補陀落山寺、くろしお号を乗って鉄道で紀伊半島をめぐて道成寺の千手観音を拝観しました。今年の6月6日、唐招提寺の鑑真、常光寺の歓喜天と秋篠寺の大元明王のご開帳に合わせて三つのお寺を巡りました。どちらのお寺も親しく感じて故郷に帰えたような何回来ても飽きて来ない懐かしい気持ちいっぱいでした。大昔、奈良は中国の長安を倣いて京都は洛陽を倣いて作られたと言われました。いまの西安(昔の長安)と洛陽は昔古都でなくて、P2・5が充満している工業大都市になってしまいました

大阪の天王寺大阪阿部野橋から近鉄電車で30分ほど橿原神宮前駅に到着、明日香周遊バスに乗り換えて約30分くらいで岡寺前に着きました。明日香周遊バスに乗るのは二回目で,車窓から明日香村の田園風景をよく眺めるこどができました。収穫前の稲の実りが良くできてそよ風に撫でられ金色の微波のように豊作で楽んでいる農家の笑顔を見えるように感じました。前回は昨年の春で飛鳥寺の大仏を拝観のためでした。その時の明日香村は満開の桜、黄色の菜の花、そして青々と平野のコントラスト、すごく綺麗な原風景の印象でした。

登り坂道を約十数分間歩いたら岡寺に着きました。ご本尊の塑像如意輪観音坐像は奈良時代に作られ高さ4・85Mの日本最大の塑像です。石山寺の本尊の如意輪観音と同様に2本の臂の像で、普通の木造や金銅仏と違って白くて巨大な仏様の迫力を感じました。

この寺の庭園を散策したらあちこちの水溜りに綺麗な花が浮いています。最初は芍薬の花ではないかと思いましたが芍薬は春に咲く花で季節に離れました。よく見るとダリアの花でした。お花が少ない季節にお寺の心遣いをよく感じました。また早いか交通不便のせいか拝観客は疎ら。挨拶相手さえ会えませんでした。

拝観後にまたバスで橿原神宮前駅に戻り、電車で當麻寺へ向かいます。

當麻寺は白鳳、天平様式の大伽藍を有する古刹で本尊として當麻曼荼羅を祀られているのは特徴です。この”當麻曼荼羅”は中将姫が出家時に切り取った髪を一夜で織り上げたものと伝説されていましたが、しかし、元本になる根本曼荼羅は国宝に指定され、先染した絹糸を用いて大陸の唐朝製の織物です損傷甚大でお寺に収蔵されています。

とりあえず本堂に掛られているご本尊の當麻曼荼羅を参拝。鉄網に保護されていてあまりはっきり見えませんでした。金堂には元の本尊の国宝の弥勒仏は白鳳時代に作られた日本最古の塑像で、周囲の四天王像のうちの三体は最古の乾燥漆像だそうです。講堂の主尊の阿弥陀如来坐像は藤原時代の仏で定朝様式を伝える美仏の印象でした。そして東と西の古塔を有するのも特徴だそうです。このお寺の国宝、重文の多さも名古刹の証になります。

この日は導き観音の月一回のご開帳の日です。導き観音はその名の通り、迷った時、優しく足元を照らし、行くべき道を示してくださる観音様として広く信仰されています。 2時でのご開帳はそろそろになりましたので中之坊に入りました。堂内にすてに信者や参拝客約30人程待っています。平安時代前期に檜の一木造り十一面観音で左手に蓮華右手に錫杖と羂索、高さ85センチ台座を含めた総高140センチ。こぶりながら堂々とした雰囲気とともに女人の守り本尊らしく腰をひねった優美な面を併せ持って気品のあるお姿をされています。”重美”に指定されました。
2時になると先ず、中年男僧が般若心経を読み、観衆も一斉合唱します。隣の初老男性は熟練に暗唱しています。彼は九州からわざわざとこの開帳のため来たそうです。いろんなご開帳の法事にばこのような信仰心深い方がよく見かけました。次ぎは観音経。一人の年配の尼僧も加えています。尼僧の無慈悲な表情によって読経の声も無慈悲ように聞こえてしまいました。この尼僧は余計な辛い経歴あって故に空門に入ったでしょう。人生にはいろいろとありますね。拝観後に名庭園の散策もしました。お寺の敷き地が広大で奥院 での拝観は時間がないので次回にしました。

10月17日 

南円堂 不空院 不空羂索観音像ご開帳

JR奈良駅近くのホテルでの宿泊していたので朝食後に歩行で興福寺へ向かいます。経由している奈良公園は何時ものように青々と芝生のうえに鹿さんがいっぱいいて悠々と歩いていています。いかにも平和、安寧のいにしえ奈良の風景。早くも興福寺に着き、五重塔や再建した中金堂などを撮影しながら9時の15分前に南円堂前に到着し、すてに数人の先着者がいて私も行列に加えて前に立ている人にいろいろと聞きながら待っていました。

南円堂のご開帳の拝観は初めてです。立派な八角円堂、以前もこの建物だけ拝見しました。興福寺藤原氏の氏寺ですが南円堂は興福寺の中でも特別な位置を占めているそうです。不空羂索観音は以前からぜひ拝観したい仏像です。まちわびの仏様はすぐに目の前に、想像外の巨大さで堂々たる坐像、金ぴかで輝いています。荘厳なお顔に三つの目、身に鹿皮をまとっていて8本の臂に1本が羂索を持っています。この羂索で衆生を遍く救い、衆生の願いを空しいものにしないとされています。名仏師運慶の父、康慶の傑作の本尊で国宝です。周りには法粗六粗坐像と四天王像が置かれていますがこれらの像は運慶展に展示されましてすてに鑑賞しました。今日の主役は観音像ですのでオペラグラスで一生懸命菩薩像を眺めながら周囲の拝観者とともに同方向へゆっくりと円壇を沿って回っています。2回目で回っている時にカメラのフラシュがあってそして撮影をやめるの声を聞こえ、隣に立っている中年男性が”朝日新聞です”と名乗りました。どんどん混んでいる と感じましたので3回めぐた後に”何時かまた来ます”と呟きながら堂から出ることになりまして次の拝観先に向かいました。

不空院はあまり知られていないお寺ですがご本尊の不空羂索観音像もこの日のご開帳ですので拝観に行くことになりました。

地図上では遠くないようですので歩いて行くことになりました。弦仁年間、空海興福寺南円堂建立に先たち、そのひながたをこの寺に建てたという古き奈良の風情が残っているお寺でした。

堂内に入ると数人の拝観客がいって、笑顔のある中年女性が熱心に解説しています。鎌倉時代で作られた重文、像高さ103,9mの坐像で、不空羂索観音像らしい一面三目八臂のお姿でした。東大寺法華堂、興福寺南円堂のご本尊と共に三不空羂索観音とされるのだそうです。優し、微笑みお顔で、より親しみやすい印象でした。隣のかなり仏像に詳しい拝観者がこの像は一番良いと言ってました。

私はひどい方向音痴ですので同じ方向へ行く親切な拝観客に同行してもらいました。おかげさまでおまけに近くにある福智院、新薬師寺、白毫寺、元興寺にも巡りました。
福智院は天平8年(736年)で建てられた古刹てご本尊の大きな地蔵菩薩が有名ですがこの日は秘仏の宝冠十一面観音立像のご開帳ですので遂に拝観しました。小ぶり、綺麗な観音様でした。薬師寺と白豪寺は何時か拝観したいお寺です。新薬師寺の本堂は堂々とした天平建築で堂内中央の円壇に平安時代初期の大きな木彫の穏やかでふくよかな七仏薬師如来坐像と迫力いっぱいで塑像の12神将の11体とともに国宝で奈良時代の名品です。千年以上に経ても良い状態に保存していることに感心しました。白毫寺の閻魔大王坐像は三井美術館に展示されたことがありましてすてに拝見しました。このお寺の仏像はすべて重文であることにも印象てきでした。元興寺はかつては南郡七大寺の一つ、世界文化遺産と指定され典型てきわびさびの名古刹でした。

さすが古都奈良、一つの狭いエリアで沢山のお寺が集中しているおかげで午後3時過ぎ頃に上述のお寺を全部拝観しました。想定外でした。ただ途中に食事処や売店1軒も見かけませんでした。仕方なく持っているチョークをかじって昼ご飯抜きになりました。でもお腹が空く感じがありませんでした。仏像の拝観はいっぱいで脳内の飢餓中枢を抑制されたかもしれません。疲れも感じませんでした。私は仏教の信者ではありませんがお寺のお堂に入ると脱帽をしそして仏様にお拝みます。日々の幸せを感謝しそして皆様とともに健康と無事でありますように祈っています。

【次の④に 続く】