孤思庵の仏像ブログ

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9/28Takさんの投稿 「鵬翔学叢」を開いてみます。

   9/28Takさんからの投稿    「鵬翔学叢」を開いてみます。

「鵬翔学叢」を開いてみます。
先日山本勉教授のツイッターに掲載された平等院研究誌「鵬翔学叢」14輯(H303月)について、誌面記事内容が分かりました。注目の記事は以下の2件です。
  1. 「木造聖観音立像の修理および造像時の安置形態について」 木下成通(美術院)
  2. 「雲中供養菩薩像(南14号)のXCTスキャン調査報告」 山口隆介、鳥越俊行(奈良博)
 
  1. 聖観音菩薩立像:
昨年秋に発表があった観音堂安置の「聖観音菩薩立像」の修理・調査により、鳳凰堂内・阿弥陀如来坐像の脇侍像として造像されたのではないか?との考察が行われました。当時私も鵬翔館に出掛けて本像を拝観して来ました。展示期間の最終日でしたがあまり注目されていない感じでした。会のブログにも投稿した覚�┐�△蠅泙后�2鵑了飜未任枠�儕 μ擴疾�婿瓩糧�週Ⅶ�魴悩椶靴討い泙后�瓩亘楞釮鮟ど釮鮃圓覆い覆�蕁���蠅發慮捗蠅鮟ど釮鬚靴覆�藝戮�ぞ�靴鬚弔�濕茲蝓�覯未箸靴涜臙世覆修譴任い禿�里平篦蠅帽圓㍍紊④泙靴拭�祥菫枋蠅気譴討い織�璽愁疋奪�垢蔽影箸隆儔司郢Я釮任呂覆�∨英狷押Πぬ鐶貿〕荳疏釮叛省��擇�蕕陵莊涎舛了安差柔�力道�釮任△辰寝椎柔④�發泙蠅泙靴拭L擴嫉瓩僚ね�鷙陲氾�薜唾峽疎屬旅融,鮠匆陲靴討い泙后��首鞜�瘤臀杜㏄咯種咋昭�咋昭�鞜郛鹿齔瘤昭�昭�赱齠粛齒麗鴉瘡昭齔瘤��跂洲肬銓∮蝴綺臼�頸Ь朝日新聞・H17107日付・聖観音菩薩立像記事: 
京都新聞・H17106日付・聖観音菩薩立像記事: 
本論記事:
・『本像を正面から見ると、右足に重心をかけて立脚とし、やや踏み出す左足を遊脚として、ほぼ直立している。しかし側面から見ると、重心の位置があいまいで腰の位置が高く、‥…現在のような直立に近い形ではなく、踏み出す左足先に重心をかけ、体幹部を前方に傾けた姿勢であったと考えられる。』
・『裙の衣裾をみると、背面下端の衣端が途中で途切れており、裙の裾を延長すると台座内部に埋まり込む形状となる。そのため、本来の台座は上面が平面となる蓮華座や岩座ではなく、上面が不定形な台座(例えば雲や波をあらわしたもの)であったと考えられる。』
・『両肩背面に垂髪を削り取った痕跡がみられた。直立する像の場合、垂髪は両肩側方に付くのが通常の形状である。両耳後ろ辺りから左右後方になびく形状の、通常ではあまり見られない垂髪が表現されていたと考えられる。これは正面から風を受けているさまを表していると思われ、条帛正面垂下部が左方になびき、両上膊に懸かる天衣が上膊に巻き付き、裙の背面折り返し部中央が風を受けてめくれあがるように表現されていることと関連していると考えられる。』
・『両足先の残存する当初部分の彫刻は窮屈な表現となっており、伸びやかさに欠け、躰部との違和感がある。…足先に何か別のもの、例えば雲などが彫刻されていたと考えれば、極めて自然な表現である。加えて、裙の裾が長く足の甲半ばに懸かるのも雲中供養菩薩像のうち数体と同様で、通常の聖観音(裾の長さは足首辺りまでのことが多い)とは異なっている。』
造像時の安置形態について、3種類の可能性を想定した。
  1. 兵庫・浄土寺阿弥陀如来及び脇侍立像に類した立ち姿。知恩院阿弥陀二十五菩薩来迎図のような「早来迎」の観音像。
  2. 京都・即成院阿弥陀如来及び二十五菩薩坐像に類する観音像。
  3. 平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像との脇侍像の付随したという仮定からの脇侍像としての観音像。
『想定の経過から言うと、修理時や復元想定図制作の初期は12.を念頭に置いて作業を進めていた。しかし、平安時代後期かと推測される構造や、全体の雰囲気や足元の形状など雲中供養菩薩像との類似に加え、12.と考えた場合に本像を含む群像の安置場所を平等院内の他の御堂に比定できるかどうか等の点を考え合わせると、かなり突飛な想像ではあるが、3.の可能性も捨てきれないと感じている。』
『像高109センチ余りの本像を丈六の阿弥陀如来像(像高277.2センチ)の脇侍とするのは、普通であればバランスが悪く思われる。しかし、この安置形態を通常の三尊像ではなく、阿弥陀如来を中心とする「来迎空間」をあらわすと考えると、どうであろうか。阿弥陀如来の前方左右、通常の三尊の脇侍より少し離れた位置に、高速の雲に乗って中尊の先駆けをする両脇侍。両脇侍のやや後方で、大きな存在感を持ってあらわれる阿弥陀如来。その周囲と後方に従う雲中供養菩薩像。このような視点でとらえるならば、まさに有志八満講所蔵の阿弥陀聖衆来迎図をはじめ多くの来迎図に見られるような、金色の阿弥陀如来を巨大にあらわし、菩薩群像を彩色で小さくあらわす来迎図を、そのまま立体にしたような姿が想像される。』
 
*誌面中の写真は、私が撮影して「サークル…」に掲載したいと考えています。
 
  1. 雲中供養菩薩像:
上記、山口、鳥越両氏の論文は南14号像のスキャン調査報告です。既に雲中供養菩薩像の構造、制作技法などは「日本彫刻史基礎資料集成」、「平等院大観」などに研究者により解説されているが、それらの諸氏の解説に拠りながら本像の構造や技法についてCT調査の結果を報告しています。本文は3ページの短編で、文中のわずかな行数で体幹部を前傾姿勢にする工夫を記しています。しかし、像そのものの解析だけで、像の懸架についてはっきりと意識しての前屈傾斜調整の報告かどうかあまりにもわずかな表現で、両人がそこまでの意味合いで文章化しているか、首をひねってしまいました。
毎日新聞93日付WEB版・雲中供養菩薩像記事: https://mainichi.jp/articles/20180903/k00/00e/040/185000c 
記事文中:
体幹部は右脚と下方の雲をふくめて一材より彫出し、左体側及び右体側から右膝頭・右脛を通る線で前後に割矧いで内刳りをほどこす。…さらに上下の剥ぎ目には、右斜め後方に薄板材(最大幅35㎜、最大厚3.5㎜)を挿んでおり、わずかではあるが上半身を左斜め前方に傾けている。この薄板材は、断層画像からも明治修理時の後補ではないとみられるが、造立当初のものであれば両脇腹辺で切り離したのは像の傾きを微調整するための工夫だった可能性が想定される。雲中供養菩薩像のなかには、本像のほかにも体部で上下に材を割剥ぐ、ないしは別材を剥ぐもののあることが知られており(北6号、北22号、南16号)、これらについても同様の目的があったのかもしれないが、詳細は今後のCT調査が待たれる。』
 
参考資料として、以下の論文を挙げてみました。像の制作上の違い(薄板材の挿入と像背面彫りの切り落とし)はありますが、執筆者は模刻像制作と像の鳳凰堂内壁面への懸架作業を実際におこなったことから、懸架の工夫と高い位置に懸架するための、下から見上げることの配慮ということを推測してはっきりと記述しているものです。
「鵬翔学叢」創刊号 「平等院雲中供養菩薩像模刻制作研究」(南20号、南21号)村上清(当時、東京藝術大学非常勤講師)
記事文中:
『腰部背面付近では、この個所の処理方法が他の多くの仏像彫刻と比べて特殊であることに気が付いた。背面腰部より下部分が、彫り始め(木取りの段階)から省略されていたのか、あるいは丸彫りであったものを後で切り落としたのか等、様々に推測されるが、しかし、その彫り口から判断すると、木取りから荒彫りの段階では、背面腰部より下部分も丸彫りで彫成した後に、最終調整として切り落としたものであると考えられる。これは、像を高い位置に設置し、下から見上げるという条件を強く意識したことと、壁という平面を支持体とする不安定さを解消するための工夫であることがうかがえる。
 
*誌面中の写真は、私が撮影して「サークル…」に掲載したいと考えています。
 
 
  【以下省略】

2018928日 AM3:30   Tak