孤思庵の仏像ブログ

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【Takさんの投稿】 横浜市歴史博物館「平成29年度横浜市指定・登録文化財展」開催。他

【 以下「仏像愛好の集」のメンバー Takさんからの 投稿です。】

今日は以下の件についてご連絡します。
 
  1. 横浜市歴史博物館「平成29年度横浜市指定・登録文化財展」開催
(神奈川の埋蔵古墳遺跡展 同時開催)
期間:H291125日(土)~H3018日(月) 9001700
休館日:月曜、年末年始(1228日~14日)
観覧料金:200円(企画展のみ)、500円(企画展・常設展共通)
場所:横浜市都筑区中川中央1-18-1横浜市営地下鉄センター北駅下車徒歩5分)
新指定出展仏像:木造十一面観音菩薩立像(平安時代後期・市内西方寺蔵)12年ごとの公開で、門外初公開。
 
 
 
この博物館は、私の住まいの近くで、市営地下鉄の新幹線・新横浜駅への中間駅にあたります。時々資料のコピーや図書の閲覧に行っています。郷土の古墳などの発掘調査報告や、横浜近辺の歴史などが主な少し狭い感じの博物館ですが、都心でないだけに落ち着いた雰囲気で、いつ行っても気分が良い博物館です。
 
 
21119日(日)~20日(月): 滋賀・大津地域寺院巡拝
2日間の滋賀県大津市内での巡拝旅行です。19日は坂本周辺の天台寺院の、主に庭園巡りとなりました。20日は早朝から「三井寺園城寺)」の非公開文化財の公開情報にあわせて、寺域内を1日間かけて、ゆっくりと巡拝でした。三井寺については、これまで短時間の拝観はあったが、いつも「大津市歴史博物館」の展覧会を訪ねた際に寄ったもので、じっくりと拝観して廻ったのは、初めてでした。JR大津駅から三井寺までの、約30分間の市街地や旧東海道の通りを、多くの旧町屋の家並を散歩しながら、三井寺に向かいました。
大津事件の碑」:
大きなビルと古風な造りの店舗の建物の交差点に、明治24年(1891年)に来日したロシア・ニコライ皇太子が、巡査・津田三蔵から切り付けられた事件があったことを示す「此附近露国皇太子遭難之地」に碑と説明板がある。当時は、明治政府は津田三蔵を大逆罪で死刑にするように裁判所に迫ったが、大審院長・児島惟謙(こじまいけん)は刑法にもとづき判決を下し、司法権の独立を貫いた、という歴史があります。
「琵琶湖疎水」:
明治18年(1885年)に琵琶湖の水を京都市内へ流し、飲料水、発電、物資運搬、農業用水として利用される目的で造られた水路で、青年技師田邉朔郎(たなべさくろう)の指導の下に着工され、同23年(1890年)に開通した。その後、明治45年(1912年)には第二疎水路が完成しているという。近くの琵琶湖から引かれた水路が、北国橋の先で、水門で仕切って二股に石組みの壁が築かれており、細い石組みの水路に小さな観光船を浮かべ、三井寺方面に向かって山麓の間を直線に進み、すぐ先で三井寺の境内の懐に京都へ向けた暗渠を潜るようになっている。この日も職員が観光客を水路際の通路を、観光船に案内していました。この先どれだけの暗渠を通っていくのだろうか?以前にも行った京都市内の南禅寺や蹴上辺りにも行ってみようと思う。
 
三井寺園城寺: 「唐院伽藍・三重塔初層公開」
午前9時過ぎに、疎水施設からすぐに、「三尾神社」脇から三井寺境内に入る。大友皇子の息子、大友与多王(よたおう)の「田園城邑」の寄進により創建され、天武天皇の「園城」(おんじょう)の勅額を賜わり、「園城寺」と名乗ったことがはじまりという。天台寺門宗総本山で、「円珍」智証大師が貞観8年(866年)に再興した。当寺の湧水を天智天皇天武天皇持統天皇3天皇の産湯としたことから、「御井の寺」(みいのてら)と呼ばれる。智証大師は修業中に「黄不動尊」を感得しとしたことから、これが今に伝わる「国宝・黄不動尊画像」黄不動明王像だということです。
今秋の三井寺では、「日本遺産登録・西国三十三所草創1300年記念」として、「唐院伽藍・三重塔初層公開」1117日~26日)が行われています。
 
「唐院伽藍」(重文):
智証大師・円珍の御廟を中心とした伽藍の総称だそうで、「大師堂」(獅子吠之間、智証大師画像、仏眼曼荼羅、三井曼荼羅、黄不動尊画像(模写))、「唐門」、「灌頂堂」(両界曼荼羅如意輪観音坐像お前立像)、「四脚門」、「長日護摩堂」、「唐院三王社」よりなる、三井流伝法灌頂の道場として神聖な場所となっている。唐院は、智証大師・円珍が唐からの請来した経典や法具を納めるために、清和天皇から内裏の仁寿殿を下賜されたことに由来するという。太子堂(四方宝珠形檜皮葺屋根)には、智証大師像2体(ともに国宝)と黄不動尊画像(国宝)が祀られている。
 
「三重塔初層」(重文):
徳川家康が慶長6年(1601年9に寄進した中世の仏塔。旧比蘇寺(現・世尊寺)の東塔で、豊臣秀吉伏見城に移築していたものを再度移築したものという。三重ともに縁に高欄を設けて、組み物は伝統的な和様三手先で、部分的には窓に菱格子が嵌め込まれている。初層内部は、折り上げ格天井、となっている。開扉された扉の正面須弥壇上には、厨子に入った「釈迦三尊像」が祀られています。元和9年(1623年)に後陽成天皇七回忌に宮中で行なわれた「法華八講」(ほっけはっこう)の本尊として造像という。本尊釈迦像の頭部内の墨書銘により、仏師「康温」作で、本尊像高・約50㎝、脇侍像(向かって右・普賢菩薩騎象像、左・文殊菩薩騎獅像、各像高・約25㎝)。江戸時代初期の正統慶派仏師の制作による基準作例となっています。
天井隅には、格天井の一枚を外して、2層への梯子が取り付いている状態があり、天井板の隙間から上層への木組みの太い柱と組み合わせが覗くことが出来た。堂内はすべてLEDが使用可能で、時間を掛けてじっくりと拝観することが出来た。
 
ほかに「一切経蔵」(重文)、「金堂」(国宝、尊星王画像、円空仏ほか)、「釈迦堂」(重文)、「水観寺」、「微妙寺」、「観音堂」、「三井の晩鐘」(重文)、「収蔵庫」、「毘沙門堂」(重文)などの境内諸堂拝観しました。特に「金堂・尊星王画像」が気になる画像でした。かれこれ6~7時間かけて巡拝して、午後4時過ぎに三井寺を辞し、京都駅に向かいました。
 
 
31121日(火): 中沢新一氏と宮 崎信也住職のトークショー
あるお寺の方からの紹介で、人類学者・中沢新一氏と高野山・般若院・宮崎信也住職のトークショーを聴講して来ました。「ボンズヴェ―ルの智慧・海と山の仏教」というタイトルで、近年の仏教の危機について論じるということです。
「近代の合理的な思考の中で語られる仏教思想はそのような全体性をうしない、人間のことにしか関心のない、近代仏教となってしまいました。結果、仏教は現代の地球的な問題に対処できなくなっているのではないでしょうか?その答えを求め、寺や大学に閉じ込められた仏教ではなく、山と海で語られてきた仏教に注目します。提唱するのは仏教的智慧。緑の意識を入り口に、分断と亀裂の経済、産業、社会を再構築する試みです。」(宮崎住職・記・チラシより)
難解なことがらを、軽妙な少し早口なそれでいて何回も、念を押すように話しを進めて下さる宮崎住職の元気な姿は、私の憧れの仏教者です。また、中沢新一氏には、ざっくばらんでいて、その含蓄のある地球規模の話題と、警鐘を鳴らす話しには、いつも感動ものです。宮崎住職が一生懸命に仏教教義を説明しているのに、中沢氏が口を挟み、分かり易い卑近な例を持ち出しての持論の展開で茶化す、そして自分が説明を引き継ぐ、というような、お二人の軽妙な掛け合いと話しの展開の回転の早さが、私の頭の中で整理されないままに、話しを追いかけて行くような有様でした。今回は100人程で満席の教室で、ザッと半数が若い世代の中沢先生ファンと思われる男女で、若い女性の多いのにびっくりしました。他は私ほどの年配世代のようでした。早々から、お二人の軽妙な掛け合いによる討論は、何か漫談を伺っているような雰囲気で、あっという間に時間が過ぎてしまった感じです。仏教のはじまりは、人間の心に注目した教えではなく、人間と自然を貫く宇宙的なエコロジー思想だというのです。これまでに空海南方熊楠宮沢賢治などを対象として話しを進めた後に、この日の対談になったということから、私の期待した南方熊楠の話しは聞かれませんでしたが、仏教哲学のテーマの一つである「存在の分析」、「五蘊」(ごうん)などの概念を討議する展開で、「般若心経」や映画「ブレードランナー」についても言及されて、現代社会の虚構と矛盾について、説明されていたと感じました。
因みに、現代は「中抜きの時代」だそうで、流通経路や産地直送のように、人間の生死についてもお寺や僧侶の存在・居場所がなく、葬儀だけが待っている、という笑えないような話しもあり、また仏教の樹木信仰の視点から、「龍樹」(りゅうじゅ)の名と「熊楠」(くまぐす)の名とは、動物+樹木という組み合わせが共通している、などとの面白い話しも聞かれました。トーク後に会場の外で、中沢氏にお会いし、南方熊楠の視点での話しの展開はどのようになるのかを伺った。残念ながら彼からは明確な説明はすぐには無かった。
 
 
同じ会場で、東京芸大美術学部教授・松田誠一郎氏にお会いし、立ち話でしたが30分ほど、いろいろと多方面にわたってお話しがうかがえました。その中で私の問いに答えて先生は、宇治・平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像は、一木造りから寄木造りの画期的な造像技術だけではなく、純粋な密教世界の仏さまで、胎内納入品からも光背からも説明が出来る、本像は浄土だけの仏さまではない、との説明がありました。宗教・信仰は単純な新旧の連続・継続ではなく、新旧複数の流れが同時代的に流れており、そのなかでの歴史の創造と選択によって組み合わせられている、とのことでした。改めて納得でした。
 
 
20171124日 000 Tak
  
【以上 「仏像愛好の集」のメンバー Takさんからの 投稿でした。】