孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

【改訂版】平等院鳳凰堂の阿弥陀が来迎阿弥陀三尊の可能性 の ニュースに???



仏像愛好の集の ブン ブン さんが   サークルスクエアーの「仏像愛好の集のページ」に 下段の      平等院の菩薩像 死者を迎えに来る「来ごう」を表現の記事
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171006/k10011170151000.html ←クリックで記事を読めましたが、今は不可に。
をつぶやいてくれまして、其の新聞記事にて、平等院鳳凰堂阿弥陀が来迎阿弥陀の可能性を言われているのに気付きました。 

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 来迎の菩薩像ではと見られる「木造聖観音菩薩立像」 
(像高約1・1メートルで、丈六本尊の脇侍にしては小さい)
また 指さす条帛の端部が垂直でなしに 右に流れる 事で 風を受けていると見て・・・、この観音を 来迎時のそれと見ている。  これは短絡すぎませんか? この持物は未敷蓮華、信者の魂が乗る蓮台は何処に?

腕から作り替えられた後補との見解でしょうが、 残って無いものを推論するならば、どうにでも推論が成り立ってしまうと思います。 残ってる物や痕跡あるもので 推論すべきではないでしょうか? 痕跡の消えてしまったものの部分を想像だけで、自由に仮説を膨らます・・・、その様な仮説は如何なものでしょうか?

超有名仏像の今までに無い推論でしたので・・・、私なんぞは、すわ 一大事と 喰い付き すぐにコメントしましたら・・・、 お仲間のMさんが、平等院の菩薩像について、読売オンラインに出ていた復元想像写真http://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20171006-OYTNT50165.htmlをつぶやいてくれました。クリックすると新しいウィンドウで開きます
読売オンラインに出ていた復元想像写真
http://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20171006-OYTNT50165.html
問題の観音立像と。一具であっただろう勢至立像の 両脇侍菩薩を据えた 鳳凰堂内部復元想像写真




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上の画像の 部分拡大図  (本尊大きさに比して脇侍が小さすぎます)

他も調べてみましたら、毎日新聞では、mainichi.jp/articles/20171007/k00/00m/040/097000c を発信しています。[平等院:聖観音菩薩立像、当初は「来迎菩薩像」の可能性]でネット検索して下さい。



各記事の整理をしてみます。

【NHK】平等院の菩薩像 死者を迎えに来る「来ごう」を表現
(要点)平等院発表:境内の塔頭に伝わる平安時代の菩薩像「木造聖観音菩薩立像」の修復で、衣の部分が前から風を受けてたなびくような形、衣のすその一部が台座に入り込んでいることなどから、もともとは前に傾いていたことなどが知れ、このため菩薩像は阿弥陀如来に付き従って極楽浄土から死者を迎えに来るいわゆる「来ごう」の姿を表したものと見られると発表

【読売】阿弥陀如来「三尊」だった?・・・平等院鳳凰堂
(要点)平等院が、ともに安置されていた候補の仏像が見つかった事から、 これまで独尊と考えられてきた鳳凰堂内の本尊・ 阿弥陀如来坐像 が、「阿弥陀三尊」だった可能性があると発表した。
左脇にあった可能性が出てきたのは、同院内の 塔頭) ・浄土院が所蔵する平安時代後期の観音菩薩立像(像高約1・1メートル)。美術院(京都市)の修復で、左足を前に踏み出して前傾姿勢を取っていることなどから、阿弥陀如来とともに死者を迎える「 来迎 」菩薩と確認した。、衣の表現方法などが雲中供養菩薩と似ていることが判明した。 平等院の太田亜希学芸員は「創建当時の鳳凰堂の姿を探る重要な手がかりになる」と話している。
 
【毎日】平等院:聖観音菩薩立像、当初は「来迎菩薩像」の可能性
(要点)・美術院(京都市)が江戸時代に頭、右腕、台座などが取り換えられていることが判明「条帛」「天衣」が風になびく形で、左足を踏み出した前傾姿勢だったことも分かり、当初は阿弥陀(あみだ)如来に従って雲に乗る「来迎菩薩」と判断した。
・平等院は、上を受けて、塔頭の浄土院に伝わる「木造聖観音菩薩立像」(高さ109センチ)「来迎菩薩像」として当初造られた可能性が高いと発表した。
・京都国立博物館の浅湫毅(あさぬま・たけし)・学芸部連携協力室長は、鳳凰堂にある「木造雲中供養菩薩像」と意匠が通じる点を指摘。「本来は鳳凰堂の阿弥陀如来像の左脇に安置されていたのではと話す。

以上の事から 右脇侍 「観音菩薩立像」は 「来迎菩薩像」の可能性と云われて居る。しかし、衣の部分が前から風を受けてたなびくような形、衣のすその一部が台座に入り込んでいることなどから、もともとは前に傾いていたことなどが知れ、るとされてますが、 その証拠勢は不十分に思います。

この時代に、来迎時では無い、前傾の脇侍は不思議なのでしょうか? 条帛の端が垂下せずに、右に流れる。との斯様に僅かの風の表現が在るだけで「来迎菩薩像」と決めつけて良いのでしょうか? 極楽浄土には 気持ちの良いそよ風が吹いて居ても宜しいと思いませんか?  また確かに小手は後補の様ですが・・・、二の腕は 蓮台を持つようには見えません。よしんばこの像が、右脇侍の勢至菩薩としても 合掌の手とは無理です。
私は、諸先生の賢察に 異議を唱えられる様な者で無い事は重々解って居ますが、現状論拠で「来迎菩薩像」との決めつけには、腑に落ちないのです! 仲間の諸兄は如何に思われますか?

本尊の阿弥陀坐像は、鳳凰堂の扉絵(下段画像)より 蓮華座に裳掛となって居た事が推測されます。


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  ↑鳳凰堂の扉絵  裳裾が蓮華座に掛裳と成っている。   ↑裳掛の状態は欠損で不明としても、連肉 に乗る乗                                                                                   裳裾 は 安定し、風を感じさせていない。

それで本尊阿弥陀如来の蓮華座も、裳掛けと推測されてまいます。現状、その垂れていた衣の裳先は破損、欠失で、その後に見栄えの為、蓮肉の周部で切り詰められて現状となって居ます。 連肉上に残る裳の衣皺はなだらかで、風を感じさせるものでは在りません!連肉上の裳裾に風が当たっていますか? 無風ですよね! 来迎でしたなら 脇侍だけが風を受け、本尊に風が無いのは不自然です。 推測に「来迎菩薩像」には当初 雲座が付属していたが,改修との推察がされていますが、だとしたら 本尊にも雲座があったとなりませんか? 

それでも鳳凰堂の表現は来迎場面なのでしょうか?

以上の事柄から、新説「来迎菩薩像」に???です。 また第二の推論の、本尊阿弥陀坐像と脇侍像(現状 観音と見て居る)の二躯体が一具でしょうか? これらを一具の、三尊形式説には???です。  脇侍両菩薩を配置した鳳凰堂内部復元想像写真は如何ですか?  本尊と脇侍の大きさが合わな過ぎます。よしんば高さ調整の為に 下駄を履かせるかっこうで台座高で調整するとしたら、もっと丈の高い台座を据える必要がㇼで。それは台座が高すぎか、大きすぎで不格好となります。 この事から、本尊とこの観音立像が一具説には???なのです。この観音像は 単独観音像か 他の中尊の脇侍では無いかと思えます。

それよりもまず。鳳凰堂内の場面は、どう見ても 極楽の情景です。来迎の阿弥陀と見るのは大クエスチョンです。 この本尊は定印を結んで居ます。定印は瞑想の印相です! 瞑想しながらの来迎では、歩きスマホどころの危険ではないでしょう! 瞑想の定印は極楽での安座している阿弥陀如来に相応しく在り、来迎の阿弥陀像の印相は施無畏よ願的な来迎印が相応しいです。その様におもいませんか?! 

以上の事から 鳳凰堂の情景は 当初は阿弥陀三尊来迎場面との 諸先生の親切に???です。

傍証の為、色々の阿弥陀三尊来迎をネット検索してみました。 感じました事は、阿弥陀来迎像は、彫刻仏像には少なく、その多くは絵画形式(仏画)でした。 来迎と云う 動きのある事柄の表現には、絵画が有利な様で、彫刻仏像は向かない事が感じられます。この事は決定的論拠にはなりませんが、状況的に、鳳凰堂の仏像は来迎像で無い可能性が大と言えるでしょう。 極楽浄土の光景だと思います。堂内各面の 長押より上、頭 貫より下の壁面に掛かる雲中供養菩薩も 、けして来迎菩薩でなしに 極楽浄土での 演奏を担う雲中供養菩薩と 思います。 本尊阿弥陀仏も雲座が在れば 来迎の状態と思えますが、雲無しの蓮華座は安住の極楽にての安座に思えます。 この様にどこをとっても鳳凰堂内の状況は 来迎状態では無しに 極楽浄土の有り様に思えてならないのですが・・・。

クリックすると新しいウィンドウで開きます 永観堂禅林寺  国宝  山越え阿弥陀図

傍証の為の図像検索途中での、発見は、本尊阿弥陀仏の 印相は 状況に依り変わって居ますが、来迎時の来迎印は、当たり前ですが、それで無い印相には、定印が殆ど無しでして、永観堂禅林寺の山越え阿弥陀など、幾つかに、説法印がありました。しかしこれは臨終者と繋ぐ五色の糸を繋ぐのに好都合だったからだと考えます。もっと言えば山越え来迎の 山から覗く阿弥陀の上半身像には、説法印以外無理です。立像に定印は無理ですし、無理して定印をしたとしても、その臍下で結ばれる定印ですから、鳩尾夢近くにまである山に遮られ、下方の定印では見る事が出来ません! そう考えますと、胸元の説法印しか不可能となります。本来の理想の来迎印なのですが、来迎印にしますと左手の与願印は山に遮られてしまいます。 それで、説法印だけなのだと思い当たります! これら例外を思いますに、それは 図像的意味付けよりも、単なる構図上の理由と云う事に なります! かように 例外の謎解きをする事で、本来的には、来迎印が相応しいという事がが、より解ってきます。 

例外として見つけましたよ、来迎で定印のもの、それは、泉涌寺即成院の二十五菩薩像でした。 これも考えれば、二十五菩薩は極楽に常住していて、来迎の時にはお供するですから・・・、泉涌寺即成院の二十五菩薩像は来迎時の表現では無しに、,極楽の日常の二十五菩薩と思えます。クリックすると新しいウィンドウで開きます
泉涌寺即成院の二十五菩薩像




【結論】 
本尊の印相が阿弥陀定印であることから、この像は来迎の阿弥陀でないと思います。中尊の阿弥陀坐像の大きさに比して、脇侍としては小さすぎますので、中尊と一具には思えません。 よって 鳳凰堂の本尊阿弥陀如来座像が三尊形式だったとの論拠には乏しいと存じます。

以上は、筋は通っていると思うのですが、やはり浅学の勝手な我論 なのでしょうか? 皆様には、如何思われますか?



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勉強不足ですみません!後ほどじっくり、会長のテキストと記事を見比べてみます! 削除
2017/10/10(火) 午後 4:32 [ ブンブン ]                       
> ブンブンさん
真摯にお読み頂き感謝です。
解らない所は質問して下さい!ご説明いたします・
削除
2017/10/10(火) 午後 8:58 [ 孤思庵 ]                        
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知恵袋で質問して、以下のアンサーを頂きました。


mr_toriatamaさん

別にへんではないからです。

阿弥陀定印は九品の上品の意味も表します。
必ずしも来迎印はOKサインでないといけないということはありません。
逆に、坐像で上品上生を表す時はすべてこの形です。

それに、脇侍に観音勢至をつける阿弥陀三尊像は、だいたいが来迎像なのですが、定印の中尊坐像は他にも山ほどあります。

大きさについて、脇侍が小さい分には特に不自然ではありません。
逆なら変ですが。
兵庫の浄土寺像のように、三尊とも巨大という方が稀です。

また来迎の坐像の衣がひらひらしている作品は今までに見たことがありません。

続く
削除
2017/10/22(日) 午前 7:51 [ 孤思庵 ]                       
(前からの続き)


逆なら変ですが。
兵庫の浄土寺像のように、三尊とも巨大という方が稀です。

また来迎の坐像の衣がひらひらしている作品は今までに見たことがありません。

まだ可能性の段階ですが、壁の雲中供養菩薩と意匠が似ているということで、今のところ鳳凰堂像と考えていいのでは。

鳳凰堂において観音像の居場所は阿弥陀仏の左側が妥当であるからして、ということは転じて、この天衣たなびく観音像が脇侍となれば、本尊が阿弥陀来迎像であると帰結しますよね。

まあ雲中供養菩薩がある時点で、すでに来迎像なんですが。

とりあえず7日から公開されるそうなので実際に行って見てみましょう。
ぼくも行きます。
そのうち右脇侍の勢至菩薩も見つかるといいですね。

投稿日時:2017-10-22 01:25:13
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2017/10/22(日) 午前 7:53 [ 孤思庵 ]                        
頂いた回答に??です。

「阿弥陀定印は九品の上品の意味も表します。必ずしも来迎印はOKサインでないといけないということはありません。 逆に、坐像で上品上生を表す時はすべてこの形です。」について反論

九品印相来迎を肯定されてますが、九品は早くから言われてますが・・・、 九品印相は 『仏像図彙』頃からで、その印相は、今日では、 上生印を禅定印 中生印を説法印 下生印を 来迎印(施無畏・与願印)と 見るように成ってます。

「脇侍に観音勢至をつける阿弥陀三尊像は、だいたいが来迎像なのですが、定印の中尊坐像は他にも山ほどあります。」について反論
阿弥陀三尊像は、だいたいが来迎像ですか?? 浄土変の三尊の立体像的の造仏はないのですか? 脇侍観音の 両手で蓮華台を持つ姿を 来迎図の目印とするは間違いですか?
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2017/10/23(月) 午前 3:07 [ 孤思庵 ]                       
(前からの続き)

「大きさについて、脇侍が小さい分には特に不自然ではありません。 逆なら変ですが。 兵庫の浄土寺像のように、三尊とも巨大という方が稀です。」 について、 今回の想像図のように 本尊に比べ脇侍造が 極端に小さい例は見た事が有りません。 そのような事例が在りましたなら 教えてください。浄土寺三尊像は脇侍も巨大ですが、本尊に比しては小さく、その大きさのバランスに違和感は持ちません!

「また来迎の坐像の衣がひらひらしている作品は今までに見たことがありません。」については、 これは認めざるを得ないかもです。 早来迎図など 検証して見て、雲に速さは見ますが、 衣のはためくは見えません。
しかし、逆に また来迎の坐像の衣がひらひらしている作品は今までに見たことがありませんの、おっしゃりようは、来迎三尊の脇侍が 風を受けて居る様への否定的のおっしゃりように成りませんか?そもそも「脇侍の風を受ける表現」が 、今回の鳳凰堂の来迎三尊か? の発端ですから・・・。そうしますと、来迎三尊の見解に??の孤思庵の意見の後押しとなるのでは在りませんでしょうか? 
2017/10/23(月) 午前 3:15 [ 孤思庵 ]