Miuさんの 初めての拝観旅行(広島)
「仏像愛好の集」のメンバーのMiuさんが、メールで寄稿してくれました。 彼女の寄稿デビューです。
【以下、Miuさんの文章です】
皆さんお元気ですか。
広島への旅行から帰って来ました!
初めての拝観旅行の感想文を書いてみましたので文章の添削をお願いしたいと思います。
広島ははじめてです。14日の夕方、出張先での仕事を終え雨の中に新幹線に乗り込み雨の中に広島駅の近くのホテルに入りました。
翌日の朝4時すぎに起き、6時にフロントの係に’朝の散歩に行って来ます。’ホテル前の街灯照らしている城南通りに沿って更に左に曲がって歩いて30分、以前から見てみたい原爆ドームが目の前に佇んでいます。弱い光でライトアップされ、その無残な姿が原爆の惨禍を物語っています。まだ早朝ですので周辺の通行人が まばら。私は永遠に世界平和でありますように願いながらドームを巡りました。ホテルへ帰る途中に広島城も遠くから眺めることができました。朝食後にホテルを後にしました。
8時すぎに宮島口へ向かいます。フェリーを乗り換え島に上がりました。丁度満潮で神社や鳥居は海面上に浮いているように見えます。神社の入場不可ですのでまずは大聖院を参拝することになりました。仏像や見どころいっぱいで上がったり下がったり2時間半もしました。’砂曼荼羅’だけは他のお寺で見たことがない珍し展示品でチベットから伝来したのではないかと思います。
大聖院から出た後にすぐに傍にある’大聖院登山コース’に入りました。伊藤博文は’日本三景の一つ真価は頂上の 眺めにあり’と絶賛した訳で私は以前から弥山を自分の足で登り、瀬戸内海の絶景を見たかった。途中で三人の中年女性のグループと出会い、話しながら一緒に上って行きます。私は弥山は観光地の低い山で簡単に登れると思いました。これは大間違いしてました。山頂で昼食を取る予定でしたが朝食時にパン一個しか食べていなかたせいでお腹が空いてしかたがなく持っているカカオを噛んで我慢しました。平日に運動や体力仕事していないため私はトレーニングのチャンスとしていつも旅行の時に重い荷物を背負って歩いたりしています。今回は重荷で沢山の段差の大きな石段を含めて二千段も登り、かなり苦しいかった。
登山道の傍にあちこちで石仏像が祀られています。九合目の所の霊火 堂があって中に入ってみました。中に火が点いている蝋燭がいっぱいで大きな鉄の釜の下に焚火が燃えていて奥に祀られている不動明王立像が見えますが煙で涙が出ていて長く中にいられません。この火は806年空海がここで修行した時に焚いた火で1200年間も燃え続けているそうです。
苦労の甲斐があって、やっと山頂の展望台に辿り着きました。瀬戸内海一望、島々が睡蓮のように浮かび、澄んでいる空、青々し海。本当になんとも言えない最高の絶景です。
気になるのは登山客の大半は外国人です。日本人の方々はこれより難しい百名山の山を登っているではないかと思いました。
山から降りるとすてに干潮になり神社や鳥居は砂の上に立っていて鳥居の周 辺に大勢の人がいて写真を撮ったり歩いたりしています。私は神社と大願寺を参拝し、商店街通りで歩いてフェリー乗り場へ向かいます。揚げもみじ饅頭は島の名物と聞き、私は甘いものが苦手ですが一個だけを注文して味見をしました。5時半頃フェリーに乗り、夜景を見ながら宮島を後にしました。
翌朝8時ころ、尾道の浄土寺に着きました。浄土寺は聖徳太子の創建され足利氏の庇護を受けて現在の伽藍があります。多宝塔ともに国宝となっています。お寺全体が国宝に指定さらて京都の清水寺とここ浄土寺だけだそうです。本尊の国重要文化財の十一面観音は秘仏でご開帳のため拝観に訪れたわけです。
寺は9時半から営業ですので私は寺の裏の尾道三山浄土寺山 を登ることにしました。登山道は観音のこみちとよばれ脇に坂東三十三観音の石佛が祀られ、岩に不動明王像、岩穴の上に子宝観音という磨崖仏もあります。山頂にも巨大な岩が沢山あって’峰薬寺堂’という奥の院があります。八角形の展望台から尾道市内や尾道水道、向島にある造船所、尾道大橋などがはっきり見えています。多分早いせいか山道を整理している作業員以外に登山客は一人もいません。こんな美しい景色、’一人じめ’!?
下山途中にやっと一人の年配女性と会いました。彼女は東京品川で生まれ戦時の疎開で尾道に来ましてずっとこの地で暮らしてきました。私は続けて下山中に彼女が追いかけて来ました。’これ、美味しいよ’と言いながら山で採った十数個の蜜柑のう ちの五個を分けてもらいました。これも’ご縁’ですね。
浄土寺に戻り法要がしているので参拝は12時以降と告げました。しかたがなくあちこち見回りして12時すぎる頃に念願の拝観はやっとできました。仏像の拝観と庭園、宝物館の廻り一時間以上かかりました。もっと詳細に見たいと思いますが時間が少ないので次の目的地に向かいました。
午後2時頃にロープウェイで千光寺公園の山頂に到着します。展望台のレストランで遅い昼食をしました。天気が良かったので眺めが最高でした。以前から見てみたいのしまなみ海道がはっきり見えることができまして遠くの四国連山が水墨画のように綺麗な風景でした。この素晴らしい景色を目にいっぱい焼き付きました。
千光寺公園では’文学のこみち’というみところがあります。それは遊歩道の両側に有名な詩や句を刻まれた石碑がところどころで置いてあって千光寺に向かい道です。以前松島に旅行した時に雄島の松尾芭蕉の’みちのくの足跡’ー奥の細道関連地に訪れたことがありました。有名な観光地にこのようなスペースがあることは文学と文人達は多くの日本の人々に愛され、尊敬されているしるしと思います。
千光寺の本尊の如意輪観音は秘仏のため拝観できません。石仏像が多い印象でした。本堂横にある大きな玉の石も特別なシンボルの存在と感じました。寺からさらに降りると有名な文人の旧居やお洒落な喫茶店、招き猫美術館などが点在していて時間がないため素通りしました。国重 文の海雲塔も歩きながら眺めました。猫の細道も通りました。これらの小道はいかにも尾道らしい雰囲気のある狭い路地です。急な坂道で大理石ような白い石で丁寧に作られ綺麗で芸術作品のように見えます。
また見たいところがいっぱいありますが’いつかまた来る’と思いながら帰途に向かいました。
いつものように仕事後の二日間の弾丸旅行でした。いにしえの神社、わびさびの寺院と仏像、瀬戸内海の絶景、色とりどり綺麗な紅葉。おかげで小春日和でした。一人旅は寂しいと思われますが途中での人々との触れ合いも良い思い出になります。煩悩や苦痛が一切ない鳥のような自由、超脱な二日間でした。
今回の拝観旅行のきっ かけは孤思庵ブログにTakさんが5月1日ー3日広島尾道浄土寺まで本尊十一面観音開扉の行事の参拝の文章を読んで知りました。私も秋のご開帳に参拝に行こうと思いついたわけです。私は昨年の8月に一回で’集い’に参加しましたがその後に時々ブログの文章を読み情報を得て大いに参考になりました。7月のある日に芸大の’観音の里の祈りとくらし展’の拝観中にオペラグラスで仏像を覗いたりノードに記入したり、その真面目な姿からTakさんに間違いない!思わず声をかけました。Takさんは熱心に仏像を解説していただきました。仏像愛好の集い’の参加も勧めました。いま、Takさんは脊柱管狭窄症’に患っているとブログから知りました。私はTakさんが一日も早く治るように再び以前のように精力て きな活躍を期待しています。
私は9月の中尊寺’一字金輪佛頂尊’のご開帳の拝観はMさんが孤思庵ブログに書いた知らせで知り、お陰で中尊寺、瑞厳寺、瑞鳳殿なども参拝しました。OotさんとKanさんは尾道の龍華寺のご開帳は8月20日を教えていただき、Kitさんには笏という難しい言葉を教えていただき、ブンブンさんには雨宝観音の拝観方法を教えていただき、Butさんにはご専門を話していただき、Morさんとはバスと電車の乗り換えを一緒にしたこともありました。とても楽しい参集でした。私の旅は、ほどんと先輩たちの足跡についていた旅でした。
メンバーの中に仏像の絵を描いている方に会ったことがありませんが、私も仏像の絵の勉強をしたいと思います。
12月3日 の定例の集いに参加したいと思います。多分開放している庭園の紅葉も見頃でしょうね。因みに私は紅葉が大好きです。12月1日に天気が良ければ私は鎌倉の杉本寺のご開帳の参拝と紅葉見に行きたいと思っています。
長文になりましたが私の仏像拝観旅は単なる仏像だけでなくて脱線の話も多くてどうもすみません。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
Miu より
以上、Minさんの寄稿デビユーでした。 今後寄稿の励みにもなると思いますので、コメントを付けて頂けたらと存じます。
寄稿文に依りますと「仏像愛好の集」の皆さん方が、Miuさんに、色々の情報やアドバイスをして頂いたようですね! この様な事も「仏像愛好の集」の メリットと思います。 今後も宜しくお願いしましす。
12月1日の鎌倉は、他のスケジュールと重なり、ご一緒は叶いませんが、 皆さんも 何処かへ行きたいときに、 投稿ください。ご一緒したいとのコメントが付くかもです。
また文中に、「仏像愛好の集」のメンバーの名前が多く入ってました。 これまでの慣例で、それを 全てイニシャル的や、ハンドルネーム・ニックネームに替えて掲載しましたが・・・、ここらで、皆さんに ご自身のお名前の表記についての、ご意見を伺いたいと思いました。 各々は如何にお考えでしょうか?」孤思庵
十四郎さん
「8時すぎに宮島口へ向かい、フェリーを乗り換え島に上がりました」
この一句に鮮やかに思い出されることがあります。
丁度この時刻、通勤どきに当っていそうですが、わたしが国道からフェリー乗り場に入ろうとしたのは、もう少し回っていたかも知れません。
左に沿うように一車線を踏み切りに向かうのですが、中々遮断機が上がらないのです。
すぐ目の前に臨港線が敷かれており、斜め前がたぶん終着駅なのでしょう。
二輌続きくらいな箱車両が、広島駅から港駅へゆっくり入線してきます。
しかし遮断機は上がりません。
先の車両が客を乗せ終って、まさに広島駅へと出発しようとしています。
二輌連結が、目の前をゆっくりと過ぎてゆきました。
しかし遮断機は上がりません。
見ると、港駅へ入線する車両がまた、踏み切りの直前に徐行してきました。
当然、遮断機は下がったままです。
ゆっくりと入って来ました。
先ほど入線した車両がそろそろ出発……。
延々と待たされ、頑として遮断機は上がらず。
20分以上は待たされたのではなかろうか。
これ、「開かずの踏み切り」ギネス一番に載るのではないか!
などと、はるか薄れゆく2年前の記憶が、強烈に思い出されました。
ご無事で何より。