孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

「カラーフィル」(補填)と 金継 と 仏像修理

今日、7月3日 TVで、大英博物館庭園美術館などで実際の修復に使われる技法「カラーフィル」 の番組を見ました。

陶磁器などの作品の 欠けた部分をカラーマッチングさせたパテを作って埋める修復技術でした。
古来より、なじみのある陶磁器の破損部分を漆によって接着し、 金粉で装飾して仕上げる 金継ぎ(きんつぎ)とは、相違の修復技法でした。 金継ぎは金粉で装飾して 、茶道の名器などにもあり、 ありののままを受け入れる精神の普及により、金継ぎに芸術的な価値が見いだされるようになり、かえってその修繕痕が、骨董として珍重されたりするまでに成ってます。 為にその繋ぎ目は、隠されるのではなしに、はっきりと目立ち、認識できます。
 
新技法の「カラーフィル」(補填)の方は・・・磁器製品の割れた部分を接着再生し、さらに欠けを補填し、元の形に近づけて視覚的に分からないようにするのです。カラーフィルという技法は、陶磁器の持つ「色」そして「透明度」の2つを考慮して、限りなくオリジナルに近い色のパテを作り出します。  また修繕・補修と云う意味と、その破損部分からホコリ、汚れが侵入するのを防ぐという美術品保護の目的もあります。



毎年、仲間達と見学してます 東京藝大大学院  文化財保存学 保存修復彫刻研究室の研究発表展 で見ます、保存修復技術に相通じるようにも思えました。

此処で気に成りますのが、「カラーフィル」の方は、見た眼 修繕が 全く 分からないようにする。視覚的に分からないようにするとの、目的が明確なのですが・・・、 文化財保存学 保存修復の方は、ここ 数年考えてますが、その目的が 多面的であるらしく、私の理解が すっきりしていません!

仏像の修理に於いても、見た目 修繕が 全く 分からないようにすると 目的を定めて良いのでしょうか? 単に見た眼を目的にする との範疇とは 違う面もあります。 単に見た眼を目的にする オリジナルに近くするが 目的 であるならば、 文化財の模索のように、道具や材料なども古来の製法通りに 再現している事は、「カラーフィル」の見た目だけの それが目的な側には 過剰の手間に思えます。 

仏像の修理にも 見た眼の美しさの追求が目的の場合もあります。 礼拝の信仰対照の仏像 は 信者が手を合わせやすいものにしたいとの 目的があるでしょう、 ただし文化財指定仏像となりますと その修理 コンセプトは異なり、 再現不可の過去の遺産、 未来へ伝播のタイムカプセル と考えれば、 修繕が 全く 分からないようにする見た目の復旧よりは、 現状維持こそが、勝る目的となります。
現状の維持と 見た目に全く 分からないようにする  には  相反するもので 、その範疇の中でで折り合いをつけていると思えます。

例として 腕の 欠失した 仏像 の修理・・・、 博物館で間近に観察しますと、 当時の古材は調達は無理。 勢い新しい材とでの修理となります。 そして、新木材の表面は 真新しい素木ですので、 それにエイジング加工の色合わせ、古色付けをしています。

古い本物と、新しい材にエイジング加工の古色付した物は、修理したての時は近似ですが、これから何百年、千年の経過時に、その二つに 相違が出ないでしょうか? おそらく 一緒のエイジング(古び)が進むと云う事は無いでしょう! そう考えますと、エイジング加工に、罪を感じます。  とはいっても 現在の仏像修復 は適当な塩梅で行くより他は無いのだろうと・・・、落ち着かせざるをえません!

此処で、 仏像を 博物館等で 間近に 鑑した時に・・・、  メンバーの 仲間と どの部分が制作当初の部材・彫刻面で、何処が後補の部分(補作)かの   あてっこします。 慣れてくると 分かってくるものです。 作品全体と後補の違う作業での部分には 雰囲気が異なります。  例えば 衣の裳先や、袖先が後補の場合、他の部分と 衣皺の調子とは合いずらいものです。

また 腕などの後補部分には、 良く見ますと 表面に丸刀の鑿跡が見えてきます。 古色付けも、人為のものは、全体に均一に成る傾向にあり、本物のエイジングは部分的に個体差があって、 均一には成 っていないです。  素人の私が感じる程ですので、 プロの修復ならば、もっと上手に、見分けがつかない様に出来ると思うんですが・・・、 これまで何時も そう思っていましたが、ある時、文化財仏像の修復には、どの部分が制作当初のままで、 何処が後補の部分(補作)かを 分かるようにしているのかとも思いました。

 そういえば埋蔵文化財の割れて出土した土器の復元の際に隙間が開いてしまったり、土器片が欠失した部分を石膏で捕填してあるを見ます。 土器は黄褐色で、石膏は白色ですので、その欠紛失部は目立って はっきりしてます。 それと同じように仏像も捕作部分を分かるようにしてあって、 また同時に全体の雰囲気を壊さない程度のエイジングにしているのかなとも思いました。 修復された土器の中でも、あるものは石膏捕填が白色のままでなしに 土器本体の色に近い色が使われているものも見ます。 これは全体の雰囲気の邪魔をしない配慮と思います。 斯様に仏像修理も、注意すれば補作部分に気が付けるも 全体の雰囲気に邪魔をしない配慮がされているのかしらんです。

仏像の修理には いろいろの 目的がありで、 その総合目的を良い塩梅具合に、されているのかと 思い当たる この頃です。 皆さんには如何にお考えでしようか?! 確かに滝山寺運慶仏の様な仕上がりは落ち着きません。 円城寺 運慶作の大日如来像の 如くの古色が落ち着きますね。とは云うものの この大日如来像も かなり修復されているそうです。大日如来の右耳は欠損を後補しています。 しかし良い塩梅の補修でして、実に良いです。 もし 右耳(耳朶部分可かもですが)が欠失のままでは、残念ですものね!今の風が良いです。

最後に 骨董市の古物商から教えられました。 骨董品程度の仏像の御手の欠損は、その寺や旧家から仏像が流出の折、その仏像 の御手をわざと取り去って、不完全にして、その仏像の発遣(魂抜き)の意味合いを 行うと聞きました。 この御手をわざと取り去って、不完全にして、その仏像の発遣(魂抜き)の意味合いとしたは ありそうな事で、 まだ他所で、その事を聞いた事は ありませんので、 確信は無いままです。 でもありそうな話と思えましたので 興味です。 骨董市で購入の、我が仏像コレクションの中にも 手首の欠損の 仏像が何体か あります。 発遣された仏像かもです。  事実 そうした欠失や難のある仏像は、安価のなのです!







文化財仏像に関しての 修理の 見解のウエブを 発見しました。  参考に 転裁します!



美術院の修理 ~文化財修理の基本は現状維持修理
美術院 国宝修理所の修理は「現状維持修理」が基本です。

 現状維持修理とは、たとえば仏像が手足を欠失している場合でも、現状のままで保存に耐えうる程度の修理しか行なわないというものです。欠失部については損傷移行の恐れがある場合や、構造上不安があると認めらる場合以外は、補作を行なわないことが原則となっています。

 この「現状維持修理」という概念は彫刻の修理に限らず、すべての文化財修理の基本となっています。

 ただし、文化財の欠損・亡失部分について、損傷の拡大が予想されたり、保安上構造的に不安がある場合、あるいは信仰上の理由よる場合に限り、補作修理を行なうことがあります。
美術院 国宝修理所の修理理念
  1. 現在遺されている良い姿をこれ以上損傷させないよう保持し、出来るだけ永く後世に伝えることを第一義とする。つまり、制作当初の部材・彫刻面・彩色・漆箔などは最も尊重され、傷つけないように配慮される。
  2. ただし粗悪な後世の付加物(後補部、補彩など)は技術的に可能な場合、修正または除去することがある。
  3. 欠損・亡失部分は原則として補修しない。しかし、将来損傷の拡大が予想されたり、保安上構造的に不安がある場合は補修・復元することがある。
  4. 修理部分の仕上げは出来るだけひかえ目にまとめ、制作当初の部分を生かす美しい修理を行なう。したがって無用な補足や像面の全面塗り直しなどは行なわない。
以上の他に、所有者、学識経験者(監督者・修理委員会など)の意見を尊重し、修理について合意を得ることが必要となります。