(3/3に改)2/28日 世田谷観音寺に護摩供養 参拝・拝観会をしました。
【加筆】
調伏炉 △ 増益炉 □ 息災炉 ○ 恵愛炉 (蓮華)八角
【本文】
【以下 「世田谷観音の不動明王・八大童子像 - せきどよしおの仏像探訪記」より 引用】
仏像のいわれ
内山永久寺関係の史料によると、これらの仏像は1268年から翌年にかけて康円によって造られ、1275年に最終的に完成して、岩座に建てられたという。史料に、その岩座は「山水之躰、風流之容」とあるが、世田谷観音の像9体の台座は高低差がつけられた岩座であり、群像としての豊かな表現を生み出している。これが「山水之躰、風流之容」と言われればそうかと思う。
童子像の1躰からは、康円の名と1272年の年が書かれた納入文書が見つかっている。(内山永久寺関係の史料と納入文書では年が完全には一致していないが、全般的にみてこの像は内山永久寺旧蔵のものと考えられている。)
仏像の印象
不動明王像は、片目をすがめ、口を強くへの字にして、誇張した表情を出す。
童子もそれぞれ個性的な顔つきをしている。像高は約30センチから60センチで、5躰は立像だか、1躰は岩に腰掛け、1躰はやはり腰掛けているが半跏の形、最後の1体は龍に跨がるというように、それぞれポーズをとっている。それに加えて岩座の高さを変えることで、不動像を中心にきれいに二等辺三角形の形におさまっている。写真でその様子を見たとき、絵画的な世界を彫刻に無理にうつしかえたように感じた。
しかし、今回間近で拝観でき、力のある群像彫刻であると印象を新たにした。光る玉眼が像に命を吹き込んでおり、思い思いの姿も不自然でなく、統一性がある。一部残る彩色・切金も、この仏像の丁寧な仕上がりを思わせる。斜めから見るとしっかりと慶派の張りのある肉体表現がなされているのが見て取れ、それぞれのポーズは見事に決まっていて、あたかも素晴らしい舞台をつとめあげた役者たちのカーテンコールのようである。
康円について
作者の康円は、運慶の次の次の世代の仏師である。運慶の次男・康運の子、あるいは四男・康勝の子ともいわれる。
運慶の長子・湛慶が東大寺講堂の千手観音像(現存せず)の造像半ばで世を去ったあと、康円がそのあとを継いで完成させていることから、康円が湛慶の後継者的な地位にあったことは間違いない。湛慶亡き後、再建蓮華王院(三十三間堂)の仏像群を完成へと導いたのも康円と考えられている。
康円は運慶の孫 運慶の次男の康運の息子、(運慶の四男の康勝の息子とも)
内山永久寺関係の史料によると、これらの仏像は1268年から翌年にかけて康円によって造られ、1275年に最終的に完成して、岩座に建てられたという。史料に、その岩座は「山水之躰、風流之容」とあるが、世田谷観音の像9体の台座は高低差がつけられた岩座であり、群像としての豊かな表現を生み出している。これが「山水之躰、風流之容」と言われればそうかと思う。
童子像の1躰からは、康円の名と1272年の年が書かれた納入文書が見つかっている。(内山永久寺関係の史料と納入文書では年が完全には一致していないが、全般的にみてこの像は内山永久寺旧蔵のものと考えられている。)
【以上 「世田谷観音の不動明王・八大童子像 - せきどよしおの仏像探訪記」より 引用】
不動堂
もう、集のメンバーの皆さん行かれた事が在るとの事で、参集は Kawさん・Ozaさん と孤思庵の 3人でした。
世田谷山観音寺、今度は私は僅か数年のご無沙汰でしたが、忘却も多く また楽しめました。
此のお寺は、昭和25年に事業家であった大僧正睦賢和尚が創建された経緯の 一風変わったお寺です。
私には 財閥や大実業家が 趣味で集めた コレクションを 美術館公開のミニ版と感じます。 勿論 お寺の創建はには、それなりに在り、此処は太平洋戦争での特攻隊員の慰霊・鎮魂の意味であったのですが、 安置の仏像を観ていますと、 私には 財閥や大実業家が 趣味で集めた コレクションを 美術館公開のミニ版と感じる一面もあるように感じられます。 参拝よりも、観賞が大きい私には 幸いです。
護摩供養
行者の僧の着ている緑系の法衣は松襲(まつかさね)と呼ばれるものと思います。松襲は天台宗では大僧都・権大僧都が着用するとの事です。 続いて袈裟の緯白は三諦章 (天台宗の紋所)で、紫緯白(むらさきぬきしろ)袈裟で調べたら・・・、大僧都・権大僧都クラス用でした。以上で 大よその 行者(護摩修法僧侶)の宗派・僧階の目安が付きました。
その時には知らずでしたが、帰ってから、世田谷山観音寺 をネット検索しましたら、天台系単立寺院でして、昭和26年に睦賢和尚が独力で建立し、同年5月、金竜山浅草寺に請い、開眼の法を修したものです。 と在りました。
天台系の護摩供として意識の見学は初めてです。調べてみましたら、護摩の焚き方は
天台宗系では建立曼荼羅護摩儀軌こんりゅうまんだらごまぎき
真言宗系では金剛頂瑜伽護摩儀軌こんごうちょうゆがごまぎき
という儀軌(仏様を供養する方法が書かれている)を基にして
天台宗系では胎蔵界立て、 真言宗系では金剛界立て、で行われるのが基本となります。と在ります。
真言宗系では金剛頂瑜伽護摩儀軌こんごうちょうゆがごまぎき
という儀軌(仏様を供養する方法が書かれている)を基にして
天台宗系では胎蔵界立て、 真言宗系では金剛界立て、で行われるのが基本となります。と在ります。
それには、不釣り合いの大き目の五鈷杵が持たされて在りました。 Kawさんから何尊 との質問が出ましたが、像は小さく堂内は暗いし、不釣り合いの大き目の五鈷杵が持たされて在り、手印が見えずで、判然とせず、分かりませんで、Kawさんには 行者住職に聞く事をお奨めし、答えは大日如来との事でした。 そうしますと智拳印には見えませんでしたので、胎蔵生の大日の法界定印と納得。天台宗系では胎蔵生の大日を立てますので、此処でも 天台系と思いました。 (不動尊は大日如来の化身ですので、本尊不動明王 八大童子 の前に
安置は意味が解ります)
ここでの護摩供は天台系と判りましたので、天台の護摩供の、先に少し出しました「建立曼荼羅護摩儀軌」を勉強してみました。「建立曼荼羅護」の意味は掴めませんでした。本来の曼荼羅は 砂曼荼羅で見る様に、起源の曼荼羅は土壇上に円形または方形の魔方陣、マンダラを色砂で描いて秘術を行う。「都度に色砂で土壇上に描く」を考えると「建立曼荼羅護」の建立の意味合いが解るような気がします。
護摩で調べましたら「不動護摩」なるもあり、今件に近いかとも思い、ネット検索してみました。
護摩修行・厄除け - 川越大師 喜多院
其処には「不動護摩」とは、密教の厳粛な秘法で、燃える火の中に供物を入れて不動明王を供養し 、その加護を願う儀式です。 はじめに護摩壇という台の上にお供物を用意します。 護摩壇は不動明王をお招きするテーブル的で、中央には炉が在り、其処へ御供物の米、大麦、小麦、大豆、小豆、胡麻、お香 等をくべて焼きます。お供物をい一通り召し上がられたら、願い事をお伝えして、お帰り頂く様です。 行者は身口意の動作を行う身(手印など)、言語表現を行う口と、精神作用をなす心。→三業(さんごう):人間の三業は仏と同一であるとの考えにより・・・、
身密(手で印契を結ぶ)・口密(語密):(真言・経典などを唱える)・意密(心密):仏の心境を感じる) の三密で、不動明王と一体となる修行を持って、信者へ、その力を伝えるのです。
(以上 護摩修行・厄除け-川越大師 喜多院のウェブを 検索 参照&一部引用しました)
(以上 護摩修行・厄除け-川越大師 喜多院のウェブを 検索 参照&一部引用しました)
お護摩の作法・次第・略作法
繋が
お護摩では、どのような事をしていたのでしょうか? 概ね次のようになります。
1.護摩壇の前で三回礼拝をして、護摩を焚く席に着く。
2.席に着いたら、もう一度礼拝。
3.粉末のお香を塗って身を清める。塗香
4.護摩を焚く人自身の身づくろいをする。
5.閼伽(あか)=(香水)で護摩壇上を清める。
6.炉を清める。
7.お供物やお明かりを供養する。
8.お護摩によって願いが叶うように祈る。
9.ご本尊のご加護を願う。
10.ご本尊と行者(=護摩を焚く人)が一体となることを観じる。
11.お供物の加持=衆生に仏の加護を 与えること
12.ご本尊に食事を供えるため、炉に檀木を積む。
13.檀木に点火。
14.ご本尊の口をすすぐ。
15.ご本尊の手を清める。
16.飲み物を出す。
17.前菜を出す。
18.五種類の主食を出す。
19.三種類の副食を出す。
20.食後の飲み物を出す。
21.消化薬などの薬を出す。
22.ご本尊にお加持をしていただく。
23.関連のある仏様たちにお供えをする。
24.願い事を伝える。
25.お見送りをする。
26.三回礼拝をして席を立つ。
2.席に着いたら、もう一度礼拝。
3.粉末のお香を塗って身を清める。塗香
4.護摩を焚く人自身の身づくろいをする。
5.閼伽(あか)=(香水)で護摩壇上を清める。
6.炉を清める。
7.お供物やお明かりを供養する。
8.お護摩によって願いが叶うように祈る。
9.ご本尊のご加護を願う。
10.ご本尊と行者(=護摩を焚く人)が一体となることを観じる。
11.お供物の加持=衆生に仏の加護を 与えること
12.ご本尊に食事を供えるため、炉に檀木を積む。
13.檀木に点火。
14.ご本尊の口をすすぐ。
15.ご本尊の手を清める。
16.飲み物を出す。
17.前菜を出す。
18.五種類の主食を出す。
19.三種類の副食を出す。
20.食後の飲み物を出す。
21.消化薬などの薬を出す。
22.ご本尊にお加持をしていただく。
23.関連のある仏様たちにお供えをする。
24.願い事を伝える。
25.お見送りをする。
26.三回礼拝をして席を立つ。
から引用しました。
すべてが良くは理解できませんが、 今回 一番前の席で、つぶさに拝見できましたので、上に挙げた次第の意味で概ね理解できました。
企画賛同者は、此処のコメント その他で ご連絡あれ!
帰ってから、世田谷山観音寺 をネット検索しましたら、昭和26年に睦賢和尚が独力で建立し、同年5月、金竜山浅草寺に請い、開眼の法を修したものです。 と在り、金龍山浅草寺は、元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった由、 世田谷山観音寺は開眼の修法の縁で、金竜山浅草寺 に近しいが、 その末寺とはならず、天台宗系単立寺院 となって居る様です。
そんな話にOzaさんには、その不動小像を ご覧に成りたい・・・、との 御所望が在りましたので、次回の「仏像愛好の集in東博」の午後の勉強会には、その小品を持参します。