孤思庵の仏像ブログ

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重文「木造十二神将立像」、運慶作じゃなかった?


「仏像愛好の集」のメンバー の Saiさんから、 電話で 産経新聞に、静嘉堂文庫の 快慶作と見られて居る十二神将の内 亥神像 が運慶作じゃない との記事が出て居る! と情報が入りました。 

直ぐインターネットで 検索しましたら 以下が出てました、  紹介します。

(株式会社 産経デジタル
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重文「木造十二神将立像」、運慶作じゃなかった?

産経新聞 7/17(月) 7:55配信
重要文化財「木造十二神将立像」のうちの「亥神像」(静嘉堂文庫美術館蔵)(写真:産経新聞




重文「木造十二神将立像」、運慶作じゃなかった?

7/17(月) 7:55配信
産経新聞
 ■没後5年の墨書が「亥神像」内部に 「未調査の像に銘文あるかも」

 鎌倉時代の仏師、運慶の作品ではないかと仏像ファンらの間で話題になっていた国の重要文化財「木造十二神将立像」(全12体)の1体から、運慶の没後5年に当たる安貞2(1228)年とみられる墨書きの文字が見つかり、運慶作品と確定できなかったことが分かった。

 所蔵する静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)は、「墨書は運慶没後のものだったが、この像が安貞2年ごろに制作された可能性が高まり、学術的に大変有意義な発見」としている。

 美術館によると、十二神将立像は同館が7体、東京国立博物館台東区)が5体を所蔵。運慶が棟梁(とうりょう)を務めた「慶派」の優れた作品として知られていたが、運慶が関与したかは不明だった。

 転機は平成24年。12体のうちいずれかの像の内部に「上坊別当執筆、大仏師運慶」との銘文があったことを報じる明治35年の新聞記事を発見したとの論文が発表された。以来、専門家や仏像ファンの間で、運慶本人の作品かもしれないと話題になっていたという。

 そうした中、美術館は平成25年度から順次、所蔵する7体の損傷の修理に着手。銘文の手がかりがないか、像内部の空洞にファイバースコープを入れて撮影するなどの調査も行った。このうち28年度に修理・調査した「亥神像」の内部画像を合成、解析した結果、像内の頭部に「あんてい二ね八月」「あんてい二ね九月十七口(日)」と判読できる墨書が確認された。

 墨書が制作年を示しているかなどの確実な情報がなく、運慶の関与も依然として判明しないが、論文を発表した神奈川県立歴史博物館の学芸員、神野祐太さん(32)は、「制作年代の特定に近づく資料の一つで、彫刻史的に意義がある発見」と評価する。

 一方で、神野さんは「(運慶の)銘文が出ればいいなと思っていた」と残念さもにじませた。新聞記事の銘文は、大正時代に国宝に指定された木造不動明王立像などの運慶の銘と書式が似ているといい、神野さんは、「明治時代の記事は実物を見ていないと書けないのではないか。銘文が残りの中に入っている可能性を捨てたくない」と話している。

以上  産経新聞 7/17(月) 7:55配信  重要文化財「木造十二神将立像」のうちの「亥神像」(静嘉堂文庫美術館蔵)(写真:産経新聞) の記事 転載です。


Saiさん 情報有難う ございました。


http://www.seikado.or.jp/common/images/cmn_st.gif

京都・浄瑠璃寺旧蔵と伝えられ、明治初期に寺を離れたという。子神、丑神、寅神、卯神、午神、酉神、亥神が静嘉堂、辰神、巳神、未神、申神、戌神が東京国立博物館所蔵である。いずれも運慶流の正統な作風を示しており、同一工房の作と考えられる。興福寺東金堂像とともに鎌倉時代前半の代表的な十二神将像の一つで、十二躯のすべてが残ることでも貴重。この亥神像は冑を本体とは別に造り、円頂の頭に被せるなど、写実をもとにした説明的な着想のあることも特色の一つである。