孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんの投稿 今年最後の奈良旅行

【以下 仏像愛好の集 メンバーの Takさんからの投稿です。】

16日の美術史分科会は欠席し失礼しました。さぞ皆さんの勉強も進んでいることでしょう。私は先約もあり失礼しました。久しぶりに東大寺長老にお会い出来るということで、1216日早朝から奈良へ出かけました。
 
1216日(土):
早朝から奈良へ。初代別当の「良弁忌」で午前9時前に東大寺開山堂に到着しましたが、受付テントの前は二月堂階段下から法華堂方向に、長蛇の列が出来ていました。これまでに幾度か公開時に拝観した時には、これほどの参拝客にあったことがありませんでしたので、驚きでした。近年とみに参拝客が増えているのかもしれません。しばらくして開山堂での法要が終わり、門内から寺僧が大勢退出して来ました。参拝客の行列の間を縫って、紫色の袈裟姿の北河原長老が出て来られたので、早速ご挨拶をしました。参拝客を避けて、お帰りになる塔頭の院の方に向かって歩きながら、周囲の多くの人を縫ってのお話しとなりました。法要のお疲れと寒いのと、長老はご高齢であるので、院での長話しはそこそこでお別れしました。それでも、息子さんは体調を崩されておられ、孝子奥様も心配されているなど、身内のお話しなども伺えて、長老のお人柄をつくづく感じ入りました。帰りのご自宅でのことは、省略します。
開山堂へは後廻しにして、先に法華堂へ向かいました。数年ぶりの「執金剛神立像」の拝観となりました。厨子正面の段に登り、高めの位置で全体が拝される好位置からの拝観となりました。堂内裏側に安置されている厨子は暗いといっても、そこここはっきりと像を拝することが出来ます。オペラグラスでは尚更綺麗に彩色や文様が明らかで、満足でした。かなり粘って拝観しても、それでも後ろからの拝観客に場所を譲って、ところてん式に押し出され、礼堂正面に廻ってしばらく「不空羂索観音立像」他の諸像を拝観し、また裏側廊下に廻って執金剛神像を拝するというパターンを3回、飽きずに繰り返して、法華堂を退出しました。
その後白壁に囲まれた宝形造り屋根の小堂、開山堂(国宝)に向かい、良弁僧正の肖像(国宝)を拝しました。開山堂・良弁僧正像は、毎年1216日の開山忌に公開されています。同じ日に法華堂・執金剛神立像も公開されるので、拝観に来る人も多いのです。良弁僧正は持統3年(689年)に相模国(または近江国)で誕生し、「岡寺」の義淵僧正(ぎえん)に法相学を学んだ。幼い時に大鷲にさらわれ山奥に連れていかれ、金鷲行者(こんしゅぎょうじゃ)として修業中に、執金剛神像と不空羂索観音像を感得して東大寺の前身の金鐘寺を建立したといわれています。新羅僧により「華厳経」の講義を始め、大仏殿の開眼供養の年には初代東大寺別当に任じられている。東大寺では今でも、東大寺根本僧正としてあがめられているそうです。肖像は、堂内中央須弥壇上の八角厨子の中に西を向いて祀られています。像は、ほぼ等身で袈裟に法衣をまとい、右手に如意を持ち、左手は膝前で掌を上にしてかるく第13指を念ずるように屈する、背筋をピンと伸ばした結跏趺坐の姿です。狭い厨子内に安置されているが、肩幅の広い堂々たる体躯の、彫りの深い両腕部の翻波式衣文など、壮年期の面貌とおぼしきしっかりとした張りのある顔が、思いのほか大きく迫力を持って迫ってくる感じです。老僧の人肌の写実性の重源像との違いをハッキリと感じながら、根本僧正としての「良弁」、肖像としての「良弁像」の作風、造像時期と開山堂、特に鎌倉・重源による改築についてのいくつかの気になる点を気にしながら、じっくり拝することが出来ました。少し坂を下って「俊乗堂」、「念仏堂」に向かいました。こちらは拝観客が少なく、ゆったりした感じです。ボランティアの男性の中に、以前北円堂公開の時にお話しを伺った方がいらっしゃり、お互いに当時のことを覚えており、ここでも話しが弾みました。堂内は幾度か拝しており、仏さまも最近では「快慶展」、「運慶展」などでも拝しており、あまり時間を掛けることなく退出することとなりました。
 
午前中の予定していたコースはここまでで、昼のことが気がかりで、東大寺から興福寺へ急ぎました。そう、「興福寺中金堂落慶・記念お弁当」を買うことです。これまで南円堂前の売店は普段は利用したことが無かったのですが、今日ばかりは別です。12時過ぎ頃に息を切らせて売店に着いたところ、売店の女性店員から、気の毒そうな顔付きで「瞬時に完売しました。一つも残っていません。」との返事。喰い下がって詳しく聞くと、このお弁当は、パンフにもある様に、11月中旬から1224日までの土・日曜のみに数量限定で販売されるもので、「お箸」は中金堂再建用材を利用して作られたもの、「弁当箱」は吉野杉を利用した特注品という。それでも「瞬時売り切れ」ということで、販売数量を聞いたら、毎回10箱!で、箸も余分には無く弁当の数量分のみという。販売前から並んでいるお客がいるという。限定数が10個とはあまりにも少ない!と悔やんでもしようがないので明日に期待しよう。売店では、仕出し業者から午前10時過ぎに到着し、売店レジで即時販売するという情報も得た。明日17日(日)の販売も同じだという。明日は日曜だし、「おん祭り」の行事(お渡り式)が、奈良博から県庁前からJR奈良駅折り返しで三条通り経由奈良博お旅所まで、一日中行なわれることから、今日以上に客が来るかもしれない、との心配が頭をよぎりました。お弁当は土曜と日曜では内容が異なることがパンフに説明されています。以前にも興福寺売店で特注弁当を販売したことがあったのですが、その時も購入し忘れたことがあり、明日は是非に!と思いました。それでも帰り際に所在なく売店のなかをうろついた時に、「愚かなるがゆえに。」という文字が眼に入り、思わずその書籍を手に取ってしまいました。興福寺売店で売っている書籍です。著書名は「貞慶『愚迷発心集』を読む 心の闇を見つめる」、著者は多川俊映興福寺貫主)、20049月初版、20123月第二刷発行、243ページ、ハード装丁カバー付き、春秋社発刊、定価・1900円+税。帯封には「愚かなるがゆえに 徹底した自己凝視を経て求道、発心の祈りへ。鎌倉時代の名僧、解脱上人貞慶はいかに悩み、何を信ずるに至ったか。流麗な現代語訳と詳細な解説で、現代に通ずるその精神に触れる。」とある。何も考えずに購入してしまった。これからじっくり読むことにします。
 
弁当が手に入らなかった半ば失意(?)のなか、奈良博に出掛けて、「おん祭りと春日信仰の美術・社家史料と若宮」展(129日~114日)を観て廻りました。「春日若宮御祭礼絵巻」、「若宮祭御渡式絵巻」、「春日若宮祭礼図・鷹狩図屏風」、「春日権現験記」や祭礼具など、長いこと足を止めて克明に観た「絵馬」4枚(室町時代・天文20年代の銘のある社殿の彩色を行なった南都絵所による)など、ゆっくりと拝観することが出来ました。
引き続き「西新館」の名品展陳列を廻り、ボランティアの男性から「金光明最勝王経(紫紙金字)」(国宝)のことから、後世までの保存のため、地の紙質と金字の紙への刷込みのためのサイの角、牛乳でのコーティング作業などの制作技法のことなどを伺う。また、「真言八祖像」(8幅)、「俱舎曼荼羅」などを観て廻りました。
午後4時近くなってきたので、「仏像館」を駆け足で廻り、遅い昼食・早い夕食ということで、いつもの東向商店街のうどん屋に寄ろうと、北円堂前からの坂道を下り始めたところ、直前に追い越した、数人の欧米人らしき観光客の一人の高齢の女性から声が掛けられた。幸いにも相手は日本語が片言ながら話せたので、助かりました。用件は、「明日(18日・月)法隆寺薬師寺に行きたいが、近鉄奈良駅からの交通機関と時間、経路などを知りたい」とのことでした。内心ホッとしました。鉄道でもよいがバスが簡単と言って、近鉄奈良駅から薬師寺唐招提寺経由で法隆寺行の直通バス利用を紹介し、彼女の持っていたガイドブックの地図を広げて、経路を指さしで説明して分かってもらいました。
 
 
1217日(日):
今日の予定は、興福寺お弁当購入、奈良博・サンデートーク、「おん祭り」見学です。特に奈良博は、「おん祭りお渡り式の日」で無料観覧になっていました。早朝から、行列の通るメインストリートは屋台を組み立てて店の準備をしている。興福寺境内までが屋台の行列です。屋台の列は、奈良博まで繋がっているのです。
午前940分過ぎに南円堂前に到着。売店は午前9時から開いているが客はあまり見当たりません。それでも、見渡したところそれらしい人達がブラブラしている様子。私は売店内のベンチに荷物を置いて腰掛けていたが、観察からそれらしきお客が3人眼につきました。昨日話しを聞いた店員が、メモ用紙片手にお弁当の所要数を確認して来ました。私は2個注文しました。しばらくで仕出し業者が段ボール箱を抱えてくると、店員がすぐにレジ奥で箱を開け、販売開始です。私は4人目で滑り込み購入出来ました。土曜日の弁当も欲しかったが止むをえません。午前10時過ぎに、2箱の弁当を入れた手提げ袋を提げて奈良博へ。
 
17日の奈良博は、地下通路を中心に、「ボランティアフェスタ2017」を開催しており、館内は、多くの男女のボランティアが参集し、幾つものコーナーやイベントを設けていました。聞くところによると、奈良博のボランティアは150名ほどいらっしゃるそうです。以前「仏像館」などでお会いしてお話しをした覚えのある方にもお会いしました。3人の男女のボランティアとお話しをしていたところ、女性のボランティアが午後の「サンデートーク」の準備に行くといわれ、腕時計を見ると1230分間近かで、私も話しを切り上げてそそくさと玄関に向かいました。案内では1230分から玄関前で整理券配布とあり、指定場所に着くと既に並んでいる人もチラホラ。なんと先頭の小柄な女性は、東京(興福寺文化講座、東博などでM氏とも知り合いの)でお会いしたことのある方(名前失念)、その後ろに並んでいた男性は、奈良大学「阿修羅シンポジウム」(923日)で一日ご一緒に拝観・聴講をした地元の「中村さん」でした。整理券を入手後、開場時間まで中村さんと地下廊下のベンチ(ロビーやレストラン横のソファがイベントに使われ利用出来ず、止むを得ずフェスタ内のベンチ)で、おしゃべり時間となりました。また、講堂に入って講義開始前の時間にやって来られた女性の姿にビックリ!その方は東京のいくつかの講演会でお会いしたことのある方で、お世話好きで元気な行動的な方で、よく関西方面の寺院や行事に出掛けているようで、話題豊富な松永さんという方です。皆さん勉強熱心な方々ですね。彼らは会場の正面最前列に席を取り、私は例によって奈良博講堂での定位置である向かって右側・関係者席の後ろに一人席を取りました。
 
サンデートークの演題は、岩田茂樹上席研究員による「欧米で出会った日本彫刻あれこれ」で、岩田研究員がこれまで奈良博に勤務して19年になり、うち10年くらいの間に欧米を中心に、日本の文化紹介展示や、交換研究などで主要美術館・博物館と交流があり、数多く渡航して研究してきたものの一部を紹介するという。文化財・美術品は数奇な運命で、複雑な経緯のもとで日本を離れて海外の蒐集家の手に渡ったものがある。また、個人蔵の貴重なものが様々な理由により個人の手を離れていくこともある。行方不明になった美術品も数知れない。岩田氏が欧米で出会った日本彫刻(主に仏像)の中から、日本では知られていない仏像を紹介するという。特に、ロスアンゼルス州立美術館(LACMA)からは館長と館員の2人が見えていて、私の斜め後ろの席に座れられていました。残念ながら、岩田氏の講義後に、私が彼に「館長から挨拶してもらえないかお願いして欲しい」、と話しかけたが、彼は館長とともにそそくさと退出してしまわれました。岩田氏から紹介された仏像は、以下の3件でしたが、配布されたレジメには当該仏像の画像が無く、説明を聞きノートにメモをしながら、一生懸命にスライド画面で像態や彩色、特徴などを掴もうとしましたが、結構早く画面が切り替わってしまうので、もっとゆっくり眼に焼き付けられるように、時間をかけてスライドを見せて欲しかったのが心残りでした。帰り際に入り口の職員にその旨伝え、仏像画像の印刷物は無いか?あったらコピーしたい旨を話したが、手元に無く、岩田氏がPC内に保管しているだけ、ということで、その場では要望が通らなかった。岩田氏は欧米の美術館・博物館との間で研究している以上、画像なども版権などの了解のもとに研究されているでしょうが、そのような制約から、我々には講義時の画像提供が出来ないのでしょうか。ちょっと研究していれば、海外の美術館のサイトや関連画像を検索することも出来るのかもしれませんが…。此処で画像を紹介出来ないのが残念です。私の頭の中だけに記録されているのです。
因みに、岩田氏が講座中で紹介された仏像は、1.木造十二神将立像・2躯(イタリア・国立ヴェネツィア東洋美術館、1889年に北海道から九州まで各地を収集して廻った時の像、像高50センチ程度・ヒノキ材・寄木造り・内刳り・彩色・截金・玉眼・金銅製の飾り・作風は興福寺板彫十二神将立像に似る・彩色の上に薄く金泥塗り・胴体部を上下に材を継ぐ・持物無し・鎌倉時代前期の慶派作品に通じると推定)、2.木造虚空蔵菩薩坐像(スイス・チューリッヒ市立リートベルク美術館、像高60㎝程度・藤田美術館虚空蔵菩薩画像と一致する像態・花形に結い上げた高く大きな髻と髪束・側面は背をまっすぐ伸ばす姿勢・玉眼でなく彫眼・足先と着衣を別材で組み、掌に輪宝、胸部に卍字で生身仏か?)、3.木造毘沙門天立像(アメリカ・ロスアンゼルス州立美術館、ヒノキ材・一木割剥ぎ造り・内刳り・彩色・彫眼・像高210㎝・出雲の岩屋寺旧蔵の伝来あり・岩屋寺旧蔵像の一部が海外美術館所蔵・鎌倉~南北朝時代の作例・「康秀」作の像あり・本像の左足枘内外側に墨書銘あり、天文7年、院快銘あり・兜前面に龍・作例は少ないが中国図像由来か?・臀部下方に半月形の穴蓋あり、内部に墨書、八葉蓮華形の図と種字など・作風から平安時代後期と推定)。
思うに、薩摩焼、有田焼、伊万里焼などの陶磁器、西陣織などの織物などや、蛇足、若冲などの近世絵画や北斎、広重などの版画や絵画が欧米の画家を啓蒙し、蒐集されている例などは、しばしばTV番組でも取り上げられ、欧米の歴史的な城郭等に所蔵されていることが紹介されていました。こと仏像については、「快慶」作や慶派風の作例が海外流出しているのが知られ、最近でも主だった展覧会で出陳されることがあり、注目されているし、それなりに我々も眼にしていますが、今日のような作例は、名前も所蔵施設も思いがけないものばかりでした。岩田氏をはじめ研究者の手によって、われわれが知っている国内に現存する著名な仏像や寺院や僧侶などとの関係が判るものを、今回のようにもっと我々に知らしめて欲しいものです。振り返ってみれば、フェノロサを筆頭に明治初期に多くの欧米の蒐集家や学者が、日本の美術品、文化財を調査・蒐集しており、海外に流出しているわけで、どれだけの数の仏像が海外に残っているのか、掴みようもないのではないか?海外の蒐集家が、これからも日本の美術品を大切に管理維持していかれることを願うもので、一方研究者の方にはもっと我々へ、海外との研究情報を提供して下さることをお願いしたいものです。
サンデートークでご一緒した方々は、各々展示場へ行かれたりして講堂の出口でお別れしました。私は奈良博からの帰路、2箱の興福寺弁当を提げて、足早に近鉄奈良駅に向かいました。まずは新幹線車内で、遅昼食・早夕食として1箱を開けて食して見ることにします。
 
 
20171220日 030 Tak

【以上  仏像愛好の集 メンバーの Takさんからの投稿です。】