孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

東博(彫刻)11室の展示

今月の19日の「仏像愛好の集」の分科会『仏像の基礎勉強会』では、恒例の11号室鑑賞を外す予定となってますので、此処のブログで、お話をしてしまいます。


東博 11号室 の手前の部屋の展示は 正月にちなみ   2017年2月5日(日)まで、神像や 七福神に数えられる天部が多く陳列されて居ます。

 




クリックすると新しいウィンドウで開きます
重文 男神坐像 平安時代・11世紀 京都大将軍八社蔵                         
 
神道においては古くは、カミの依り代(よりしろ)である鏡、玉、剣が崇敬されてきた。仏像の影響により、8世紀に神像が制作されるようになった、その史料上の初見は、『多度神宮寺伽藍縁起資財帳』(延暦20年(801年))である。それによると、天平宝字7年(763年)に神託により、満願が作ったとある。現存最古のものは、奈良・薬師寺の鎮守・休岡八幡宮の神像、あるいは、京都・松尾大社の神像と言われている。いずれも平安時代前期の9世紀のものである。神像はそれら神像には仏像とは異なる特徴を持つにいたる。立像は殆ど無く、木彫の坐像が多い。男神像の髪型はみずらまたは冠をかぶった衣冠装束が多く、女神像は十二単を着用しているものもある。神社に安置される神像は「ご神体」とされて一般に公開されることはあまりなく、寺院における仏像とは対照的である。
神像の特徴               






①木彫の坐像が多く、立像はほとんど見られ無い。
②仏像に比べ、全体に刀技が粗野であり、特に下半身を大雑把にする。
造形よりも神木・霊木神像の意識が強く、また霊威を失わないためにも、古い神像と取り替えて神霊の若返りをはかったことも、神像の粗造の原因となったのでは?
この像も荒造りであり、特に下半身を大雑把が見られます。

神道においては古くは、カミの依り代(よりしろ)である鏡、玉、剣が崇敬されてきた。仏像の影響により、神像が制作されるようになったが、先に挙げました、仏像とは異なる特徴を持つに至った様です。




重文 武装神坐像 1躯平安時代・11世紀京都・大将軍八神社蔵

キャプションを見ないと、天王像か武装天に思えてしまいそうです。しかし、天王像か武装天で坐像は在りません。先に述べました様に、神像の特徴に木彫の坐像が多く、立像はほとんど見られ無い。と在りますので、ここの像は武装神坐像という事になrのです。 の像は武装神坐像という事になるのです。  クリックすると新しいウィンドウで開きます http://sji.mints.ne.jp/wds/wp-content/uploads/2016/11/image003-3-150x150.jpg
天王立像 1躯平安時代・9~10世紀C-326

今度は前の武装神坐像の逆で、立像ですので・・・、神像では無しに、天王立像となります。銘が無いので
尊名は分からないのだろうと思います。 足下が欠失していますが、もし残って居て台座が邪鬼ならば四天王の何れかの可能性ありです。もし岩座であるならば十二神将の何れかと決めて大過はないと思います。(十二神将は、十二夜叉大将とも呼ばれ、夜叉ですので、足下に同じく夜叉である邪鬼を踏まえる事は無いのです。)






クリックすると新しいウィンドウで開きます
弁才天坐像 1躯鎌倉時代・13世紀

 個人蔵

七福神の内の紅一点、弁才天です。(そうです天部には性別がはっきり存在してるのです。)
弁才天は梵名は「サラスヴァティー」で、それは川の名前です。聖なる川、サラスヴァティー川(その実体については諸説ある)の化身です。サラスヴァティーと、その名の最終母音を伸ばしています。サンスクリットでは最終母音を伸すは女性名詞なのです。サラスヴァティーその女神は、芸術、学問などの知を司るヒンドゥー教の女神です。ですので「弁才天」は意訳です。才能の神なのです。ですのでここでは「才」の字を用います。
後に銭洗い弁財天などの財産の神になりますと才能の「才」の字でなく、財産の「財」の字が充てられる様に成りました。ですので楽器琵琶を持つのは弁才天、 財産を増やすのは弁財天となるのですね!
弁才天は音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神など幅広い性格をもつ。像容は8臂像と2臂像の2つに大別される。
8臂像は『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」の所説によるもので、8本の手には、(ほこ)、長杵鉄輪羂索(けんさく・投げ縄)を持つと説かれる。その全てが武器に類するものである。同経典では弁才・知恵の神としての性格が多く説かれているが、その像容は鎮護国家の戦神としての姿が強調されている。随分印象が違うでしょう!

ここに展示の弁才天は、頭に、顔が老人の蛇身の神を載せる、宇賀神弁天です。宇賀弁才天中世以降、弁才天宇賀神(出自不明の蛇神)と習合して、頭上に翁面蛇体の宇賀神をいただく姿の、宇賀弁才天(宇賀神将・宇賀神王とも言われる)が広く信仰されるようになる。弁才天の化身はとされるが、その所説はインド・中国の経典には見られず、それが説かれているのは、日本で撰述された宇賀弁才天偽経においてである。


大黒天立像1躯快兼作 東大寺伝来南北朝時代・貞和3年(1347)文化庁

大黒は、マハーカーラ( サンスクリット語マハーカーラMahaa-kaala、でして、Mahaaとは大(もしくは偉大なる))、kaalaとは時あるいは黒(暗黒)を意味するのでMahaa-kaalaは大黒天と意訳された。そして胎蔵生曼荼羅の最外院に大黒天は、ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。 マハーカーラ音写の摩訶迦羅天(胎蔵界曼荼羅での大黒天)はシヴァ神を討ち取った姿(剣を 持ち、シヴァ神と其の乗り物の白牛を吊り下げ、象象の生皮を剥いで背中に羽織るという怖ろしい姿で、胎蔵生曼荼羅の最外院に配当されて居ます。         
クリックすると新しいウィンドウで開きます
摩訶迦羅天(胎蔵界曼荼羅での大黒天)



総括として七福神を見ますに、恵比寿(蛭子)・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人がありますが、筆頭の 「えびす」という神は複数あり、イザナギイザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。少数であるが、えびすを少彦名神彦火火出見尊とすることもある。ここで言えることは事代主神(ことしろぬしかみ):日本神話に登場する で、七福神の中で唯一の日本の神様です。


その恵比寿と、よく対 で扱われる大黒天(大国主)は尊名のしまいに天が付きます。 個の様に天の付く尊は インド古来の神が天と意訳されて仏教に取入れられましたもので、七神の内で、天の付く大黒天・毘沙門天・弁財天は皆 インド古来の神です。そしてそれらは皆、梵名(サンスクリット名)を持つのです。

上に図像を掲げました。摩訶迦羅天(胎蔵界曼荼羅での大黒天) この恐ろしい大黒天は、俵に乗り、打ち出の小槌を振る,福々しい大国様と同じなのでしょうか?「大黒」と「大国」が同じに「ダイコク」との音になるので、仏教の大黒天と、事代主神大国主命が融合され、我が国で変容し、日本の装束の姿なのです。

総括します。七福神の内、名前の後に天の付かない蛭子(恵比寿)は日本の神様で・・・、布袋は、中国は唐末の明州(現在の浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な 仏教僧であり、福禄寿・寿老人 は道教の神仙です。
 
斯様に宝船の乗員は 日本1名 インドの神様3名、中国が3名 の多国籍です。船籍はタックス・ヘイブンを狙って、パナマか リベリア船籍かもしれませんね(笑)