孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

本日14日 「分科会」をします。出来たら御参集お願い致します。


毎度仏像愛好の集に参加して頂いて、有り難う存じます。 
本日、14日(火) 「分科会」をします。間際の広告ですが、出来たら御参集お願い致します。 「仏像愛好の集」の運営の御意見も、承りたく存じます。 10時東博 本館玄関 11室 集合



思い付いて、 一番古いブログ記事を 繰ってみましたら、2012/7/30(月)が見つかりました。此処にてブログ始める前は他でやってましたので、 仏像趣味の集まりを開始したのは十年ほど前でしょうか、「仏像愛好の集」で定例会をする様に成ってでも、もう5年は過ぎている様です。 その間 幾多の 同好の方が集ってくれました。 思えば魅力的な方も居ましたね! 集の定例会は お陰様で続いて居ます。 しかし 方丈記冒頭の如くして、もとの人に在らず・・・で、 どうしても来られなく成ってしまう方が少なくありません。無常ですので、先ない事なのでしょうが、寂しい感がします。 少しでも食い止めたくて・・・、
集った同志にも、やがて疎遠と成り、もう来られなく成った方が随分と居ます!  折角の 御縁でしたのに残念な事であります。 定例会の午後の勉強会では毎回 集の始めに 集の運営に対しての意見を伺うプログラムは組みましても、盛り上がりに欠け、盛んな論議になることがありません。

質問、意見と申し上げましても、そう簡単に 出てこない様です。 「笛吹けど踊らず」と言う語彙が浮かびました。安易に使いますが、その言葉調べまてみましたら、それは、新約聖書の言葉「マタイの福音書11章17節」と「ルカの福音書7章32節」の二箇所。が語源の様です。知りませんでした。 
思いますに 踊りたく成るように上手に笛を吹けていない に思い至りました。 

自身の勉強に対する熱意が冷めて来ているからでしょ! そんな苦言も聞こえてくる様な気がします。有難い事です。お世辞よりも苦言に。真価が在ると思います。叱咤にまた勉強したく思いました。 
昨今、魅力が無く成ったかとの心配で、御意見を お尋ね し廻ってます。

結果、最近は勉強会での孤思庵の発表に聴くに値すべきものが無いとの苦言を頂きました、  分科会の方も「仏像の基礎勉強会」 と銘打って来ているのに・・・、、その内容は 「なおざり」でしたか「なおざり」でしたか、記憶に定かでないのですが、其れ的との批判を受けました。更に聞けば、単発的と云うか、一貫性が無いという事でした。 また別の方からは、勉強会と銘打つのなら、受講者が望む知識の蓄積が成る様な勉強がしたいとの要望が出ました。・・・然りです。

自身も、多少の故が在って なのでしようが・・・、正直、この処の自身の発表は「なおざり」&「おざなり」の傾向ありと、反省です。 「なおざり」&「おざなり」は混同しがちな言葉です。

「なおざり」は、「気に留めない」が原義の言葉で、何もせずおろそかにしておくこと、成り行き任せにしておくことを表すそうです。
一報の「おざなり」とは、「御座成り」と書くように、江戸時代の幇間や芸者衆が、お座敷の客によって扱いを変えたり、形ばかりの取り繕った言動のそれをいった隠語。当座の間に合わせの意味であり、自分で意識的にいいかげんな言動をしてその場を逃れようとすること。と在ります。


よく似た言葉に「なおざり」が在ります 何れもが当たって居る様です・・・、態度は「なおざり」で、内容は、「おざなり」と大いに反省しました。今後は、カリキュラムを組んで、ゆきたく思いますし、個々の発表は、準備をした。内容にしたく思います。



【聞き取りの結果】

①一つの要望は 美術史的、も単発でなしに、連続講座的に、一連の仏像史概論的なもので、 我が国の仏像の変遷の通観的美術史を望まれてました。 先に分科会でテキストブックに選定の「カラー版 日本仏像史 」水野啓三郎(著)を選定だけで終わっています。 それを輪読 or 輪番制 発表 の勉強方法のご提案も頂きました。
 美術史のカリキュラムは、身には重く、難しいので、どなたかの 御助力を頂ければと思います。


②もう一つのご要望は、図像学的でした。在る方は、仏像は、仏の像、 対象は仏像です。仏像はアート造像作品に非ずでしょう?!自由彫刻とは違うのでは? 仏像を拝観して語るときには、その心 (仏の心とは・・・、) を無視すべきでないと思う」との シンパシーあるご意見に 嬉しく思いました。 そんなで、この分野も、在ってほしいとの要望でした。 これも以前に分科会で選定のテキスト-ブックテク、 日本仏像事典 真鍋俊照(遍)を勉強したく思います。


③更なるに、仏像、その前提に 仏教を知りたい との造詣が深いご意見 に敬服です。遠い学生時代 所属学科の講義では、無かったのですが「仏教概論」を選択履修した事が在り、その時のテキストと、神田の古本屋で求めた駒沢大の、教養課程のテキスト「仏教概論」を持って居ました。先端技術と相違の 仏教ですが50年近く前のそれではいけないでしょうと IN検索してみましたが・・・、


項目に以下がありそうな、適当な 書籍は、 まだ見つかられませんでした。

「仏教概論」
三宝法「ダルマ(dharma)」の意味・三法印(四法印)・ 「行」・
 四 諦・八正道・縁起
十二支縁起】
(1)無明(無知)・・・惑
(2)行(三業)・・・・・業                  
(3)識(意識)・・・・ 苦     無明は知性的な煩悩の根元
(4)名色(心身)・・ 〃      
(5)六処(感官)・・ 〃
(6)触(感触)・・・・ 〃
(7)受(感受)・・・・ 〃   
(8)愛(渇愛)・・・・惑
(9)取(執着)・・・・〃      愛は情意的煩悩の根元
10)有(生存)・・・業   
11)生(誕生)・・・苦
12)老死(老死) ・〃
    
業 ・三学(戒・定・慧)・【六波羅蜜】(布施、持戒、忍辱)精進、禅定、智慧
 
仏陀観】   
二身   (生身仏・法身仏)
三身   (法身仏・報身仏・身仏)
四身 三身に化身仏
化身仏(けしんぶつ)・・・有情を済度するための異類身
         
【一切衆生悉有仏性】 

以上の項目のあるものが 良いかと思いますが、まだ適当な本を探し出せて居ません。我が仏教の先生的 友人に近々逢いますので、相談してみます。



仏教とは、 仏像とはの様な、基盤・根本の方が、個々のパートよりも難しい気がします。
①~③まで、こうして挙げてみますと、通史であったり、根本だったりで、随分と勉強的の様です。
もはや老境、楽しの趣味道楽で良いのでは、もう勉強苦は要らないの御意見も、多いかと・・・、。

デモです。挙げた事柄を知って、仏像と対峙した時 思いに如何なる変化が在るのか・・・、また否か、
試したい気もします。

同志 居ませんか? 私は、もはや終活期ですのでやってみようかと・・・、



纏まらない 拙文で 済みません!